ミライ202X
三宅蒼色
プロローグ
メイングラウンドと校舎、敷地外を繋ぐ歩道の間に点々と設置された常夜灯。薄い灯りがかろうじて校舎を照らしている。
その並びにある屋外時計の針は22時を回ったあたりを指す。練習熱心な運動部も、さすがにこの時間まで残っている人間はいない。そもそもこの学校の門限は20時と定められている。
教員も帰宅したであろう時刻に、誰もいないはずの校舎内で人影が蠢く。不審者だ。
学校に不審者は付き物であるが、深夜のそういったヤカラはおおよそ熟練度の高い変態でもある。
先の報道でも、夜の校舎で窓ガラス壊して回らず置いてあった女子の制服を盗んでその場で着た男が、校内のトイレに何故か潜伏していた男と鉢合わせするという「あっ……」と思わせる事件があった。現代社会の闇が産んだ哀しい事件でもある。
コツ、コツ、コッ……
静かな夜の道をパンプスの女性が歩いているような音がする。
一階は文化系の部室などがあるエリアだが、人影は上階にあった。教室の他に、学校の運営に必要な施設がある。
足音は迷いを知らず、目的の場所を目指し小気味よく歩く。
鉄筋コンクリート製の建造物は、夜になると初夏でも涼しさを感じた。
厚めのヒールまで備える学校指定の革ブーツが、薄暗い廊下を小気味よくコツコツ鳴らしている。
背の高い細身の人間……歩く度に尻尾のような影が後を追う。
人影はこの学校の制服を着ており、悪びれる様子もなく、むしろドヤ顔でその場所に急いだ。
残念ながら中年のオッサンが不審者でなく、長身の女子生徒が目指した先……そこは放送室。
いわゆる校内放送を行う学校の施設で、大小の違いこそあれ今時どこの学校にもある設備だった。
扉は他の特別教室と変わらぬ引き戸。壁に背をあて、中の様子を伺う二年生の新聞部所属『
【楓】
「灯りは点いてない。気配もない。鍵は……ウン、かかってる。予想通り、連中は帰宅したようね。行けるわ!」
教員の使う放送設備は職員室に簡易のものがあり、この放送室は基本的に生徒主体の『放送部』によって管理されていた。
楓の、少々芝居染みた独り言に対し、スマホを通じた無線ヘッドセットに男の声が届く。
【柾】
『なーにが"行けるわ"だボケ。
そう言うのは新聞部部長、
【楓】
「うっさい。人がせっかくスパイ気分に浸ってンだから邪魔すんなハゲ」
学園の敷地外で指示する男子生徒に悪態を吐く少女は、スカートのポケットから鍵を取り出して放送室の扉を開けた。
中は真っ暗だ。すっかり諜報員気分でノリノリの神目楓は、100円ショップで買っておいた軍用ハンディライト(によく似た何か)を点灯させる。
"それっぽい"ので口にくわえようと思ったが、そこは彼女の乙女な部分が拒否……いや、誰も見てないから普通に照らした。女は見られて輝くのである。
ヘッドセットから『誰がハゲだこのコソ泥ウマ娘』がどうのこうの聞こえるが、そこは相手にしない。
放送室に侵入すると、今度は重厚な遮音用の扉があった。扉の向こうがスタジオ、手前が副調整室、いわゆるサブといわれる空間になっている。
簡単に説明すれば、放送室にすっぽり包まれるような形で、中にスタジオが収まっている。
防音のための独特な壁と見慣れない機材の数々。その機材からなのか、はたまた特殊な壁の作りからなのか、校内では嗅いだことのない独特の匂いを感じた。
【楓】
「スタジオの扉に鍵はかかってないみたいだけど、どうしよう? 入ると何かセンサー的なものとか反応しちゃう? なんか天井で赤いのが点滅してるんだけど……」
【桧】
『それは学園が委託している警備会社の動体検知システムが待機状態であることを示しています』
心配そうな声に淡々と応えたのが、やはり同じ新聞部の二年生、
【楓】
「大丈夫だってことヒノキー?」
【桧】
『はい。23時になると自動的に作動し警備会社とオンライン化、点滅が点灯に変化します。校舎内での行動は安全を考えてあと15分』
【柾】
『放送部の合鍵もいつの間にか手に入れてたし、防犯システムまで理解してるのか……23時とかよくわかったな八束』
【桧】
『シリンダー型の平鍵は単純ですから。柔らかいモノを使うのが一番楽ですが、今はスマホのカメラで撮れますしね』
【柾】
『粘土のアレな……今も昔も変わらんなあ。カメラって事は、形状だけでいけるものなのか?』
【桧】
『規格化されていることが弱点ですね。時間に関しては、警備会社の資料と学園側の最終キー、つまり教員室を最後に出る人間がセキュリティを稼働させる端末の型番がわかれば簡単です。(まあ、顧問の建部先生に聞いたらアッサリ教えてくれたわけですが)』
【柾】
『さすが我が新聞部のフジコだな』
【桧】
『フジコじゃありませんが、とっとと指示を出してくださいルパン。あと14分10秒』
そこだけは女性ぽい仕草で腕時計の秒針を見る桧。
【柾】
『無表情なクセに誰よりもノリのいいお前が俺は大好きだぞ。よし、今夜、伽をしろ』
【桧】
『わーい、ご主人様に誘われた、キュンキュンしちゃうー』
【柾】
『棒読みで言うな。こっちが傷つく』
【楓】
「ちょっと、全部聞こえてんだけどさー。こっちは敵地に潜入してンの、イチャイチャしてんじゃねーってぇのよ」
【柾】
『どこをどう聞いたらイチャイチャになるんだよ……で、だ、神目。証拠になるようなものをそのまま放置しているとは思えん。あの放送部の部長、人当たりはいいがどこか引っかかる。こう、どこが、というわけではないんだが……』
【桧】
『……(それは私も思う。相変わらず、適当なフリして見るところはちゃんと見ている人……)』
【楓】
「あんたは"女"だったら誰でも引っかかるんでしょうが、スケベ」
【柾】
『うむ、それは間違いない。だがああいうクセ無く明るい人間というのは、奥底に秘めたるモンを隠すためにそうするとか物の本に書いてあった』
【桧】
『私も部長の着眼は気になります。よもやトラップなんて仕掛けるような真似はしないと思いますが……』
【楓】
「『放送部が裏でアヤシイ放送を行っている。ごくごく一部の生徒しかアクセスできない学園闇サイトにて販売される"それ"を調査しろ』ってタレコミがあったのが、2週間ほど前だっけ」
【桧】
『はい。でも結局、生徒が使ういくつかの裏サイトを探しましたがそれらしいものは見つかりませんでしたね』
【柾】
『八束がウリやサポ、パパ活してる生徒の情報は"男女問わず"しっかりゲットしてくれたからな、俺がその気になればあの女どもをこのネタで脅して……フヒヒ♪』
【楓】
「アンタが悪事に荷担してどうすんのよ。それにそれ系の調査は私がすんの! 余計なことしないでよ」
【桧】
『まあ部長の事ですから、いつもの口だけ番長です。あと11分を切りました』
【柾】
『スタジオの中に何か怪しいモノがあるか? ちょっとしたメモとか、ゴミ箱の中のレシートとか。買っている雑誌の傾向で人の性格もわかるんだぞ。会話しながらサブの中は漁ってんだろうな?』
【楓】
「一流のスパイであるこの神目の楓サンが、ただぼーっと突っ立ってるわきゃあないでしょうが。なーんもない。ここホントに
【桧】
『データは個人のパソコンで管理しているのかもしれませんね。というよりそう考えるのが自然かと』
【柾】
『そうなるか……しかし、なら放送部である必要みたいなモンはどこにあるんだろうな。いまどき、スマホ一台あれば、いわゆる『ネット放送』なんて簡単にできるわけだし』
【桧】
『なるほど。そこが引っかかる、と』
【柾】
『あのタレコミがそもそも悪戯って可能性も当然考えたんだが、この学校に放送部なんてモンがあったことさえ誰も知らなかったレベルだろ?
【楓】
「一流のエージェントである私の目を欺く囮ってワケね。フフン♪」
【柾】
『ただの無鉄砲な馬鹿がどうしてそこまでドヤ口調でいられるのか理解に苦しむが、別の狙いがあっての放送部ってのは実にありそうな話だ」
【桧】
『……例の、
【柾】
『…………どうだかな』
【楓】
「ちょっと! 人のボケをスルーしてそっちで勝手にシリアスにならないでくれる? 私がバカみたいじゃん」
【柾】
『いま気付いたのか……ギャッ! 痛ェ!』
【桧】
『神目さんの怒りは私が代わりにぶつけておきましたので』
【楓】
「さすがヒノキー。もう2・3発殴っといて!」
【桧】
『はい』
【柾】
『八束オメーのパンチはガチで痛いんだよ!』
【桧】
『残り9分を切りました』
【柾】
『ギャッ! ……時計見ながら掌底打ちとか殺人マシンみたいな動きすんな! そういや放送室だろ、ビデオカメラはどこにある? メモリーカードに何か残ってるとかねえかな?』
【楓】
「あー、そういえば見当たらないかも。放送室って言うくらいだから、小さなやつでもひとつくらいあるよねえ、普通は」
【桧】
『神目さんの場所からは死角になっていますが、スタジオの中にロッカーがあって、その中にしまってあります。民生用の高いやつが一台と、ファミリー向け二台。ICレコーダーなんかもありましたね』
【柾】
『……』
【楓】
「……」
【桧】
『……どうかしましたか、いきなり2人黙り込んで。あと8分』
【柾】
『いや、なんでお前がそれを……』
【楓】
「わっ、ほんとだ! こっから覗くと手前に小さいロッカーがあるわ。なんでヒノキーが知ってんの?」
【桧】
『ああ、そういうことですか……私、午前中に授業を抜け出して忍び込んだんです。ICレコーダ含めメモリ、内蔵データは全部チェックしましたが特に何も見つかりませんでした』
【柾】
『…………』
【楓】
「…………」
【桧】
『……?』
【柾】
『なあ八束。もう、お前がひとりで全部やればいいんじゃないかな』
【楓】
「そうよね、この合鍵もそうだし、潜入プランもそう……データ管理もぜんぶお任せだし……」
【桧】
『とんでもない!! ひとりだなんて、そんな……』
【柾】
『さすがに1人だと辛いか』
【桧】
『いえ、簡単ですけど、面白くないじゃないですか。お二人や
【柾】
『……お前はそういう奴だったな』
【楓】
「そもそも八束さんって一番上の進学校推薦あったんでしょ。なんでこんな半端な学校に……」
【桧】
『まあ、いろいろとありまして。私はみなさんと出会えて毎日が楽しくて仕方ありません。さあ、共にこの学園の闇を暴いていきましょう』
【楓】
「う、うん……」
【柾】
『八束には八束の考えがあるんだ。とにかく、これからもメンドクセーことは任せた!』
【桧】
『はい。私は待っています。あなたがすべてを終わらせる日を』
【柾】
『うん? 俺? 何を終わらせるって?』
【楓】
「?」
【桧】
『はい? 私、何か言いましたか? 神目さんでは?』
【楓】
「私は何も言ってないケド……」
【柾】
『終わらせるだとかなんとか』
【桧】
『ええ、あと4分。このまま撤退で終わるかどうか、判断を急いでください』
【柾】
『ん……ああ、そうだな。神目が見逃してそうなところも八束がチェックしてるだろうし"痕跡がない事の不自然さ"を俺は感じた』
【楓】
「そうね、部活動としての形跡が見当たらないのは違和感かも。普通、雑誌があったりお菓子置いてたりするじゃん。そういうのがひとつも見当たらない、空虚なカンジ」
放送機材はデリケートだろうから、その手のモノは持ち込まないとは思った。
にしても青春の時間を浪費する空間としては"あまりに退屈"すぎた。
【桧】
『私も同意見です。放送部の人間はたしかに少し前までその放送室にいました。なのにお二人の感じたように"人のぬくもり"が無い。やはり何かあると判断する答えにはなったのと、第三者の存在を疑ってかかるべきでしょう』
【柾】
『こんな時間まで残った成果は多少なりあったとしようぜ。よし、神目、撤退だ。テーマ曲はどれにする。特別にかけてやるぞ。最近の音楽系サブスクは何でも可能だ』
【楓】
「テーマ曲! 私、ハズいけどキャットスーツ着るから自分のテーマ曲欲しい~! 女スパイがカッコ良く脱出するカンジ! 最後はドカーン!って爆発を背にカッコ良く歩いてくるの。ドヤ顔で! アレがいい、アレ! かっこいいもん!」
【桧】
『いいですね! 今度やりましょう!』
【柾】
『なんで八束が目を輝かせてノリノリなんだよ……』
神目楓をイジって誰よりも輝かせたいと企むのが八束桧。
【楓】
「このまま鍵を閉めて出るだけでいいの? "あしあと"とか要らないの? 女泥棒が入るとカードとかキスマーク残していったりするじゃん」
知識の元になる作品がどれも子供じみている事はさておき。
【桧】
『ああ……その手が。逆にこっちから揺さぶりをかけるのはアリですね。さすが神目さん。残り3分。そこから校舎外への移動を考えると既にギリです』
【楓】
「わかった。いちお、スタジオの中もチェックだけしとく」
言いながら神目楓はスタジオのごついドアノブをひねり、幾重にも鉄の重なったドアを開けて中に入った。
ライトで中を照らすが、やはり何も変わりは無い。
……無かったが……
【楓】
「……?」
ライトに影が落ちた。
それが、天井の方からヒラヒラ舞い落ちてきた紙切れだと気付いた楓は、まだ宙を舞うそれを小気味よくキャッチした。
【桧】
『どうかしましたか?』
【柾】
『何かあったのか? とはいえ時間がないぞ、ダッシュで校舎から出ろ』
【楓】
「……やられたかも」
【桧】
『……?』
【柾】
『?』
名刺サイズの紙切れには、可愛らしいネコのイラストが大きく書かれていた。
裏面にはわざわざ『ドロボウ猫プギャー!m9(^Д^)』と冗談ぽく綴られ、
『コレを読んでいるのは、楓ちゃんとみた❤』
書いた本人のほくそ笑む顔まで浮かんできそうな文字が書かれていた。
逆予告カードである。
【楓】
「チッ……想定済ってワケ」
楓はその場で激しく舌打ちし、踵を返して放送室を出た。
乱暴に鍵を閉め校舎の中を猛ダッシュ。
同年代を凌駕するモデル並の長い脚が跳躍し、少々短めのスカートも翻る。
月明かりが辛うじて照らし出したのは建物の中を躍動するポニーテール姿。
この場面だけ切り取れば、たしかに映画の女エージェントのようにも見えた。
誰も、見てはいなかったが。
(つづく)
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