第4話「頑張ってね」



「楓! 大丈夫だった!? 明石君に何か変なことされなかった!?」

「だ、大丈夫だよ……」


 教室に戻った楓は、今度は須未からの尋問を受けていた。裕光の時と比べるとまだ優しいが、親友であるが故の過保護な尋問だ。


「ほんとに!? こっそりエッチな写真撮られてて、それを見せつけられて『こいつをばらかれたくなかったら俺の奴隷になれ。性奴隷として俺の命令に忠実に従え』とか言われなかった!?」

「なんでそんなに限定的なのよ……」


 横で桃果が呆れ顔を浮かべる。須未だけでなく、周りのクラスメイトも楓を眺めながらボソボソと囁いている。裕光と何を話したのだろうかと、不審な表情を尖らせる。


「楓ならやられかねないでしょ! キャンディ一個貰ったら、相手が怪しいおじさんでも平気でホイホイと付いていくようなピュアな子なんだから!」

「須未ちゃん……私を何だと思ってるの……」


 全くありもしない楓の想像を膨らませ、注意喚起をする須未。楓も軽く呆れつつ、裕光の様子を確認する。

 彼は他人のふりをしながら、三時間目の英語の授業で出された英単語の意味調べの宿題を進めている。放課後にスムーズに帰れるようにするためだ。あの様子から、今日も遊園地のアルバイトに行くらしい。




 キーンコーンカーンコーン


 ガサッ

 ホームルームが終わってチャイムが鳴ると、案の定裕光は鞄片付けを終えてさっさと教室を出てしまっていた。クラスメイトの目からは、まるで一番に教室を出ていく者を競っているように見えた。


「26秒……新記録だ」

「ほ~、かなり早くなったなぁ」

「この記録がどこまで伸びることやら」


 いつも陰口を言う男子生徒達からは、片付けを始めてから教室を出ていくまでの時間を計測されている程だ。


「あいつ本当に何なんだ?」

「社交性がねぇ奴はモテねぇのにな」

「顔は悪くねぇけど、性格があれじゃあ無しだな」


 普段から友人を作らず、一人惨めに過ごしている裕光を見て、クラスメイトは好き勝手に罵倒する。本人がいてもいなくても容赦がない。


「明石君って、なんでいつも慌てて帰ってるんだろ?」

「さぁ、毎日どこか寄るところがあるんじゃない?」


 須未と桃果は鞄片付けをしながら、もういなくなった裕光の席を眺める。不親切な男子生徒達程ではないが、二人もまた裕光の行動に不信感を抱いていた。自分達と真逆の生き方をする人間の考えは理解できない。


「まぁいいや。楓、帰ろ~」

「……ん? 楓?」


 二人はいつものように楓と一緒に帰ろうとするが、彼女の姿は教室のどこにもなかった。裕光に次いで早く教室を出てしまったのだろうか。しかし、彼女の鞄はまだ後方のロッカーに置かれていた。


「楓……?」







「17時から21時……」


 裕光は廊下を進みながら、スマフォでアルバイトのシフト表を確認する。今日も放課後から仕事が入っているのだ。のんびりしているわけにはいかない。


「よし」






「明石君……」


 階段を下りようとすると、背後から声をかけられた。裕光を呼んだのは楓だった。まさか、急いで下校しようとする自分を付けてきたのか。


「何?」

「あ、あの……よかったらこれ……」


 再び威圧するような態度に屈することなく、楓は勇気を出して手を差し出した。手の平にキャンディを置いて。昼休みのお菓子パーティーの際に須未からもらったナメキャンのまろやかミルク味だ。


「飴?」

「う、うん。今日もバイトあるんでしょ? これ食べて頑張ってほしいな……」


 手の平に乗っかった小さなキャンディ。これだけのために、楓はわざわざ裕光を追いかけたようだ。

 いつも放課後に急いで教室を出ていくのは、遊園地のアルバイトに向かっていたのだと納得した。そんな彼を応援するために、楓は疲れを癒す甘い物を差し出した。




「……ごめん、いらない」

「え?」


 裕光はきびすを返し、階段を下りていった。


「明石君!」




「あ、いたいた! 楓!」


 再び追いかけようとする楓を、須未と桃果がやって来て呼び止める。楓の足は止められ、裕光は行ってしまう。


「楓、どこ行ってたの?」


 再度階段へ目を向けると、既に裕光の姿はどこにもなかった。流石男子だ。逃げ足が早い。裕光がいなくなった階段と、二人を交互に見る楓。


「ごめん。お手洗い行ってた」

「それなら言ってよ~。一緒に行ったのに。みんなで連れションしようよ~。青春の証でしょ」

「なんで連れションが青春の証なのよ……」


 須未の女子高生らしからぬはしたない発言に、桃果がつっこむ。楓はもう姿が見えないというのに、尚も裕光が先程まで下っていた階段を見つめる。

 楓は裕光を追っていたことも伏せておくことにした。そこから裕光のアルバイトの話題へと転じないようにするためだ。


「……」


 よかれと思ってキャンディを渡しに行ったのだが、裕光の近寄りがたい風格はかなり手強い。自分の懐に入り込もうとするのをよしとしない。

 遊園地でアルバイトをする理由や、クラスメイトに頑なに内緒にしようとする訳も気になる。それを聞き出すには、まだ時間と心の余裕がお互い足りないようだ。








 キーンコーンカーンコーン


 ガサッ


 ガラッ


「……24秒。記録更新!」

「日に日に早くなってるぞ」

「まぁ、だから何だって話だがな」


 昨日と同じ光景が繰り広げられる。鞄片付けを終えた裕光が爆速で教室を出ていき、クラスメイトから陰口を言われる。


「まぁでも、友達一人もいないわけだし、早く帰るしかねぇか」

「案外孤独に酔いしれてるかもしれねぇぜ。一匹狼の俺、カッコいい~みたいな」

「うわぁ~、ヤベェ奴じゃん」


 クラスメイトの考える罵倒も、日を追うごとに酷いものになっていく。裕光が遊園地のアルバイトへ向かっているという事実を、楓以外のクラスメイトは知らない。知らないが故に好き放題に言えるのだ。


「……」


 唯一事情を知っている楓は、クラスメイトの罵倒が偶然耳に入ってしまい、眉をひそめる。いくら事情を知らないからといって、言い過ぎではなかろうか。注意したいところだが、今日は放課後に須未と桃果と遊びに行く約束をしている。


「楓~、早く行こ~。桃果、今日こそ負けないわよ。負けたら来週クレープ奢りね」

「受けて立つわ」

「須未ちゃん……お金無いんじゃなかったっけ……」


 ゲームセンターの格闘ゲームで大好きなクレープを賭け、バチバチと火花を散らす二人。楓は苦笑を返しながら、内心裕光のことを思う。遅れないように一旦彼のことを忘れ、二人の後を付いていく。








「はぁ……」


 裕光はため息をこぼしながら昇降口へ向かう。自分が影で非難されていることは承知である。知った上で聞こえないふりをするのは、実に辛い。至って冷静なように見えながら、内心傷付いていた。


 だが、仕方ない。これも自分で望んだ運命だ。今更変えようがないのだ。


 キー




「……ん?」


 自分の下駄箱を開けると、靴の隣にキャンディが一粒置かれていた。昨日楓が渡そうとしたナメキャンのまろやかミルク味だ。誰が置いたかも明白である。

 朝登校した時か、あるいは休み時間か昼休みか。いずれにせよ、楓は意地でもキャンディを渡そうとしているらしい。対面では受け取ってもらえないと思っての判断だろうか。


「……」


 裕光はキャンディには触らず、何も見なかったふりをして上履きを脱いだ。何のつもりかは分からないが、偶然一度会っただけの者からのプレゼントなど受け取る気はない。それに、自分は甘いものが苦手だ。


「……あっ」


 靴を取り出そうとした瞬間、キャンディの下にノートの切れ端が挟まっていることに気付いた。何かのメッセージだろうか。まずは先にそちらを確認することにした。




 バイト 頑張ってね




 可愛らしい筆跡でそう書かれてあった。昨日の楓が見せた不器用な笑顔を思い出す。自分でも怖がらせるような態度をとってしまったことが申し訳ないが、それでも彼女はなぜかこちらのことを気にかけてくる。


「……」


 裕光は包み紙を外し、キャンディを口の中に放り込む。ミルクの甘い味わいが口内に広がる。舐めながら靴を履き、学校を後にする。


 決して楓の優しさに心を動かされたわけではない。きっと彼女は後で自分の下駄箱を確認し、キャンディを受け取ってもらえたか確認することだろう。そこでキャンディが残っていたらどう思われるだろうか。

 これ以上彼女の好意を無視するのは流石に申し訳ないため、仕方なく貰っておくだけだ。そう言い聞かせながら、裕光は早歩きで学校から離れる。


「んん……」


 あまりの甘さに眉をひそめる。裕光は甘いものは苦手だ。応援されたことも相まって、甘い味わいが実にむずがゆい。こんなものを貰ってもありがた迷惑である。




 しかし、不思議と不味くはない。今日だけはなぜかそう思えた。


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