第3話「予感」



「ハァ……」


 私は朝食の小倉トーストと恵比寿茶を胃袋に放り込み、制服に着替えて家を出た。今はチュンチュンと呑気に鳴いている雀の声を聞きながら、登校路を歩いている。


 ユキテル君の死が発覚して早くも3週間ほど経っているが、私は未だに絶望を引きずっている。足どりが重い。いや、体全体が鉛になってしまったように、とてつもない重量を感じる。もはや背中に降り注ぐ日差しですら、背中にのし掛かっているようだ。


「うーん……」


 あんまり気が乗らないけど、学校までの道のりが暇だし、ネットサーフィンでもして時間を潰そう。漫画を読んだ後の、私のお決まりのルーティーンだ。今回はユキテル君の死に絶望し、すっかり忘れていた。

 私はスカートのポケットからスマフォを取り出し、掲示板アプリを起動する。私と同じく今月号のシュバルツ王国大戦記を読んだファンが、感想を呟いているはず。


「ん?」




『ユキテル退場させるとか、あの作者マジでないよなぁ』


『人気キャラは殺してはいけないの定義』


『ここに来てあの展開……作者もいよいよオチがまとまらなくて低迷してるな』


『#シュバ大オワコン草』




 私はスマフォを握り締めながら困惑した。想像以上に炎上している。大人気キャラを殺したことによる批判や、崖から転落死という少年漫画あるあるに頼った展開を揶揄する声が、画面上にポンポンと表示されていく。


「な、何なのよこれ!!!」


 困惑の次に沸き起こってきたのは、熱々の怒りだった。許せない。ファンとしてあるまじき行為だ。いや、こんな醜態を晒せる輩はファンじゃない。もはやアンチだアンチ。私の大好きな作品を汚すな。ふざけんなよ、ゴミクソ野郎が!


「あぁもう! イライラする!」


 アンチ共の心もとないコメントを眺め、私は地団駄を踏む。近くを通りかかった小さな女の子が、「ママ、あの人怖い……」と、母親に泣きつく。見苦しいところを見せちゃってごめんなさい。


「ハッ! いけないいけない!」


 私ったら、取り乱してどうするの。こんな汚物を塗りたくるような輩は無視よ。どれだけ批判されようと、私はこの漫画が大好きだ。この作者が大好きだ。LOVECA先生の描く作品を愛している。

 だから、どんな展開でも受け入れていくしかない。世界中の読者が嫌いになったとしても、私だけは絶対に嫌いになりはしない。初めて先生の作品に衝撃を覚えた時、私はそう誓ったのだ。


 私だけは、私の大好きなものを裏切ってはいけない。




「……」


 それでも、ユキテル君が死んでしまった悲しみを埋めるには、私の信念は小さすぎた。






「あっ、来てる来てる」

「オタ子、今日も死んでるよ」

「相変わらずむっさいわねぇ~」


 あー、聞こえない聞こえない。私は今、死んでいるのだ。今日も今日とて、クラスメイトの女子の陰口が絶えない。私は毎朝登校して鞄片付けを終えると、オタク魔法『死んだふり』を発動する。

 この魔法は睡眠に近い状態に体を閉じ込めることにより、外界からの視線や呼び掛け、触覚を全てシャットアウトし、何も感じなくなるというものである。オタクである私の得意技だ。


 こうやって、私は毎日クラスメイトからの陰湿な悪態を受け流している。私の二次元の趣味が露呈してから、ずっとこうだ。まぁ、もう慣れっこだけど。


「……」


 オタクという種族は生きづらい。正常に作られた人間の目には、我々オタクの様子は異常に見えるらしい。好きなものに捧げる情熱は、彼らにとってはカルト宗教に所属する奇人宗徒の奇行に見えるのだろう。理解されにくい。


「あぁやって貴重な学生時代を無駄に過ごしていくんだろうなぁ~」

「せっかく女で生まれてきたのに、もったいな~」

「ね~、早いうちに負け組になってどうすんのって感じ~」


 私の場合は尚更だ。漫画やアニメの魅力に取り憑かれ、三次元の世界を見限り、現実の交遊関係を完全にシャットアウトしてしまっている。

 おかげで、陽キャヒエラルキーに属する女子生徒達は言いたい放題だ。抵抗してこない私をいいことに、好き勝手貶してくる。直接的な暴力ではないため、訴えづらいのが何とももどかしい。


 その反面、二次元の世界は私を裏切らない。私を否定しないし、馬鹿にしたりしない。実家のような安心する温もりで、私のことを包み込んでくれるのだ。

 女子高生たるもの、恋愛しようとか青春しようとか、陽キャ共は簡単にほざくけど、私にできるものなら最初からしてる。くだらない馬鹿騒ぎで無駄な二酸化炭素を吐き散らすくらいなら、漫画読んだりアニメを見てる方が余程有意義だ。


 うん、やっぱ二次元よね。二次元最高♪




“ユキテル死亡!? イワーノフの陰謀が遂に動き出す……。”




「ひっ……!?」


 私は背筋が震えて起き上がる。唐突に最後のページのあの煽り文を思い出してしまった。ダメだ。どう忘れようと、どう受け入れようと、心の奥深くに悲しみの木片が挟まってくる。


「うわっ、びっくりした! 何なの、気色悪い声上げて……」

「これだからオタクってよく分かんないわぁ~」

「ねぇ~、マジ気持ち悪い……」


 うわっ、最悪。死んだふりで聴覚失くしてたのに、陰口が耳に飛び込んできた。まぁ、彼女達は他人の趣味を受け入れたくない人種に生まれてしまったのだ。私の崇高な趣味の魅力は理解できそうにない。哀れんでやろう。




 でも……酷い言葉を投げ掛けられるのは、やっぱり辛い。







 キーンコーンカーンコーン


 ガラッ


「みんな席に着け~。今日からこのクラスに転校生来るからな~。さぁ、自己紹介して」


 いや、早い早い早い。展開が早すぎるって、先生。ボサボサの頭をかきむしりながら、私達の担任は転校生を連れて教室にやって来た。

 朝のホームルームの始まりを告げるチャイムが、初々しい心に満ちた転校生を迎える。クラスメイト達は慌てて席に着く。


 カッ カッ カッ

 転校生はチョークを手に取り、ゆっくりと黒板に名前を記入する。時折チョークを物珍しく感じているような素振りが、背中から伝わってくる。

 そりゃあ、こんな田舎に来ることになって、戸惑わない方がおかしい。どうせ東京とか名古屋とかの都会の学校じゃ、チョークじゃなくてマーカーなんでしょ? 黒板じゃなくてホワイトボードなんでしょ? 羨まですわ。


 カツンッ

 転校生はチョークを置き、こちらを振り向いた。透き通るような短い白髪がふわりと翻る。白髪とはこれまた珍しいわね。アニメのキャラクターみたい。






「……え?」




 私は思わずぽかんと口を開けた。




「えっと、棚橋透井たなばし とうい……です。これからよろしく……」






 そこには、ユキテル君が立っていた。私の目が捉えた現実を端的に説明すると、そうなる。教壇の前に立つ転校生の姿は、私の大好きな推しの、ユキテル君そのものだった。 


 雪でできたような清潔感漂うサラサラな白髪、星空を閉じ込めたような綺麗な紺色の瞳、制服の上からでも分かるたくましい肉付きの体、見上げてしまいたくなるほどの高い身長、全体的にスラッとしていて爽やかな風格……。

 間違いない。ユキテル君を表す要素全てを兼ね揃えた少年が、私の目の前に転校生として現れている。ユキテル君が私と同じ学校の男子制服を着て、私と同じ学校にやって来て、私と同じクラスにいる。


「あっ、え、えっ……えっと……え……?」


 私の喉は言葉にならないうめき声を上げるだけだ。棚橋透井君……彼の姿はユキテル君と瓜二つだった。いや、そっくりと言うレベルでは留まらないほど似すぎている。もう瓜二つどころか、瓜二万個と表現すべきではないだろうか。


 ……何言ってるんだろ、私。


「そんじゃあ、棚橋君、あそこの席座って。みんな、仲良くするように」

『はーい』


 ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って! なんて奇跡なの。私の大好きなユキテル君が、現実に爆誕している。崖から突き落とされて死亡したと思われた彼が、私の目の前で息をしている。


「……!」


 今、ユキテル君が私の横を通り過ぎていった。あっ、彼が吐いた空気が、私の周りを漂っている! 陽キャ共には勿体ない! 私が先よ! すー! はー! すー! はー!


 うひょぉぉぉぉぉ!!!!!! たまんねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!


「じゃあ、朝のホームルーム始めるぞ~」


 ユキテル君が席に着き、朝のホームルームが始まる。私はなるべく彼に興奮を悟られないように振る舞う。気持ち悪い素振りを見せたら、また陽キャ共に馬鹿にされる。

 それにしても、信じられない。ユキテル君が現実で生きているなんて。いや、正確には本人ではなく、彼の姿と瓜二万個の棚橋君だ。でも、そんな事実を忘れさせるほど、私の気分は高揚していた。


「えへへ……ユキテルきゅん……💕」


 あぁ……三次元リアルも悪くないかも。棚橋君が……ユキテル君が吐いた空気を存分に味わいながら、私は何だかとっても素敵な出来事が起こるような予感がして、心が踊った。


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