第21話・許嫁、退ける

「ねぇ、トバリとはどこまでしたの?」

 ニマニマと、相変わらず貼り付けたような意地の悪い笑みを浮かべて彼女は私に問う。

 答える意義は感じない。

「一年も同じ屋根の下で暮らしてたら……もう、毎晩が目眩めくるめくエクスタシーって感じなのかしら」

「そんな……私達は……まだ……」

 自分の阿呆! っと叱咤したくなるほど簡単に乗ってしまった……。挑発耐性がなさすぎるよ私……。

「その反応……まさか本当に? まだ何も?」

 目を大きく開いてと思しき反応をしたテステートさんは、

「日本人が過ぎるわね」

 などという達者なのか拙いのかわからない、妙な日本語をポツリと零した。

「てっきりもう、その蠱惑的な胸でメロメロにしているのだと思っていたわ」

 すぐに意地悪モードのスイッチを再び入れたらしく、重ねられた挑発。

「他人から体のこと言われるの、本気で不快なんだけど」

 結構昔から……その、いろいろ言われてもうこっちは辟易しているんだ。まぁ……氷浦の視線も度々寄せられているのは知ってるけど。……彼女が気になってくれるのは……別に嬉しいし。

「褒めたつもりだったのだけど……ごめんなさい。でも、そう……なら、まだ……」

 意外にもしおらしく素直に謝ってみせたテステートさんは、俯かせた視線をすぐに持ち上げ、ジトっと、品定めするように私を見据えた。

「こういうことも、してないの?」

 風に吹かれたようにフワリと動いた彼女の右手が私の顎へと添えられた瞬間、その先に何が起きるのかを想像するより早く――

「やめてッ」

 反射的に振り抜いた私の手のひらが、彼女の左頬で乾いた音を響かせた。

「っ……」

 じんじんと熱くなる皮膚と反比例して、脳はどんどん冷静になっていって『やってしまった』という感情が溢れてくる。

 人に……手を上げてしまった。いやでも正当防衛……。いやいやそんなこと言ったって相手は氷浦と仲の良い人で……ということは間違いなくいいとこのお嬢さんで……これでもし氷浦になにか迷惑が掛かってしまったら……。

「凛菜、あなた……」

 思考を逡巡させながら相手の出方を伺っていると、彼女は今までにない真剣な声音を漏らした。

 落ち着け。最初に挑発的なことをしてきたのは相手だ。私は悪くない。毅然とした態度で――

「…………最高ね…………!」

「…………はぃ?」

 さっきまでの意地悪な笑顔はどこへやら、なぜか恍惚に目尻をトロンと蕩けさせながら、テステートさんは私に打たれた頬を愛おしげにさすっている。

「けれど思い切りが足りないわ! インパクトの瞬間に迷ったわね? もしかして人を叩いたのは初めて? 安心して。私が一からレクチャーしてあげるから。次は手首のスナップを意識して、ほら、こっち側にも! 左の頬を打ったら右の頬も打ってあげなさいって偉い人も言ってるわ!」

 湾曲した偉大な教えを説きながら、叩いてもないのに紅く上気した右頬をグイグイと近づけてくるテステートさんに、これまで感じていたソレとは全く別次元の拒否反応が湧き上がる。

「いきなりなに!? 気持ち悪いんだけど!」

「はぅ!」

 私の言葉を噛みしめるように受け止めて幸せそうに硬直したテステートさんを押しのけ、ようやく個室から脱出。

 振り返ると彼女は、今にも涎を垂らしそうな程だらしない笑顔を浮かべ、震える両手を私へと伸ばしながら言った。

「……なんて斬れ味なの……たまらないわ……流石はトバリが選んだヒト……凛菜、お願いだから今のセリフをもう一度だけ言ってくれないかしら!」

 プラチナブロンドの美しい髪からも、西洋のお姫様を思わせる整った顔立ちからも、抜群のスタイルからも制服の着こなしからも……彼女がとわかる要素はどこにも、一ミリも存在しない。目の前の信じがたい光景にやはり脳がバグりそうになる。

「やばっ……きもっ……」

「んんんんん! なんて鋭くて残酷な瞳! 蔑みと憐れみの完璧なブレンド! 名を付けるならまさに嫌悪感! ねぇ、もう一回……できるなら……ふふ、ビンタしながら、とか、お願いできるかしら……!」

 遂には生者の肉を求めるゾンビの如くのそのそと個室からじっとり這い出て、こちらへ迫ってきたテステートさん。

 これ以上やり取りするのは無意味というか危険だと判断し、トイレを出て廊下を駆け教室へと向かった。

 その間、氷浦の言っていたセリフを思い出す。

『――私は彼女をどうしても受け入れることができず――』

 そりゃ無理だよ! 一瞬でも疑っちゃってごめんね氷浦!!

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