第7話「清掃員」
「本山……なんでここに……」
裕光は箒と蓋付きのちり取りを両手に、後方から楓の様子を伺う。なぜ裕光が楓をこっそり眺めているのかというと、迷子の男の子を連れているところを偶然見かけてしまったからだ。
先日に続き偶然が二度も重なってしまった。まさか楓が再び遊園地にやって来るとは。なぜやって来たのだろうか。とにかく裕光は気付かれないように、気配を隠して彼女を尾行する。もちろん話しかける勇気などない。
「お姉ちゃん、アイラ君好き?」
「うん。大好きだよ。可愛いよね~」
楓は迷子の男の子と手を繋ぎながら、微笑ましい会話を繰り広げている。彼を迷子センターまで案内しているようだ。クルーである自分の仕事なのに、客である楓は率先して助けてやっている。
「コミュ力お化けかよ……」
誰の懐にも一瞬にして入り込む楓の心の広さに、裕光は感服する。本来は自分が助けなければいけない。今すぐ声をかけて役目を引き受けるべきであるはずなのに、自分は一体何をしているのだろう。
「それでね、アイラ君はものすごく泳ぐのが上手なんだよ!」
「そうなんだ~。お姉ちゃん下手くそだから、アイラ君に教えてもらいたいなぁ~」
迷子センターまで向かう途中、楓は健とアイラ君の話で盛り上がった。健は顔が赤くなるまで泣いていて、誰にも見つけてもらえなかったのだ。きっとすごく不安がっていただろう。
楓は健の不安な心に配慮し、自慢の朗らかな笑顔で、彼を安心させる。彼女は友達も多く、面倒見もいい。抜群のコミュニケーション能力を発揮し、健を笑顔にさせてやった。
「……」
人に話しかけることに抵抗を感じ、影から覗き見ることしかできないどこかの誰かさんとは大違いだ。
グゥゥ……
突然健の腹の虫が鳴った。パレードで母親とはぐれてからずっと泣き続けていたため、かなり腹が空いているようだ。楓は辺りを見渡して店を探す。
「お腹空いた……」
「うーん……あっ、あそこにお店がある!」
楓が指差した方向には、フードやドリンクを販売しているカートが立っていた。行列ができておらず、今ならすぐに購入できる。
「よ~し、お姉ちゃんが何か買ってあげるね」
「いいの!? ありがとう! わ~い!」
健はあまりの嬉しさに飛びはね、カートへと全速力で駆けていく。突然走り出した健を押さえられず、楓は腕を伸ばす。
「あ、走ったら危ないよ!」
バシッ
「わっ!」
「うぉっ!?」
すると、健の目の前を大柄な男が通りかかる。背の低い健は気付かれず、男の足にぶつかって転倒する。
「あぁぁ!!!」
男は驚きの声を上げる。地面に白いソフトクリームがこぼれ落ちており、男の手には空のコーンが握られている。健とぶつかった勢いで落ちてしまったようだ。
「あーあーあー。せっかく高い金払って買ったのによぉ。おいガキ、どうしてくれんだ?」
「え……」
ぶつかった顔を押さえて立ち上がる健。目の前には自分の数倍もの背丈の強面の男が、尋常ではない恐ろしい眼光でこちらを睨み付けてくる。寄りによって柄の悪い男に当たってしまった。
「え、その……」
「どうしてくれんだって聞いてんだよ。ガキだからって許されると思ってんのか? あぁ?」
「あの! す、すみません!」
楓が慌てて駆け付け、健を背中に隠して立ち塞がる。健は怯えて何も言えない状態だ。楓は健の代わりに頭を下げ、一生懸命謝罪する。
「お前の連れか? ちょっとしつけがなってねぇんじゃねぇか?」
「ほ、本当にごめんなさい……ソフトクリームは弁償しますので……」
健は偶然発見し、一時的に迷子センターへと連れていってやっている関係だ。しかし、責任は自分にあると痛感し、楓はペコペコと何度も頭を下げる。
「弁償すりゃいいって問題じゃねぇんだよ!!!」
しかし、いくら楓が謝罪しても、男はなりふり構わず怒鳴り散らす。見てみぬふりをしていた周りの客も、少しずつ事態の深刻さに気が付き、どう対処すればよいか迷っている様子だ。
楓はもはや健以上に怯え、泣きじゃくりながら男に許しを請う。
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……何でもしますから……」
「……言ったな?」
楓の『何でもする』という発言に反応し、男は楓にぐっと顔を近付ける。先程までの怒りは瞬時に冷め、次は品定めするかのような不敵な笑みを浮かべる。
「お前、よく見るといい体してんじゃん」
まるで舌で舐め回してきそうな不気味な笑顔が、楓の恐怖心を掻き立てる。楓もかなり身長が低く、男の大きな体を前に萎縮してしまう。
「おい、一緒にホテルに来い。そしたら許してやるよ」
「……え?」
男の衝撃的な発言に、楓は意識を置いていかれる。先程のトラブルや沸き立った怒りとは、脈絡のない台詞のように思われる。
「遊園地のすぐそばにあるホテルだ。丁度お前みたいなスタイルのいい女探してたんだ。来いよ」
「あ、あの……なんでホテルに……」
「あぁ? 俺の食い物台無しにしておいて、何の責任も取らずに帰るつもりか? 何でもするって言ったろ?」
ガシッ
男は楓の華奢な腕を掴み、無理やり引っ張った。
「痛っ……」
「本当に申し訳ないと思ってんなら、言うこと聞けよ。さっさと来い」
先程楓に見せた不敵な笑みと、いやらしい目付き。ホテルに連れ込もうとする態度。周りからみれば、男の意図は想像するに足らないだろう。
しかし、楓は恐怖でがんじがらめになり、男の目的も想像できずにただ力でねじ伏せられ、連れ去られることしかできなかった。
「お、お姉ちゃん……」
「ガキは引っ込んでろ。ほら行くぞ。へへっ、部屋でじっくり楽しませてもらおうじゃねぇか」
健を置いていき、男は楓の腕を引っ張って出入口へ向かう。楓の体をまじまじと眺めながら、ひたすら気持ち悪い笑みを浮かべる。楓は完全に恐怖に囚われ、助けを求める勇気もなくされるがままだ。
「い、嫌……」
ガッ
「痛っ! 何だテメェ!」
楓の腕から掴まれた痛みが消える。そして次に聞こえるのは男の罵声。恐る恐る涙でいっぱいになった目を開けると、そこには冷や汗を垂れながら男を睨み付ける裕光が佇んでいた。
「……」
「何しやがる! 客に向かって!」
男は怒り狂い、裕光に殴りかかる。
バシッ
裕光は華麗にかわし、男の腹に拳をお見舞いする。あまりの衝撃に男は腹を抱えて倒れる。
「お、おま……え……」
「……」
「ク……ソ……二度と来るか……こんなとこ!!!」
男はなぜか最後に遊園地への罵倒を浴びせ、逃げ帰るように出入口へと走って行った。その後ろ姿はあまりにも間抜けだったが、これ以上相手にする気が起こらず、裕光は見向きもしなかった。
「明石君……」
楓が涙を拭いながらこちらを見つめる。正直、助けるべきかどうか迷っていた。ずっと彼女を尾行していたため、男に絡まれていたことにも気付いていた。
しかし、人とまともに話すことができないのに、ましてや助けなど不可能に限りなく近い。勇気という言葉とはことごとく欠け離れた裕光は、なかなか助けに行く一歩が踏み出せなかった。
「……」
ようやくその一歩が踏み出せたのは、楓の涙が日の光を反射して輝いていたのが見えた時だった。彼女の涙が見えた瞬間、自分でも分からず体が先に動き出していた。
「あ、ありがとう……助けてくれて」
「別に、礼なんていらねぇよ。俺は清掃員だから、掃除しに来ただけだ。汚れをな」
あくまでも毅然とした態度を見せ続ける裕光。元々人との関わりを避けていた分、誰かに応援されたり感謝されたりすると、体がむず痒くなる。
しかし、楓は心の底から感謝する。裕光が男から救ってくれたおかげで、先程までの恐怖はどこかへ消え失せてしまった。裕光が助けてくれなければ、どうなっていたことか。
「本当にありがとう。明石君、強いんだね」
「う、うるせぇな。あんまり褒めんなよ。気持ち悪い……」
裕光にまで罵倒されてしまったが、なぜか悪い気はしなかった。この時の楓の瞳には、今までにないほど裕光が魅力的に見えていたという。
楓は裕光の中に僅かながら優しさを垣間見て、いつまでも微笑ましい笑みを浮かべていた。
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