第33話・許嫁、罰する

「それでは、おやすみなさい」

「おやすみー」

「おやすみなさい」

 氷浦が使っているベッドに三人で詰め合って寝転がる。配置はソファの時と同じく私を挟んで壁側に帛ちゃん、反対側に氷浦がいるので川の字というにはちょっといびつだ。

「……痣? 凛菜、ここ、どうしたの?」

 帛ちゃんの寝顔を拝むためにそちらへ向いて今か今かと寝入るを待っていると、彼女は重たげな瞼をなんとか持ち上げつつ、私の鎖骨周辺をなぞって不思議そうに尋ねた。

「えっと、ね……ちょっと、ぶつけちゃって……」

 油断していた。もうだいぶ薄くなっていたし、学校で着替えるときは上手く隠して誰からも言われなかったし。まさかこんなところで誤魔化さないといけなくなるなんて。

「何したらこんなところぶつけるのよ」

 優しく、微かに患部を撫でながら帛ちゃんは続けた。氷浦から付けられたキス痕を帛ちゃんに触られると……なんか罪悪感がすごいな……いや、これは背徳感と呼ぶべきなんだろうか。

「た、体育の授業でね、ええと……ソフトボールが! 上手く、捕れなくて……」

 我ながら苦しすぎる言い訳。けれど無い話でもないと納得してくれたのか、帛ちゃんは追及をやめてくれた。

「そう。痛くない?」

「大丈夫だよ。心配してくれてありがとうね」

「なら……良か……た……」

 お礼を言いながら私が彼女の頭を撫でていると帛ちゃんは小さな抵抗の後瞼を閉じ、すぐに寝息を立て始めた。

 あっという間に深い深い眠りに落ちたようで、ほっぺをむにむにしても怒られない。あー……無限に触っていたい……。

 ともかく、帛ちゃんの寝不足と緊張とゲーム疲れは本当だったらしく、氷浦の慧眼は正しかった。それが氷浦帷であるからなのか氷浦帛の姉であるからなのかは私にはわからないけれど、後者だったらいいな。姉妹間の愛、そして信頼は何よりも尊いものに思えるから。

「凛菜さん」

 心の中でこっそり褒めていた対象が、どこか恨めしげな声を掛けながら……私の腰へと手を回した。

「……な、なに?」

 慌てて寝返りを打ち氷浦の方へと体を向ける。思った以上に距離が近くて、とくん、なんて音を立てて心拍数が上がった。

 考えてみれば、こんな距離で一緒に寝るのなんて……江ノ島に行く前に一回あっただけで……なんだか変に緊張する。

 そうだ……私……あの時自分から……寝てる氷浦に……き、キスを……。

 いやいやいやいや状況が違うでしょうが。氷浦起きてるし。後ろに(寝てるとはいえ)帛ちゃんいるし。

「随分、お楽しみでしたねぇ」

 帛ちゃんとは違い眠気を一切感じさせない大きな瞳と悪戯な笑み。そして妖しく蠢く指先が、私の右手を絡め取った。

「妹が相手なら……イチャイチャしても問題ないと思いました?」

 イチャイチャって言い方はあれだけど、仲良くするなら何の問題もないでしょうに。むしろ奥さんと小姑のより良い関係は望まれて然るべきでは?

「あ、当たり前じゃん」

「……その当たり前、今日で終わりにしましょうね」

「っ」

 氷浦の口元へと運ばれた私の右手は、その潤いで満ち満ちた唇で撫でられたり、挟まれたり。

 それはくすぐったさよりも心地よさが上回っていて、ずっとそうしてほしい気持ちになる。

「……ん……」

 左手は私の手を取ったまま、氷浦の右手は衣服内へと侵入してきて腹部の肌に直接あてがわれた。彼女の手のひらから暖かい体温がじんわり流れ込んできて心地が良い。

 瞳を閉じてその、ささやかな快楽を享受していると、突然氷浦の指が踊りだす。子供が砂場で遊ぶように、職人が粘土を捏ねるように、胸から下腹部の辺りを何度も何度もいつまでも弄ぶ。

「っ……ひう、ら……」

 やがて。

 それは自分の体なのに、自分でも気づかないくらいスムーズに、鮮やかに、攻撃的な刺激へと変貌していた。

「……氷浦、待って……」

 違う。

 今までの優しい手付きじゃない。使われている部位も違う。指先の踊りは息を潜め、今私の体に押し付けられているのは彼女の掌底だった。

 重く、深く、粘着質に肌を犯すその感触に鳥肌が立ち、声が漏れる。

「おねぇさまぁ……」

「っ!」

 寝惚けている帛ちゃんがするりと、私を氷浦と勘違いして抱きついてきた。一瞬私の声で起こしてしまったかもしれないと戦慄したものの、それ以上のアクションはないのでひとまず落ち着く。こんな状況でなければ小躍りするほど嬉しいのに、現状は体を微かにくねらせて姉からの攻撃をいなすのでいっぱいいっぱいだった。

「帛ちゃん、起きちゃうから……」

「よっぽどのことがなければ起きませんよ。 凛菜さんが大声を出したり、暴れたりしなければ」

 そう自然に脅す氷浦の声音はワントーン低く、眼光はベタ塗りしたように黒く輝いている。

「何か勘違いしていたかもしれませんが……凛菜さん、これは罰ゲームですよ?」

 いやにヌルい命令をすると思っていたけど、まさかこんなことを目論んでいたなんて。

 痛みなんて一切ない。圧迫感はあれど、だからといって苦しいわけでもない。それでも、怖い。こんなの知らない。

 こんなことをされて悦ぶ自分の身体カラダなんて、知らない。

「…………はっ……あっ……やだ……ひうら……これやらぁ……」

「しずかに」

「んっ」

 ふいに唇を塞がれ、頭を撫でられ、自分の知らない性感帯を弄られ、視界が何度も白く、チカチカと弾ける。体の震えも痙攣も、自我ではどうにもならない域まで達しつつあった。

「……っ……ふっ…………うぅ…………」

「…………私も、名前を呼んでください。そうしたらやめてあげます」

 酸欠と涙のせいで滲んだ視界にある氷浦の顔は、意地悪な修道女のようで。その笑顔は、縋り付きたくなるほど、美しくて。

「……もう、許して……帷…… 」

「っ……ふふ、よくできました。おいで」

 言われるがままに氷浦の胸の顔をうずめて呼吸を整えていると、手のひらがお腹から離れ、衣服から退散して背中に回る。そして、ピタッとくっついていた帛ちゃんの体をわざわざ遮るように隙間へ手を突っ込んで氷浦は私を抱きしめた。

「いじわるしてごめんなさい。でも――」

 俯瞰で見たらきっと不思議で間抜けな構図のまま、愛しい二人の体温と香りに挟まれて――

「――凛菜さんが、いけないんですよ?」

 ――心地よい倦怠感に全身を包まれ、眠りへと引きずり込まれた。

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