第8話「彼を知りたい」
「健!」
「ママァ~!」
健君を迷子センターに連れていき、約30後に彼のお母さんが慌ててやって来た。お母さんは泣きながら健君に抱きつき、彼も思う存分お母さんに甘える。
「あ、ありがとうございます! うちの子を連れてきてくださって……」
「え、あ、いや……し、仕事なので……」
お母さんは明石君に向けてお礼を言った。連れてきたのはほとんど私だけど、彼女は作業服姿の明石君を見て、必然的に彼が見つけて連れてきたのだと判断してしまったらしい。
明石君も自分の手柄ではないけど、訂正する勇気もないためそのまま頭を下げる。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう!」
明石君にもお礼を言う健君。これまた笑顔が可愛い。私も笑顔を返して手を振った。健君はお母さんと手を繋ぎ、出入口へと歩いていく。やっぱり自分のお母さんの手が一番大好きだよね。
親子の微笑ましい背中を、私達は見えなくなるまで見送った。
「……なんでお前が連れていったことを言わなかった?」
「え?」
ふと明石君が尋ねてくる。彼にとっては、手柄を譲ってもらったようなものだ。しかし、なんでと言われても、別に理由はない。お母さんの勘違いを訂正する理由なんて、私には思い浮かばない。
「俺、何もしてないのに」
「そんなことないと思うけど……」
でも、強いて言うなら、明石君に助けてもらったお礼……かな。
「裕光」
すると、背後から女性の声が聞こえた。私達は振り向くと、薄いオレンジ色の短髪の女性が立っていることに気付いた。
「曽夜香さん……」
明石君が女性の名前を呟く。曽夜香さん……どうやら彼女と明石君は知り合いのようだ。曽夜香さんも他のクルーと同じ制服を着ていることから、ここで働いているんだろう。もしかしたら明石君のバイトの先輩さんかも。
「聞いたよ。ゲストに暴行を加えたんですって? なんてことするの!」
突然説教が始まった。さっき私をホテルに連れ去ろうとした男の人の腹を、明石君は思いきり殴った。やっぱり私を助けるためとはいえ、少しやり過ぎかもしれない。一応相手はお客さんなのだから。もう伝わってたんだ。
「あなたは特別に雇ってあげてるのよ。それなのに、多くのゲストがいる前で、あんな危険な真似をするなんて……」
クルーがお客さんに暴力を奮ったなんて話が一人歩きすれば、遊園地全体の評判に傷がつく。理解しておきながら行き過ぎた行動に走ってしまった明石君を、曽夜香さんはこれでもかと叱りつける。
「……ごめんなさい」
「最悪、処分を検討するしかないわね」
「ダ、ダメです!」
私は曽夜香さんの前に立ち塞がる。そして勢いよく頭を下げる。処分という言葉が耳に入った途端、いてもたってもいられなくなった。
「明石君をやめさせないでください! お願いします!」
「あ、あなたは……?」
「あ、明石君のクラスメイトです……」
困惑する曽夜香さんに、私は懇願した。彼女はきっと明石君がお客さんに暴力を奮ったことだけで責め立て、彼が私を助けようとしてくれたことを知らない。私は明石君が悪くないことを必死に説得する。
「明石君は、私が男の人に無理やり連れていかれそうになったところを助けてくれたんです!」
「え、そうなの? 裕光」
「……」
驚いた表情を浮かべる明石君。しかし、曽夜香さんに聞かれても何も答えず、うつ向いて地面を見つめている。彼の口からは何の弁解も発せられない。多分自分が暴力を奮った現実は変わらないからって、罪を受け入れて黙り込んでいるんだ。
そんなことない。明石君は絶対に悪くない。
「明石君は優しい人なんです! 私を助けてくれただけなんです! だからお願いします! 彼にバイトを続けさせてください!」
明石君がなぜ遊園地でアルバイトをしているのかを、私はまだ聞かされていない。それでも、学校でお友達を作って楽しく過ごす生活を捨ててまで、バイトに従事している。
そこには彼なりの深刻な事情があるはずなんだ。何も知らない部外者の私が言うのもおかしいけど、やめさせるなんて見過ごせない。
「彼は何も悪くないんです! だから……お願いします……明石君を……許してあげてください……お願い……します……」
「わ、分かったから落ち着いて!」
頑張って明石君の無実を主張しようとするあまり、私の顔は涙でぐしゃぐしゃになってしまった。感情が高ぶるとすぐに泣いてしまう。私の悪い癖だ。曽夜香さんは慌てて私をなだめる。
「裕光、勝手に責めてごめんなさいね。上には私が説明しておくから。でも、今後はこういった真似は慎むこと。いいわね?」
「……はい」
そう言って、曽夜香さんは仕事に戻っていった。許されたってこと……なのかな?
「……あっ」
私は遊園地に来た目的を思い出した。明石君に会えたのだから、あれを渡さなければいけない。きっと無くて困っていたことだろう。
「あ、明石君……これ……」
「ハンカチ……まさか、これを届けにわざわざ来たのか?」
「う、うん……」
明石君はかなり驚いた様子だ。たかがハンカチ一枚を届けるために、交通費とチケット代を犠牲にしてまでここに来る必要がどこにある。そう訴えているように、こちらを見つめてくる。
私はハンカチを差し出し、彼は受け取る。視界がまだ拭いきってない涙でぼやけてしまう。
「……使え」
「え?」
なぜか明石君は受け取ったハンカチを、再び私に返してきた。
「涙くらいちゃんと拭け」
「あ、うん、ありがと……」
私は明石君のハンカチで涙を拭き取る。彼のハンカチで拭いたからだろうか。なぜか涙腺の蓋を固く閉めきってしまったように、あれだけ溢れ出ていた涙があっさり止まってしまった。
「……本山」
「なぁに?」
泣いてる間は嗚咽が止まらなかったけど、泣き止んだおかげでまともに話せるようになった。私は明石君の方へ耳を傾ける。
「その……ありがとな。ハンカチ届けに来てくれて。この間のキャンディのことも、まだお礼言ってなかったし」
「ううん、明石君バイト頑張ってるから、応援したかっただけだよ」
私の言葉を聞いて、明石君は目を反らして頬をぽりぽりと掻く。彼は普段から褒められたり応援されたりすることに慣れていないらしい。ずっと人との関わりを避けてきたから、どういう反応をすればいいのか分からないみたい。
「あと、悪かった。今まで突き放すような真似しちまって」
「大丈夫。私の方こそしつこく話しかけてごめんね」
いつも明石君のことが気になって、離れたところから彼の様子を見てきた。話しかけた人を片っ端から突き放し、他人と関わりを持つことを避けてきた明石君。誰もが薄情のない冷たい人だと思っていた。
でも、今日その認識が完全に変わった。
「私、分かったよ。明石君は口下手で不器用だけど、本当は優しくて頑張り屋で、とても素敵な人なんだって」
「……は?」
凄い驚き様だ。きっと似たような誉め言葉を、今まで一度も言われたことがないんだろう。見た目だけで判断してきた人達は、明石君の心の底に秘めた優しさを知らない。私だけでも知れてよかった。
「んな大した人間じゃねぇって」
「ううん、明石君はとってもいい人だよ。私、見直しちゃった」
「や、やめろよ。気持ち悪い……」
「ふふっ」
私は明石君に微笑みかける。明石君は大袈裟に捉えられて困っているけど、彼が私を助けてくれたのは揺るぎない事実だ。私や他の人が思うよりも、彼はとても魅力的な人物なのかもしれない。いや、きっとそうだ。
「そのハンカチ、名前が刺繍してあるね。しかもひらがなで」
「なっ、いや……これは……」
「そういうの、なんか可愛い♪」
「う、うっせぇ! これは俺じゃなくて曽夜香さんがだな……」
明石君が恥ずかしがっている。普段の彼が決して見せることのない面白い反応だ。彼の中には、今の私も知らないもっともっと素敵な魅力があるのだろう。彼と更に仲良くなれば、それを知ることができるのかな。
私はそれを知りたい。彼を……明石裕光君を知りたい。
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