第5話「落とし物」
「楓~」
朝、いつものように学校の制服に着替え、支度を済ませた楓は家を出ようとする。そこで父親の
「パパ……どうしたの?」
「ごめんごめん。渡すのが遅れちゃってたよね。はい、先月の分のお小遣い」
「帰ってからでもいいのに」
「忘れないうちに渡しておきたくて」
新蔵は楓に一万円札を差し出す。本山家では料理、掃除、洗濯などの家事を手伝うと、月末に一度お小遣いがもらえる制度がある。手伝いの度合い次第で、金額が上がる特典も付いている。
「え、一万円も!? いいの?」
「あぁ、先月は特に頑張ってくれたからね。特別だよ」
新蔵は楓の手を引き、一万円札をそっと手の平に乗せる。楓は申し訳ないと思いながらも、一万円札を財布にしまう。
父親は熱心に仕事に励み、なおかつ家で真摯に自分の面倒を見てくれる。そんな父親のために、楓は普段から家事の手伝いに精を入れている。
「そんな……当たり前だよ。パパ、いつもお仕事頑張ってるもん」
「楓……ありがとう。楓は本当にいい子だね」
新蔵は楓の頭を撫でる。これもまた、本山家の習慣の一つと言ってもいいだろう。楓の努力や優しさを目の当たりにすると、新蔵は楓の頭をよしよしと撫でてやる。楓は頭を撫でられるのが大好きだ。
「えへへ……///」
「じゃあ、行ってらっしゃい」
「うん、行ってきます」
そして、父親の温かい眼差しに見送られながら、楓は学校へ向かった。
「楓は本当に優しくて可愛い子に育ってくれたなぁ。君とそっくりだ」
新蔵は下駄箱の上に置かれた家族写真に語りかける。その中には幼い楓を中心に、楓の頭を撫でている新蔵と、隣には楓に優しく微笑みかける桃色髪の女性がいた。
「君のおかげだよ。ありがとう、
新蔵は亡き妻との思い出を振り返りながら、彼女の生き写しのように優しく育った楓の将来に思いを馳せた。
今日の授業は午前までだ。一日の後半分を自分の好きに過ごせるため、須未も今日くらいは真面目に授業を受けようとやる気に満ちている。
キーンコーンカーンコーン
真面目に受けていたら、時間はあっという間に過ぎていった。いつもより早めのホームルームを終え、生徒達は帰りの挨拶を済ませて鞄片付けを始める。
「よっしゃ~! 遊ぶぞ~!」
ピロンッ
須未が鞄片付けを終えた瞬間、彼女のスマフォが鳴った。家族からメッセージが来たようだ。
「うぇっ、工場手伝えだってさ……」
「そういえばあんたん家、工場だっけ?」
新川家は工業製品を生産する工場に勤めている。社会科体験学習と称して、須未も学生ながら時々仕事に駆り出される。
遊びに行こうと考えていた彼女は落胆する。メッセージを見るまでは軽かった教科書やノート類が、今となっては鉄の塊のように重く感じる。
「花の女子高生が機械いじりとか……まぁもう慣れっこだけど……」
「あ、楓ごめん。私も親戚と映画見に行く約束してて……」
「うん、いいよ」
日頃から一緒に登下校する二人が、それぞれ用事に追われている。特に何も抱えていない楓は、一人で下校することになった。夕飯の材料を何に、どこで買おうかなどを考える。
ガラッ
「あっ」
廊下に出ると、奥に裕光の後ろ姿が見えた。彼は今日もそそくさと下校し、遊園地のアルバイトに向かうようだ。
「明石君!」
楓は裕光の元へ駆ける。階段を下り始める前に、彼を呼び止める。振り返った彼の表情は、いつもながら『邪魔をするな』と言わんばかりに恐ろしい。
「あ、えっと……キャンディ、食べてくれてありがとね」
「……なんでお前がお礼を言うんだ?」
裕光は首をかしげて尋ねる。常識的に考えれば、キャンディを貰ったのは裕光側なのだから、お礼を言うのは彼の方だ。
「え、あ、そっか。あはは……」
「……」
楓はわざとらしい愛想笑いをかました。何も話すことが思い付かないが、何とか捻りだそうと頑張る。しかし、無計画に話しかけたことは、彼の目には明白だった。
「今日もバイト? 頑張ってね! 私、応援してるよ」
「あんまり大きな声で言うな。周りに聞こえるだろ」
「あ、えっと、秘密だったもんね。ごめん……」
しょんぼりした楓の表情を見て、一瞬罪悪感を抱いたように眉をひそめる裕光。いちいち相手にするのがめんどくさく、早く会話を終わらせるために威圧感を醸し出すが、少々態度を誇張し過ぎたのではと不安に駈られている。
「……」
そして、一番伝えるべきことを忘れていた。自分も楓に感謝しなければいけない。バイトを応援してもらった上にキャンディまで貰っている。まだ自分が『ありがとう』を伝えていないではないか。
「も、本山……」
「ん?」
感謝を伝えるべく、裕光は言葉を紡ぐ。しかし、普段からクラスメイトと話し慣れていないせいで、込み上げる言葉が喉の手前で詰まってしまう。緊張して冷や汗まで垂れてきた。
「え、あの……そ、その……」
「なぁに?」
楓の興味津々な表情も相まって、余計に言葉が喉につっかえる。ポケットから取り出したハンカチで汗を拭くも、流れっぱなしで一向に拭き取れない。なぜ言いたい言葉は詰まったままなのに、汗はこれほど溢れ出てくるのだろうか。
「あ、あり……が……」
「
「楓~!」
すると、須未がものすごいスピードで楓に駆け寄ってきた。突然裕光の元へと向かう楓を追いかけてきたのだ。
「須未ちゃん……あっ!」
駆け寄ってきた須未に気を取られ、再度振り向いた時には既に裕光は階段を下りて帰っていた。関係ない第三者が顔を出し、ばつが悪くなって逃げ出したのだろう。
「おっ、明石君だ」
「あ……楓、明石君と何か話してた?」
遠ざかる裕光の後ろ姿を見て、遅れてやって来た桃果が尋ねる。自分達が割って入ったことにより、二人きりの会話を邪魔してしまったかもしれないと、不安げな表情を浮かべる。
「ううん、大したことじゃないよ」
「まさか、今度は下着を盗まれて恐喝させられてたとか!?」
「だからなんであんたはそういう方向ばっか考えるのよ……」
「大丈夫だよ、須未ちゃん。帰ろ」
須未の相変わらずのおかしな方向を行く過保護精神に、桃果と楓は呆れる。楓はなるべく裕光のアルバイト事情が明るみにでないよう、会話の内容をはぐらかす。とりあえず昇降口に向かうべく、三人は階段を下りる。
「ん?」
「楓、どしたん?」
楓は先程まで裕光が立っていた段に顔を向ける。目を凝らしてよく見ると、何か落ちている。
「ハンカチ?」
落ちていたのはハンカチだった。階段と同じ
「ひろみつ……明石君のだ!」
「平仮名の刺繍って、これまた可愛いわね」
「確かに。意外ね」
生地の端に白い糸で『ひろみつ』と平仮名の名前が刺繍されていた。先程裕光が立っていた場所に落ちていたため、彼の私物で間違いなかった。
平仮名の刺繍に一瞬可愛らしさを感じてときめきつつも、急いで昇降口に向かった。
「うーん……」
「もういないねぇ」
「足の早いこと」
ハンカチを拾ってすぐに昇降口に走ったが、裕光の姿はどこにも見られなかった。彼の靴も下駄箱から消えており、既に下校してしまったらしい。恐るべきスピードだ。
「仕方ない。来週にしましょ」
「土日は学校ないもんね」
「……」
楓は鼠色のハンカチをじっと見つめる。彼は今、遊園地のアルバイトに向かっている。この間須未と桃果と一緒に行ったドリームアイランドパーク……道のりはある程度覚えている。
「……よし!」
楓の午後の予定が決まった瞬間であった。
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