6 トシコさんとパンダ

 たび重なる震災、異常気象による災害、そして新型コロナ――。


 それらがようやく過去の悲劇、あるいは例年の辛苦になりつつあるこの国は、けして元気とは言えないまでも、無力感の底は抜けていた。

 無気力の底から浮上した、という意味ではない。社会認識の底が、文字どおり抜けてしまったのである。


 明日をも知れぬ世の中、どうせなるようにしかならないし、何があってもそれが世の中なのだ――そんな風潮が干支で一回りも続き、今では全国民が過去の社会常識を捨てている。


 であるから、東京駅の改札をヒグマが通ったくらいでは、もう誰も驚かない。

 そのヒグマは、ちゃんとスマホのSuicaアプリを使いこなして改札を抜けているし、スカーフはシャネルのシルクだし、トートバッグは皇室御用達の傳濱野である。首には大丸の紙袋まで提げている。ならば社会的にはなんの問題もない。


 現に近頃の国会中継を見れば、もはや正体を隠す必要のなくなった狡猾な老狐や厚顔無恥な老狸が堂々と政治家をやっているし、ときにはハイエナやイボイノシシさえ混じっている。それでも国政の運営に、なんら変化は生じていない。


 アフリカから出稼ぎに来た健脚のチーターがウーバーイーツ姿で市中を駆け回り、警察官の半数は警察学校を卒業した警察犬――それでなんの問題もなかった。


          ◎


 いけない、遅くなっちゃった――。

 俊子は中央線のホーム上がるエスカレーター向かって足を速めた。大丸のデパ地下で娘たちへのおみやげを選んでいるうち、つい時間を忘れてしまったのである。

 とはいえ、いつもより豪華なアップルパイを買えたし、勤め人たちの帰宅ラッシュはまだ始まっておらず、さほどの人混みではない。


 通路を行き交う人々の中には、そのヒグマが著名な石狩俊子であると気づき、肉球握手を求める者もいた。通行の邪魔にならない限り、俊子はなるべく握手に応じた。田舎の駅と違って、いきなり尻尾や耳を撫でてくる不作法な子供がいないぶん、やはり大都会の駅は洗練されている。


 ようやく中央線のホームに上がったとき、俊子は思いがけず懐かしい姿を見つけた。

 勤め人風の中折れ帽子をかぶり、大きな通勤鞄を手にした一頭のパンダが、電車を待っている。いかにも人間社会になじんだ直立姿勢は、去年まで同じ動物園にいた旧知に違いない。俊子も短時間なら直立できるし、前に演壇があれば立ったまま話せるが、ふだんは四つ足歩行である。

「あら、パパンダさん」

「おやおや、トシコさん」

 のんびりした声と鷹揚な笑顔も、去年のままだった。


 パパンダは帽子を取って、声相応にのんびりお辞儀してから、通勤鞄のファスナーを開き、その中に声をかけた。

「ほらほらパン、ヒグマのトシコおばさんだよ。ご挨拶しなさい」

 通勤鞄から子パンダのパンちゃんが顔を出し、くりくりした目で俊子を見上げた。

「こんにちはー」

「はい、こんにちは。パンちゃん、いい子にしてた?」

「うん。ぼく、いい子だよ」


 ちなみにこのパンダの親子は、一度、多摩動物園から脱走している。

 一昨年にママパンダが逝去して以来、子パンダのパンちゃんがママを恋しがって毎晩のようにむずかるのを俊子も見ていたから、たぶん、日本にも新しいママパンダ候補が棲息していると勘違いして、探しに出たのだろう。

 そうして親子で旅するうち、埼玉県の所沢を通りかかったとき、ある庭の竹藪が気に入って無断宿泊していたところを、その家に住む小学生のミミ子ちゃんに見つかってしまった。

 ミミ子ちゃんは物心つく前に両親を亡くし、お婆ちゃんと二人暮らしだったから、でっかくて優しそうなパパンダが、自分のパパにちょうどいいと思った。パンちゃんは、優しいミミ子ちゃんが新しいママにちょうどいいと思った。そしてパパンダは、美味しい竹藪さえあればオールOKだった。

 結果、なしくずしに、ミミ子ちゃんはパパンダの娘にしてパンちゃんのママ、パパンダはなんだかよくわからないがとりあえず家長、お婆ちゃんはあくまでお婆ちゃん、そんな家族関係が生じてしまった。

 その後、パンダ親子を探し回ってた人々に見つかってしまい、動物園に戻ってくれと懇願されたが、すでに成立した家族関係は動物園でもないがしろにできず、結局、パパンダとパンちゃんは毎日ミミ子ちゃんの家から多摩に出勤する、そんな新しい雇用契約が結ばれたわけである。

 そのあたりの経緯をもっと子細に知りたい方は、かのアニメ界の名コンビ、高畑勲&宮崎駿の両先生による珠玉の名作『パンダコパンダ』を、じっくりご覧いただきたい。


 ただし『パンダコパンダ』は、あくまで児童漫画映画としてメルヘンの体裁をとっているため、のちの『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』とは違い、現実的な細部描写は省略されている。

 たとえば、その後ミミ子の祖母が認知症を患って介護費用の自己負担分がかさみ、家長たるパパンダは高給を求めて上野動物園に転職したとか、あまり児童に見せたくない生臭い後日譚は、あえて語られていない。

 その点、この『石狩俊子の生活と意見』は写実的文学作品である。パパンダが手にしていた通勤鞄は、実はコパンダ用の特注キャリーバッグであり、ちゃんと呼吸用のメッシュ素材部分が設けてある――そんな細部設定も、本作ならではの社会派志向と思っていただきたい。

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