第30話・許嫁、留める
「桜子さん、楓子さん、ちょっと」
迎えるや否や氷浦は黒服の二人を連れて外に出ていってしまったので、
「まぁ、そうなるわよね」
わたわたと慌てふためく私とは反対に落ち着き払った帛ちゃんは、
「ちょうどいいわ」
私の目を、ジッと見据えて言う。
「……ねぇ、凛菜」
……氷浦家って初対面の人を下の名前で呼ぶ習慣があるの……? 呼び捨てだし。でも……可愛いからいっかぁ~。
「な、なぁに? えと、帛ちゃん」
いいんだよね、向こうがそう来るなら私だって下の名前で呼んでもいいんだよね!
「お姉様は、笑う?」
「え? 笑う? うん……まぁ、割と」
なにその質問。三者面談?
「どんな時に、どんな風に?」
「どんな時って。しょっちゅうだけど……」
例えば、朝起きて『おはよう』と交わす時。
帰宅した氷浦が『ただいま帰りました』と言って、私が『おかえり』と返す時。
ご飯が美味しいと言ってくれる時。
二人でテレビを見ていたのに、いつの間にか目が合っていた時。
照れてたり、柔らかかったり、快活にだったり――たくさんあり過ぎて細かく説明しろと言われても困ってしまう。というか帛ちゃんはどういうことが聞きたいんだろう。
「そう」
私が逡巡している間になにかを納得したらしい帛ちゃんは、硬かった表情を優しく緩めてから言った。
「合格よ、凛菜」
この子……来年中学生って言ってたっけ。全然そんな感じしない。むしろなんだか、年上と話しているような感覚……。じゃないや、今はそんなこと置いといて。
「えっと……どういう、こと?」
「どうもこうもないわ。抜き打ちチェックはこれでおしまい。お姉様が笑って過ごしているならそれでいいの」
流石の私でも、語りながら落ちていく彼女の声量や、極めて明るく努めようとする言い振りに違和感を覚えた。
「もう、いいの。お姉様が幸せなら、もういいの」
やがて完全に俯きながら言う帛ちゃんの声に祝福の色は薄く、それ以上の寂しさが滲み出ていて。
「せっかくの休日にお邪魔したわね。それじゃ」
どんなにしっかりしていてもこの子はまだ小学生で……まだまだ、お姉ちゃんに甘えたい盛りなのが痛いほど伝わってくる。
「待って!」
振り返ってドアノブに手を伸ばした帛ちゃんの肩を掴んで強引に阻止。
「……なに?」
私が、この子から姉を遠ざけた。
私がいるせいで、この子が寂しい思いをしている。
そのことがわかってしまった。
だけど、それでも、もう、私だって……氷浦と離れたくない。
「氷浦のこと、聞かせて」
「……お姉様の、何が知りたいの?」
「私が知らない氷浦のこと。この家に来る前の……その、感じとか」
ノープランで引き止めてしまったので言葉に詰まってしまうけど……こんな風に帰したくない。
氷浦のことを心配して、想って来てくれたのにこれでおしまいなんて絶対にダメだ。
せめて氷浦が戻ってくるまで時間を稼いで、二人の時間を作ってあげなくちゃ。
「…………わかったから、離しなさい」
これでもかと眼力を込めた甲斐もあってか、ため息一つついて折れてくれた帛ちゃん。
「ではでは、立ち話もなんなのでこちらへ」
「……はぁ。意外と押しが強いのね」
「そうかな? ははは……」
言われたことないんだけど……氷浦の性格が移ったかな。
靴を脱いで上がった帛ちゃんはスタスタと、一切怯むことなく私の後に続き――
「凛菜の部屋はどっち?」
――二つ並びのドアの前で止まってから聞く。
「こっち、だけど」
「入ってもいい?」
「ど、どうぞ」
リビングでお茶でも飲みながら……なんて考えていたんだけど、引き止めた手前私が帛ちゃんの要求を拒むのはもう難しい。しっかし……初対面の人に自室を見られるの、思った以上に恥ずかしい。
「いい部屋ね。シンプルで落ち着くわ」
「ありがとう」
隅々まで観察するということはなく、サラッと見回すとすぐにベッドへ腰を落ち着けてから、帛ちゃんはこれまた大人びた感想をくれた。
「それで……お姉様の話よね」
「うん。……最初になんで『よく笑う』かなんて聞かれたのか、ちょっと不思議で」
「『よく笑う』か、なんて聞いていないわ。『笑う』かどうかと聞いたの」
……思い返してみれば、確かに。でもそんなところにこだわる必要は……?
「一緒に暮らしていたとき、お姉様の笑顔を見たことなんて一度も無かったわ、少なくとも私に向けては。いつも怖い顔をして、何かをストイックに追い求めてた」
全く笑わない氷浦、か。一年前までなら少しは想像しやすかっただろうけど、今となっては
「たまに頬が緩むときは、あなたの話をするときか、あなたの写真を見ているときだけ。私じゃダメだったの。私じゃ……お姉様を癒やすことはできなかったの」
「帛ちゃん……」
「そんな顔しないで、同情は無用よ。一つの選択肢がダメになったくらいで絶望する私じゃないわ」
……つまり……?
「凛菜が気をつかってくれているように――」
ちょ、そんなこと気づかんでいいのに! 小学生に気をつかってるのバレてるのダサすぎじゃん私!
「――私はお姉様が大好きよ。生きているならお姉様にとってプラスになる存在になりたい。癒やしになれないなら、別の役割になればいい」
「別の、役割?」
「ええ。例えば、ライバル。お姉様は超然としていて、あらゆる面で格別の才覚を持っているわ。だからこそ、私が並ぶ人間になって張り合いを作り、超える人間になって焦りを
「…………」
「……凛菜?」
…………やば。
ねぇねぇ氷浦さん、なぁーにが『大人びたことをしたい年頃なのでしょう。まったく……』なんですか!? あなたの妹さん、超しっかりした考えをお持ちな超大人なんですけれど!?
「帛ちゃん……私、全力で帛ちゃんのこと応援するから!」
「それはありがたいけれど……お姉様に余計なことを言わないって約束して」
「する! 絶対言わない!」
「…………はぁ、こんなに聞いてて不安を覚える『絶対』は初めてだわ……」
引き止めておいて良かったぁ! こんなに健気で可愛い家族に……帛ちゃんに……少しでも寂しさがまぎれるような思い出を今日、絶対作ろう。
「あっちの話も終わったみたいね、凛菜、私はあなたが思っているような、素敵なイベントはなくていいの。ただお姉様が元気か知りたいだけだから、話、合わせてくれる?」
なぁーんで何から何まで
「普通の部屋ね。もっと本を置いたりセンスのいいインテリアを――」
突然、帛ちゃんが会話の流れをぶつ切りにして変えた瞬間、おずおずと開かれたドアから氷浦が怪訝そうな目つきでこちらを覗いた。
「……あっお姉様。二人とのお話は終わりましたか?」
「……帛、あなたは何をしているんですか……?」
「人間性を知るにはまず部屋を見ろと本に書いてありましたので、さっそくチェックしていました」
アドリブでそれっぽい話でっち上げてる……すご……。でっち上げだよね? 本当に人間性のチェックしてたわけじゃないよね? もうこの小学生一切油断できないんだけど……。
「ね、ね、帛ちゃん。ゲームあるよ、みんなでできるやつ。あっあとね、ボードゲームとかもあるし……そうだ、お腹空いてない? ご飯食べてきた?」
どうかなこのアシスト! どうですか帛ちゃん! 凛菜お姉ちゃん上手くやれてるかな!?
「やらない、いらない、空いてない。こーんな庶民がお姉様の許嫁だなんて……信じられないわ」
あれぇ、ダメだった? いやでも氷浦の前ならこういう態度なのかな……?
「帛、次凛菜さんにそのような発言をしてみなさい。力づくで追い出しますよ」
「も、申し訳ありませんお姉様……」
この……氷浦……! 氷浦帷……! 帛ちゃんの気持ちも知らないでよくもそんなこと……!!
「氷浦、帛ちゃんをいじめないで。追い出すなんて許さないから。ねぇー帛ちゃん」
でも、さ、帷お姉ちゃんが冷たいならね、凛菜お姉ちゃんはどうかな。ぎゅーしてあげるよ、よしよしもしてあげるよ~。
「は、離しなさい! 気安く触らないで!」
くっ……これは心に来る……けど……これはこれで……!
たぶんアレだ……今私……帛ちゃんに何されたって何言われたって……可愛いって思っちゃう……!!
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