2 トシコさん都にゆく

 翌日の午前中、俊子は田島嬢の運転する車で、中央自動車道を都心に向かった。

 午後から東京駅八重洲口の大型書店で講演会がある。


 一昨年、俊子の初のエッセイ集【熊として女として】が、朝売新聞出版部から上梓された。それが望外の好評を得て、昨年の末には続編の【妻としてひぐまとして】が出版され、連載している新聞本誌の部数増に貢献するほどヒットした。その記念講演会だから、あちらの編集者も合流する。次回分の連載原稿は、昨夜すでにメールに添付して送ったが、直しの要望でもあれば、そこで聞こうと思っていた。


「ごめんね、田島さん。せっかくの休園日に」

「なんのなんの、あたしは明日も代休だし、なんなら夜遊びだって大歓迎」

 休日だと確実に渋滞する中央道の都心部も、平日は意外なほど空いていた。

 スムーズに首都高に乗って、昼前には八重洲に着く。

 編集者の牧村女史も、すでに書店の控え室で待っていた。


「いえいえ、直しなんて」

 昨年から俊子の担当になった牧村女史は、上機嫌で言った。

「石狩先生の見識は本当に大人ですもの。動物的で過激な人間批評を、ちゃんとユーモアに落としこんでくださいますし」

「前の担当さんには、ずいぶんダメ出しされたんですけどね」

「彼の感性は昭和の遺物ですから。その証拠に、私が編集した【妻としてひぐまとして】は、前巻の倍のペースで売れてます。二万部の増刷も決まりました。私は四万で押したんですが、上の連中が小心者ばかりなので」

 俊子はその数字にピンとこなかったが、田島嬢は顔を輝かせた。

「そろそろベストセラーの仲間入りですよね」

「エッセイ集としては、とっくにベストセラーよ。第三弾は十万部を狙いましょ」

 数歳年下の田島嬢に、牧村女史は、ほとんど仲間内の口調で言う。

 俊子に対しては、むしろ畏敬の面持ちで、

「ですから今後の連載も、石狩先生の持ち味である野性的なフェミニズムを、もっと前面に押し出す方向でお願いします」

 俊子と田島嬢は、異議なし、とうなずいた。

 前の男性編集者がクレームや炎上を恐れてセーブしていた部分だが、人間が書けば度を過ごした話も、エゾヒグマが書けばユーモアになる。そこを解ってくれる女性編集者は、確かに前任者より適役だった。


「それから石狩先生、次はサイン会もお願いできませんか。できれば梅雨明けあたりに、全国の主要都市で開催したいんですが」

 今度は俊子も田島嬢も首をかしげた。

 熊の指でもパソコンのキーボードは打てる。スマホも爪でなんとかいじれる。しかしサインペンを操るのは、残念ながら困難だ。

 俊子は自分のてのひらを上げて見せ、

「講演会だけならと、前の担当さんにも……」

 牧村女史は意味深な笑顔で、

「ちょっと、こちらへ」

 控え室を出て、俊子たちを売り場に案内する。

 俊子の著書も平積みになっているコーナーの一角で、誰かのサイン会が行われていた。

 お客の列には少女や若い女性が多いが、全体的には老若男女を問わない読者層らしい。お客たちが手にしている本も、俊子のエッセイ集とは対照的に、ポップでカラフルな装丁だ。


 牧村女史が、列の先の机を示し、

「ミケタマ・チャンネルで有名な、人気ユーチューバーのタマちゃんです。ブログも大人気で、今度バラエティーブックを出版したんですが、これまた大人気なんですよ」

「なあるほど……」

 田島嬢がつぶやいた。

 俊子も、この手があったか、と感心していた。

 机の上では一匹の若い三毛猫が、ちょこんとエジプト座りしている。

 前足の横には、なにやら朱肉のような、ピンク色の小皿が置いてある。

「タマちゃん先生、お願いしますぅ!」

 お客の少女が机上に本を差し出すと、三毛猫は前足の先を、ぺし、と朱肉に押しつけ、

「らじゃー! ミケタマ猫パンチ、にゃんっ!」

 本の見返しに、肉球マーク、ぽん。

「ありがとうございますぅ!」

「ミケタマ・グッズも、よろしくにゃん!」

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