第40話・許嫁、見守る

 ゴールデンウィーク最終日。

 開店三十分前に行われる朝礼で『駆け込み客は相当量』と宣告され、終業時間と私の体力の限界、どちらが先に訪れるやら……なんて戦慄が走ったけど! 大丈夫。頑張れる。頑張りを免罪符にまた膝枕で寝落ちさせてもらうんだ!

「いらっしゃいませ!」

 オープンすると同時に早足、というか小走りで店内を巡り始めたお客様方。品切れやレジの混雑など休日の買い物は懸念が尽きないからだろうか、温度感が高さが伺えて接客するのが少し、怖い。

 ピリッと全身に帯びた緊張感に飲まれないよう、集中して品出し。インカムで応援を要請されたらすぐさまレジへ。声を掛けられたらそのお客様個人の対応を。臨機応変、状況に合わせて脳を切り替えないと……!


×


 忙しい、のは、忙しいんだけど。それ以上にさっきから気が散ってしょうがない。だって――

「…………」

「…………」

 ――視界に氷浦がいるんだもん!!

 なんなのこの立ち回り力! どうしていつもいつでもいつまでも私の視界の端っこのいるの!?

 まぁあの、よくあるシチュエーションだとは思うよ? バイト始めた知り合いに会いに行くのは。でもそんなのパッと会って「おつかれ〜頑張って〜」って言っておしまいじゃん!

 ……ずっといられるとさぁ、氷浦に見られてると思うとさぁ、変に意識しちゃっていつもの感じで動けない……。

「お客様」

 完全に公私混同。事情を知られたらチーフに怒られるかもしれない。それでも、作業効率を上げるためにはこうするしかなかない……!

「っ! ひゃい!」

 素早く移動して氷浦の視界から消え、脳内で地図を広げて最短距離で背後をとって声をかけると、彼女は素っ頓狂な声を上げてこちらへ振り向いた。

「なにか、お探しの商品がございますか?」

「凛菜さん……。驚かすなんて意地悪です……」

 ちょぴっと。ムスっと頬を膨らませた氷浦が可愛すぎて緩みそうになる自分の頬に力を入れて続ける。

「お帰りにはあちらのエレベーターをご利用ください」

「ま、待ってください! あのですね、えーと……そうだ、傘……傘を探しているんです! これから梅雨ですからね、えへへ……」 

 思いっきり『そうだ』って言ったねぇ今……。まぁいい。これで私が気づいていることも、早くこの場から立ち去ってほしいことも意思表示できた。さっさと案内して仕事に戻ろう。

「さようでございますか。お客様の仰る通り梅雨も差し迫って参りました。そのため当店では傘の特別コーナーを設けております。……どうぞ、こちらをご利用くださいませ」

 適当に話を繋げながら売り場に辿り着くと、氷浦はぽけっとした表情のまま私を見つめるだけで、返事をしてくれない。

「……お客様?」

「はっ、すみません! 敬語凛菜さん……刺激が強すぎて……!」

「それでは失礼いたします!」

「あぁ! 待ってください凛……店員さん!」

 彼女のペースから逃れるためにもこの場を離れようとした私の制服の裾を掴み、氷浦は懇願するように続ける。

「実は私が使うものではなくて、大切な人へのプレゼントなんです! この人生で、この世界で、いっっっちばん大切な方への! 良ければ店員さんならどの傘が嬉しいか教えていただけませんか!?」

 流石に人目を憚ったか、手を繋ぎはしないものの、目一杯顔を近づけて、ありったけの眼力で私を捉えて言う氷浦。

 ……それはつまり……その……自惚うぬぼれちゃっても、いいのかな。

「……きっと、お客様の大切なお方も……同じ様に、お客様を心からお慕いしているのではないでしょうか」

「! それって……」

「お客様がお選びになったものであれば、その大切なお方もお喜びになると私は思います」

「凛菜……さん……!!!!」

 氷浦は合わせた両手を口元に当て、潤んだ瞳でこちらを見た。そんな反応がかわいくて、嬉しくて――

「楽しみにしてるね、氷浦」

 ――せっかく保っていた店員という仮面を、最後の最後で剥がしてしまった。

「!! 凛菜さ「それでは失礼いたします。引き続きお買い物をお楽しみくださいませ」

 これ以上はいろいろとまずい。本能がそう判断して氷浦の返事を聞かずに私は颯爽と立ち去った。


×


「お先に失礼いたします」

「おつかれ〜ゆっくり休んでね〜」

 十七時半。寄せては返す人並みに溺れそうになりながら勤務を終えてロッカールームへ。ずっと立ちっぱなしだったからふくらはぎが痛い。筋肉痛怖いし帰ったら湿布貼っておこう……。

 ……本当に疲れた。足も、喉も、脳も……心も。バイトに行く時やその最中、いつも緊張してしまうのはたぶん、そこが私の居場所じゃないから。

「えっ!?」

「あっ凛菜さん! お疲れ様ですっ」

 従業員用出入口から抜けるとそこには、お手手をおヘソのあたりでキュッと揃え背筋を伸ばして佇む氷浦の姿。

「帰ったんじゃなかったの?」

「せっかく来たので、一緒に帰ろうかなぁと……思いまして……その、お待ちしておりました。……ご迷惑、でしたか?」

「そんなわけないじゃん……嬉しい」

 あぁ……今の私、きっと誰かに見られたらまずいくらいニヤけてる。いつも気を抜くのは家まで我慢って思ってたから……こんな風にサプライズでボーナスもらえちゃったら……そりゃこうなるよ。

「っ。凛菜さん……」

 よくないことだとは思ってる。

 最近、あまり人目を気にしなくなってきた。みんなの前で宣言したからだろうか。複雑な作りだと思っていた鎧が案外あっさり脱げ落ちてしまった感覚。

 学校や街中まちなかみたいな、たくさんの他人が渦巻く世界では特に、なぜか彼女に触れたくて、いつも、触れていたくて。

「……いいんですか?」

「氷浦のせいだもん」

 腕を組み体を預け縋るように彼女へ寄り添った。体はまだまだ疲労にまみれているけれど――心は、みるみる回復を始める。

 そうだ、私の居場所はここなんだ。

「ふふ。家に着いたらも〜っと甘えてくださいね」

 こうしてるだけでも幸福ゲージが増幅していくのに……そんなこと言われながら頭撫でられたら……もう無理じゃん。もっと、もっと欲しくなっちゃうじゃん。……帰り道我慢できるかなぁ……いろいろと。

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