プロローグ2(前編)
【楓】
「はぁ……はあ……はぁ……はぁっ……ンッ♪」
校舎の上階からここまで、キロ単位を疾走してきた楓だったが、底知れぬ体力もさすがに息切れしながら集合場所に合流した。
自動販売機の側面に手を突いて息を整える。絶妙のタイミングでミネラルウォーターが桧から手渡された。
【楓】
「……ん……ン……んぐ……んっ…………んぅ……んぐ……んぐっ……」
【柾】
「前屈みで荒い息づかいは、じゃじゃ馬でもなかなかソソるものがあるな。うむうむ。無駄に長い脚が産み出すチラリズムは実によい眺めだ」
【楓】
「はぁ……はぁ……ちょっと、なにヤラシイ顔で見てんのよ! あっちいけ、シッシッ。はあ、しんど! めっちゃ走ったわ……ヒノキーお水ありがと♪」
薊学園の敷地のすぐ側にコインパーキングがある。適度な広さ、明るすぎない照明、自動販売機……新聞部の三人はそこを合流地点としていた。
中距離走であれば"インハイ"レコードタイム。彼女がもし競技の道に進んでいれば、ちょっとだけ歴史が変わっていたが、本人も周囲もその才能にはいっさい気付いていない。
【楓】
「コレ見て。扉に挟んでいたのが落ちてきたんだと思う。じゃないなら、天井にそういう細工をしていたのかも」
楓が桧に紙切れを手渡すと、桧は自分では確認せずそのまま柾に見せた。完璧なまでの秘書属性が柾にとって心地よかった。
『ドロボウ猫プギャー!m9(^Д^)』という、イラッとくる煽り。
加えて神目楓がこれを手にすることの見通し。
【楓】
「……私が潜入することまで予期してたって事よね。そんなの普通できる?」
【柾】
「この手の『予言トリック』ってのは、いろいろやり口があってだな。メンタリストって聞いたことあるだろ? お前みたいなオカルト大好きゴシップ女がよく騙されるやつだ……ッた、痛ぇぞ八束、踏むな踏むな!」
【桧】
「時間も時間です。この格好だと人目にも付きますし、ここを離れるのを優先しましょう」
ブーツの踵で踏まれて動けない柾にローキックの一発でも入れようと、ムエタイの構えで御御足を披露、威嚇する楓はそのポーズのまま、
【楓】
「ウン……そうね、制服のままはマズイか。どこか落ち着いて話せる場所……っていえば、やっぱりあそこか…………いるよねー、すぐラブホテルとか言う寒いヤツ! ちょっと八束さん、行ってみたいとか言わないで、お願いだから!」
本当にどんなものか知りたかった八束桧は大層残念そうな様子。
今度一緒に行こうな? という柾に、回し蹴りを喰らわす楓。
そんな仲睦まじい様子を母親のように見守る桧だったが、自分が身動き出来なくしたせいで渾身の蹴りを満足にガードさえ出来ず完璧に喰らい悶絶する男を見て、多少なり罪悪感を感じた。
***
敢えなく撤退となった"
新聞部の面々は、とある高級マンションの上階にいた。
そこはいわゆる富裕層が住む住宅街の中でもひときわ良い立地で、エントランスへと続く通路は木々に挟まれた御影石、内部は大理石が敷き詰められ、警備員と共にコンシェルジュが常駐している。
そんな中を薊学園の制服を着た小僧と小娘が歩んでいく。
当初こそ緊張感があったものだが、もう何度ここに通ったことか。今は顔見知りの関係だった。
【花梨】
「で、それがこの紙切れ? ふーん……なんかいっぱい書いてんね」
ローテーブルの上に置かれた紙切れを手にして、
神目楓がポニーテールなら、奄美花梨はツインテール。両サイドでまとめた長い髪が特徴的だが、常に眠そうでダルそうな顔をしている。性格も相当にめんどうくさいダウナー女子。
【柾】
「だいたいだな、奄美よ、お前も一応は新聞部だろうが? 調査に参加しろ調査に」
ビルトインキッチンというより、まるでキッチンスタジアム。料理対決でもすんのかというレベルの大型冷蔵庫から炭酸水のペットボトルを取り出しながら柾が言った。人ん家である。
無駄に広いリビングにはシステムソファ、大きなテレビに観葉植物。富裕層向けモデルルームのようなこの部屋に、女の子二人で住んでいる。
【花梨】
「だって、帰るの遅いと茅花が怒るんだもん。あの子、最近めっちゃ私に厳しい……反抗期かな?」
茅花というのは奄美花梨と共にこの部屋に住む女の子で、
名字の違いだけでなく、この贅沢極まりない住環境を含め、複雑な事情を孕んでいるようだが、特にそこに触れないのが面々の良いところでもあった。
その茅花嬢、既に米国にて学位を取っている天才少女でもある。
日本の基準で言えば中学生。しかしなぜか薊学園に編入してきた上に、ここにいる新聞部の連中より先輩にあたる『三年生』として在籍している。
【桧】
「奄美さんを心配しているんですよ」
【楓】
「そうそう。放って置いたらホイホイどこにでもついて行っちゃう尻軽だしねー。妹はあんなにいい子なのに、まったくこの姉ときたら……」
【花梨】
「わたし、尻軽じゃないですぅ、ダーリンひとすじだしー」
言いながら柾に駆け寄ると、わざとらしく腕を組んでイチャイチャし始める。
【柾】
「だぁれがダーリンだ、誰が。久しぶりに聞いたぞダーリンって。こ、こら、胸を押しつけるな!」
【花梨】
「エー? オッパイくらいでなに慌ててるの? お互いぜんぶ知ってる仲じゃ~ん?」
言いながら花梨はチラ、と楓を見る。
【楓】
「……あら、仲のよろしいことで。英田、言っておくけど私、ぜんぶ嫁に言うかんね?」
感情を殺した顔で完璧な棒読み。目は糸のように細く冷ややか。
【柾】
「なんだよ嫁って。あのチビの事だったら凄絶な勘違いだぞ」
【花梨】
「私は二号でも三号でもいーよ? ……あっちの相性はイチバンの自身あるし❤」
わざわざ耳元に艶っぽい唇を近づけて甘い声色で囁く。
そう、当てつけ。
こうして場の秩序を乱すのを生きがいとするのが奄美花梨。薊学園二年生、新聞部(仮)所属。
【花梨】
「いたたた! 痛いってばヒノキぃ! 冗談だってば!」
いつの間にか忍び寄っていた桧が、柾から花梨の身体を引き剥がす。
基本、恐いものなしの奄美花梨だが、なぜか八束桧とは相性が悪かった。っていうか怖かった。
【楓】
「メッセージが既読にならないってアンタの嫁が心配してるんですけど?」
楓が自分のスマホを見せながら言う。メッセージアプリを確認しろと。
見ると確かにメッセージの通知が貯まっていた。
【花梨】
「そういや英田っちってぜんぜんこの手のやんないよね」
【柾】
「こっちの都合もお構いなしにピコピコ鳴るのが嫌いなんだよ。音も振動もオフ! 用がありゃこっちから電話する」
【花梨】
「へえ……でも私の送るえっちぃのにはすぐ反応くれるよね。音しないのに、ヘンだなぁ……」
【柾】
「そ、そんな適当な事を言うんじゃありません! まるで俺が奄美のエッチな画像をコソコソ貰っているように聞こえるでしょうが!」
【花梨】
「じゃあもういらない?」
【柾】
「…………いる」
【花梨】
「そゆとこ好き❤ 反応イイ構図考えるの楽しい♪」
【柾】
「えへへ❤」
【楓】
「なに馬鹿みたいな顔してんのよ」
【柾】
「生まれつきこんな顔だ。神目、一緒にいると伝えといてくれ。そのうち帰る。で、改めておまえらに言っておくが、あいつの家の部屋から俺の部屋が見えるから帰ってないと心配して言っているだけのであって、それこそ一緒に暮らしてるとかないからな? どこの世界の話だそれは。そもそも、心配されるような関係でもない。まったくない。人ンち監視しやがって……よっぽど暇なんだろうな」
【花梨】
「へー」
【桧】
「よく喋りますね」
【柾】
「お前らなぁ……」
【楓】
「ここいらで一番可愛いと評判の子を袖にするとか、たいしたイケメンさんですこと。はい、送った」
【柾】
「うっせー。神目、お前もあいつと親友だとか言うならちゃんと教育しとけ」
【楓】
「はーあ? なにエラソーに。私はいつでも
【柾】
「ああもう、めんどくせー連中だな……ウマにツインに無表情ロボめ。ん? そういえば、茅花ちゃんは?」
【花梨】
「もう寝てる~」
【柾】
「よし、ちゃんと眠れているかお兄ちゃんが確認してこよう……冗談だよ、冗談! 女の冷ややかな目は精神に来るからやめろ! この紙切れ対策会議を始めるぞ」
・・・
・・
・
ドロボウ猫とその一味は、神目楓の持ち帰った紙切れを凝視する。
実はこの紙切れには小さくインターネットのURLが書かれていた。文字列の後半はやたらと長く、かつ乱雑な英数字。
新聞部のIT大臣、八束桧は自分のノートパソコンを取り出してなにやら始めた。
【桧】
「この紙切れに書かれたアドレスですが、大手動画共有サイトのものに間違いありませんね。偽装も無し。ただ、文字列を見る限り一般に公開する用ではなく、非公開……つまり、このURLを知っている者以外はアクセスできないページです」
【柾】
「面倒くさいIDやパスワードとか無しに、仲間内だけで共有するタイプか……アクセスすると、変なスクリプトが動いてまずいことになる、なんてことは?」
【桧】
「基本的にこのサービスはフォーマットに従って動画をアップロード、加えて説明文を入れるくらいしかできませんね。いま、その手のチェッカーを走らせていますが、トラップは検出されず……」
【楓】
「いきなりグロいのとか出てきたら私、寝られなくなるからヤなんだけど」
【花梨】
「楽しそうだし見りゃいいじゃん。なにかマズイのー?」
【柾】
「スパイウェアを入れる罠だとか、精神的トラップまで疑ってかからなきゃな。念のため、ってやつだ」
物怖じしない花梨はイケイケ。楓は意外と臆病。桧は冷静そのもの。
柾はその性格から何が出てくるか速く見たい!という興味本位だけがあったが、それは口にはしなかった。
そんな柾の横顔を見て何かを察したのか、
【桧】
「10分ほど時間を頂ければ、足の付かないVPNを用意した上で、このノートに仮想空間を構築できます。サンドボックスですから、何があっても大丈夫です」
【柾】
「ふむ……八束がそう言うのなら試してみるか」
【桧】
「わかりました。では、回線の方から準備します」
言い終わるより前に、桧は普段使いのスマートフォンとは違うスマホの電源を入れていた。それは彼女が持つ複数台のうちの一台で、あやしいサイトを巡回する際に足跡を残さないようにするための"踏み台"。
念には念を。
こちらの行動の先を行った相手なのだから、やり過ぎという事もないだろう。
こういった時の八束桧は本当に有能で、聞けばすぐに答えが返ってくる。柾も楓も心から彼女を信頼していた。
桧自身も、頼られるという事に心地よさを感じていた。
一方、想定外の行動を取る人物もいた。
【花梨】
「別に回りくどいコトしなくても見りゃーいいじゃん? どうせ動画っしょ? ぽちぽち、ぽちぽち……よっと♪ おー、なんか出てきたよー?」
口ではポチポチと言う割に、ノートパソコンのキーを叩く速度は一閃……ッターン!とエンターキーが押されたのを見て八束桧は思い出した。複雑で、百数十文字にも及ぶ長い不規則文字列を瞬時に記憶できる人物がこの新聞部にいた事を。
24時間眠そうでダルそうにしているくせに、瞬間記憶力……映像記憶の特殊能力を持つダウナー娘、奄美花梨。天才少女の姉である。
その花梨の頭を桧は引っ叩いたが、アクセスが止まるハズもなく……
十中八九大丈夫なのはわかっていたが、さすがに一同、身構えた。
こんな回りくどい事をする連中の用意したURLだ。間違いなく、この先にあるのはろくでもないに違いない。
しかし……
<選択肢>
>クラく考える ※いまは選択できません
>アカルく考える
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