第1章「清掃員」
第3話「秘密にしてくれ」
「おはよ、裕光」
「おはよう」
早朝。
『いただきます』
手を合わせ、朝食に手をつける。特に盛り上がるわけでもなく、かといって気まずい空気になるわけでもない。至って普通の朝の風景だ。
「裕光、最近学校どう? 二年生になって少し経ったけど、新しい友達できた?」
どうやら女性はその空気が耐えられなかったようだ。沈黙を解そうとしての一言か、裕光の学校事情について聞き出す。しかし、彼の学校生活の話題で彩ることができるほど、二人の間に漂う沈黙は柔軟ではなかった。
「
「あ、ごめん……」
裕光は可能性のことを『曽夜香さん』と呼んだ。つまり、彼女は裕光の母親でも姉でもない。血縁関係もないようだ。しかし、
「曽夜香さんは今日も仕事?」
「えぇ。裕光も放課後シフト入ってたでしょ?」
「あぁ」
曽夜香は愛知県花江市にあるテーマパーク『ドリームアイランドパーク』でガイドの仕事をしており、裕光も高校生ながら同じ遊園地で清掃員のアルバイトをしている。
朝食の時間にお互いの本日の予定を確認する。二人はタメ口で話す間柄らしい。そして、裕光が唯一対等に話せる相手のようである。
朝食を終え、高校の制服に着替えた裕光は、キリッとした表情で家を出ていく。学校の授業がめんどくさいとか、放課後のアルバイトがダルいとか、高校生らしい思考は持ち合わせていない。何も複雑なことは考えず、ただ機械のように予定をこなすだけだ。
ただ、学校での人付き合いに関しては別だった。
ガラッ
「お、来たぞ」
まるで獲物を待ち構えていた猟師のように、企みを込めた笑みを浮かべるクラスメイト。裕光が教室に入ってきた途端、数々の鋭い視線を浴びせる。裕光は彼らを無視し、気に留めていないふりをして自分の席に座る。
「挨拶は無し……と」
「よし、じゃあ何回人と話すか賭けようぜ」
「外した奴は昼飯奢りってことで」
「あ、先生との会話はノーカンだからな!」
黙ったままの裕光を眺めながら、男子生徒達は賭け事を始める。裕光が今日一日人と会話する回数を当てようというものらしい。
それぞれ「あいつが人と話すわけないから0回」「話しかけられる可能性も考えて2回くらい」と、好き勝手に予想する。悪趣味な遊戯だ。
裕光は気にするなと自分に言い聞かせ、学校鞄から教科書やノートを取り出して机にしまう。達の悪いクラスメイトから陰口を言われたり、批評を聞かされることなど日常茶飯事だ。
面倒な人付き合いなどしない方が得策である。そう考えて、裕光は沈黙を貫き通す。
「……」
ふと、裕光は教室を見渡して彼女を探す。先日アルバイトをしていて、偶然遊園地でばったり会ってしまった彼女だ。
あれは間違いなく同じクラスの女子生徒だった。人と話すことは苦手だが、人間観察はよく行うため、顔を覚えるのは得意だ。裕光は、彼女がクラスメイトに自分のアルバイトの件を話していないか危惧していた。
だが、朝からクラスメイトの様子を見た限りでは、裕光への当たり障りは以前と比べて変化はない。どうやらまだ知られてはいないようだ。
ガラッ
「でさ~、そのガム『あたり券』と『はずれ券』両方入ってたのよ! どっちなんだい! ってね」
「お菓子のお話聞いてたら、私も食べたくなっちゃった……」
「どうせ昼休みに食べるでしょ」
教室に三人組の女子生徒が入ってきた。右端から緑髪のツインテールの常識人っぽい女、そしてオレンジ色の長髪の馬鹿っぽい女、最後に濃い茶髪ボブの背の低い女だ。
「……!」
裕光は目を見開いた。三人目の茶髪ボブの背の低い女……。彼女こそ裕光が遊園地でアルバイト中に顔を見られたクラスメイト、本山楓だ。
ガッ
裕光は鞄片付けを進める手を止め、席から立ち上がった。話しかけるのは気が引けるが、他のクラスメイトにアルバイトの件を話していないか、確認する必要がある。唾を飲み込み、友人と談笑する楓の元へと歩み寄る。
ガラッ
「はよ~。お前ら、そろそろ席に着けよ~」
すると、教室に担任の先生が入ってきた。時刻を確認すると、午前8時12分。のんびりしている時間はなさそうだ。裕光は一旦諦め、怪しまれないように自分の席へ戻った。
「……」
楓は学校鞄を抱えたまま、裕光の背中を眺めていた。
「楓、これ食べる? ナメキャン、まろやかミルク味」
「ありがとう! これ好きなんだ~」
須未が差し出したキャンディの袋に、楓は手を入れる。昼食を終えた楓、須未、桃果の三人は、花の女子会もといお菓子パーティーを開いていた。
席をくっ付け、クッキーやらチョコレートやらポッキーやらを食い散らかして盛り上がる。甘い香りがそこら中に漂い、いい意味で近寄りがたく微笑ましい空気だ。
そんな空気に大変似つかわしくないような人物が、楓の元へと歩み寄ってきた。
「……本山」
「ん? あっ……」
楓が声が聞こえた方へ顔を向けると、裕光がもじもじしながら
「明石君……」
「ちょっと……来てくれ……」
「あ、うん……」
唐突の呼び出しに困惑する楓。しかし、十中八九先日の遊園地のアルバイトの件だろう。何か重要な話に違いないと察し、臆しながらも楓は裕光に従う。
「え、な、ちょっ……楓!?」
「明石君……なんで……」
困惑していたのは須未と桃果も同じのようだ。二人の動揺は教室中に広がっていき、クラスメイト全員が首をかしげた。いつも物静で人と全く関わらない裕光が、楓を呼び出してどこかへ連れていこうとしている。
「な、マジかよ!?」
「よっしゃ~! 俺の一人勝ち~!」
賭け事をしていた男子生徒達も驚愕する。周りが全員0回に賭けている中、大勝負に賭けて1回以上と予想していた男子生徒一人が、高らかに歓喜の声を上げる。
ざわつくクラスメイトの視線を浴びながら、楓は裕光に付いていく。
楓は階段の踊場に呼び出される。昼休みはほとんどの生徒達が教室か食堂に留まり、人の通りは少なくなる。しんとした空間の中で、裕光は楓に恐る恐る尋ねる。
「本山楓……だよな?」
「うん。明石裕光君……だよね?」
普段から全く交流のない二人であるため、話す前に軽い自己紹介が必要だ。心底めんどくさい。必要以上の馴れ合いに時間を食うわけにはいかない。裕光は早速本題に入る。
「お前……この間ドリームアイランドパークで俺に会ったろ?」
「う、うん。やっぱり明石君だったんだね」
楓は須未と桃果と共にドリームアイランドパークに遊びに行き、そこで清掃員のアルバイトをしていた裕光と偶然出会った。やはり人違いではなかった。裕光の存在を確認したのは楓だけのようだ。
「あれって……その……アルバイト?」
「あぁ」
「そっか。い、意外だね……明石君が遊園地でアルバイトなんて」
「……悪いか?」
「あ、いや、別にそうじゃなくて……ご、ごめん……」
彼の威圧するような話し方と高い身長のせいで、楓は少々萎縮してしまう。普段から近寄りがたい風格を醸し出してはいたが、いざじっくり話してみると、それがしみじみと伝わってきて怖い。
「まぁいい。一つ聞かせてくれ。俺が遊園地でバイトしてるってこと、他の奴には言ったか?」
「え? い、言ってないよ……」
まるで尋問官のように尋ねる裕光。一言一言が余計な程怖い。だが、楓は正直に答えた。当時彼が主張したように人違いの可能性も危惧し、誰にも裕光のアルバイトの件を明かしていない。同じく遊園地に来ていた親友の須未と桃果にもだ。
「本当か? 本当に言ってないだろうな?」
「ほ、ほんとだよ……」
裕光の態度があまりにも恐ろしく、楓の瞳には涙がにじみ出てきた。こんなに恐ろしくては、人も話しかけてこないわけだ。普段の立ち振舞いから、自分からわざと話しかけづらい空気を作っていることも想像できる。
「分かった。できればこれからも秘密にしといてほしい。絶対に他人に言いふらすなよ」
「う、うん……」
「それだけだ。じゃあ」
裕光は言いたいことを全て伝え終えると、楓を踊場に一人残し、階段を登って教室へと戻ろうとする。遊園地でアルバイトをしているという事実は、余程恥ずかしいのか秘密にしておきたいようだ。
楓は裕光の寂しそうな背中を眺める。
「あ、待って! 私からも聞かせて!」
もやもやした気持ちを解消させず、このまま裕光を帰す気にはなれなかった。楓は勇気を出して裕光の心に歩み寄った。
「なんで遊園地でアルバイトしてるの? なんで……みんなには内緒なの?」
「……お前には関係ねぇだろ」
そう言って、裕光は逃げ帰るように教室へと戻っていった。
「明石君……」
踊場にぽつんと残された楓は、存在すら忘れ去られた落とし物のように、突っ立ったままで動けないでいた。
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