学校、始まる

第19話・許嫁、狼狽る

「凛菜ちゃ~ん! 会いたかったよ~! 今年もおんなじクラスだね! 運命だね! よろしくね!」

甘楽かんら……。元気そうでなにより」

 四月。別に待ちに待ってはいないけど学校が始まり、私と氷浦は二年生になった。

 春の浮かれた気分をこそげ落とす洗礼のように気だるい始業式を終えて体育館から教室に戻ってきた途端、担任が戻ってくるまでの短い時間でも盛り上がるのは女子高生の義務らしい。再会の感動や土産話で賑わっている。

「ん~? 凛菜ちゃん、なんか変わったなぁ。柔らかくなったというか……いや……もっと具体的に……うーん……」

 自席で本を読んでいた私に駆け寄って声をかけてくれたのは甘楽かんら 空子くうこ。特別仲が良いというわけではないだろうけど、友人の少ない私を何かと心配したり気にかけてくれる優しいスポーツ大好きな元気娘だ。正直、グイグイ来るから得意なタイプではない。

「そっか、香りだ。シャンプー変えた? それとも香水?」

「ううん、たぶん……ハンドクリーム、かな」

 江ノ島から帰ってきたあと、氷浦と何かをシェアすることが多くなった。

 そういうことをしないのも深入りしないため、ひいては傷つかないために一線を引いていたからだと思うけど……もう、そういう必要もなくなった。

 私はもっと氷浦といろんなものやことを、共有したくなってしまった。

「それだー!」

 桜の香りを自称する氷浦お気に入りのハンドクリームは、同じものを付けている彼女と手を繋いで(途中まで)登校していたせいで余計に香りを立たせているんだろう。

 甘楽は私の手を取って鼻を近づけた。

「いい匂い通り越して美味しそうだよ……食べちゃおうかな~! なんて!」

「あはは、高くつくよ」

「……?」

 私としてはなんてことないリアクションを返したつもりだったけれど、甘楽は怪訝そうな目をしている。

「なに?」

「凛菜ちゃん、本当に変わったね。ちょっと前まで、ちょっとでも体触ったらすごい嫌がってたのに」

 確かに。

 人と深い間柄にならないために、触れ合うことにすら恐怖心があったのは間違いない。けれどやっぱりそれすらも、氷浦のおかげで克服できたんだろう。

「なんで急にデレたの? 会えない時間が愛育てちゃった?」

「もー朝からテンション高いなぁ」

 以前だったらこんな風に手を取られたら心臓が跳ね上がって冷や汗が吹き出るに違いない。だけど今は平常心そのもので、心地よいニュートラル。

 氷浦のことを考えると……簡単に心拍数が上がるくせに。随分変な体になってしまった。

「うわっ!」

「どした?」

 急に驚きの声を上げた甘楽は私の手を離すと、あわあわしながら視線をしきりに左右へ泳がせる。

「なんか……氷浦さんがめっちゃこっち見てる……!」

 耳元へ近づけた口からこしょこしょとそう告げられたので私も視線をやってみると、般若へ変貌する寸前の能面のように死んだ顔の氷浦がジッとこちらを見つめていた。いや、こわいて。

「甘楽が朝からうるさくて怒ってるんだよ」

「ひぇ~。氷浦さんほんっと無口だから何考えてるかわかんなくて怖いよ~!」

 そう、氷浦は、家での姿からは想像できないくらい、学校では浮きまくっている。

 そりゃあ容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群、更に氷浦コーポレーションの令嬢ともなれば当たり前っちゃあ当たり前だけど。

 ちなみに私と彼女が許嫁同士だというのは、一部の教職員以外は知らない。割としっかり隠蔽してもらってる。氷浦は公表したがってるけど……私の心の準備がね、なかなかできんのですよ。

「ハイみんなー、さくっとホームルームやるから席戻ってー」

 スライドドアが開き、眠たげに入ってきた担任が定位置につき気怠げにそう言うと、名残惜しそうに各々が各々の席へ戻っていく。

「よしよし、この感じは噂にもなかったみたいだね。新学期のサプライズだ、カモン!」

 まさしく『しめたっ』といった表情を浮かべた担任が――古文の教師だと言うのに何故か英語で――先程自分が入ってきたスライドドアへ呼びかけると――

 ――煌めくプラチナブロンドの髪を腰まで靡かせている、明らかに日本人離れした碧眼の美少女が、ゆったりとした足取りで教壇に立ち、教室を己の空気に染め上げていく。

 誰もが見惚れて「……すご」だとか「きれい……」だとしか言えない中で、氷浦だけが小さく鋭く息を飲み「シア……?」と呟いたのを、きっと私だけは聞き逃さなかった。

 やがて美少女は小さく会釈をしてから自己紹介を始めた。これまた、なぜか、英語で。

 マイとかフロムとか、なんとなく知っている単語はなんとなく聞き取れるけど、意味は全然わからない。というかこれ本当に英語か? なんかもっとたくさん混ざってる気が……。

 なんて頭を悩ませている間にスピーチは終わったらしく、再度頭が下げられた。

 どう反応するべきか皆が皆の動向を探る気まずい沈黙が五秒程流れた後、耐えきれなくなったように美少女が吹き出す。

「先生の考えた自己紹介、最高ですっ。早速度肝を抜いてやりましたよ」

 その容姿と先のネイティブな外国語からは想像できなかった流暢な日本語に、脳がバグった感覚に陥った。きっと私だけじゃないだろう。

「ごめんねみんな、ちょっとしたジョークよ。私はシア・テステート。今日からよろしくね」

『こいつぁ茶目っ気のある仲間がやって来たぜ』と言わんばかりに湧くオーディエンスから、「すごーい!」「よろしく!」等といった好意的な声と共に拍手が送られる。

「趣味とか人となりとかは、仲良くなって自然と知ってもらえたら嬉しいわ。事前に伝えておきたい情報は一つだけ。私――」

 絵に描いたような美少女、テステートさんは爪の先まで光沢に包まれる人差し指を、一人のクラスメイトに向けた。

「――そこにいる氷浦帷と、許嫁同士なの」

 それを聞いた全員が硬直して、しかし全員が一秒後、言葉の意味を理解して、どよめく教室。そして急激にざわめく、私の胸中。

「え、えーっと……はい!」

 周囲が桃色の空気でとりとめもなくワーキャーする中、流石はコミュ強番長、我らが甘楽空子が挙手してそのまま発言する。

「シアちゃん! 今のも……その、ジョーク?」

 クラスメイトになったばかりの見知らぬ女子からいきなりファーストネームで呼ばれたというのに一切動じないテステートさんは、口角をいじわるにつり上げて――

「それはどうかしらね」

 ――豹のように鋭くなった目つきで、確かに私の瞳を捉えて言った。

「私、つまらないジョークは言わない主義なの」

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