第17話・許嫁、受ける

 冷静沈着。

 私は無口でクールな許嫁。

 心頭滅却。

 何が起きても慌てはしない。

 隣凛菜裸。

 ……無理、無理です。何か賢い四字熟語を思い浮かべて精神を強靭に奮い立たせようとしたのに、ハレンチな単語が生成されてしまう始末……全くの無意味じゃないですか……。

「氷浦……本当に体調大丈夫?」

「はぇ!? あれ!? 凛菜さんいつの間に!?」

 スパに入って、受付を済まし、水着を借り、ロッカールームに来て、お隣でスルスルと脱衣を始めた凛菜さんからどうにか意識を逃がそうとしていたら――

「いつの間にって……ずっと隣にいたじゃん」

 ――目の前には、初めて見うる凛菜さんの水着姿。

「そ、そうですよね、あはは……」

 いや直視できませんよ! できないのに……似合っているのはわかります……!! ボンヤリと視界に捉えた雰囲気というか風景というか、淡い水色が凛菜さんのくっきりした美しさを一層引き立たてて……もう……最高……!!

 でも良かった……上着ラッシュガードを着てくれたんですね……もし凛菜さんが選んでいたあの(私の中では)過激な水着をそのまま披露されていたら……意識を保てる自信がありませんでした。だけど、それでも……御御足おみあしが……惜しげもなく晒された御ふともも様が……あまりにも眩しいです……!!

「い、急いで着替えます! 少々お待ちを……!」

「ん。その辺適当にプラプラしてるねー」

 凛菜さんは、私が『隣で着替えるのを恥ずかしがっている』と考えてくれたのか、トテテと歩いて出入り口へ向かっていってしまいました。

 なんてお優しいのでしょう……。対して最低な四字熟語を創作してしまった私、どこかで天罰が下るかもしれませんね……。


×


「ただいま、ねぇ氷浦すごいよ、館内は水着のままエレベーター乗って移動するんだって」

 しばらくすると、少しテンションの上がった凛菜さんが戻ってこられました。

「それは……すごい……ですね……!」

 すごい……すごすぎます……ラッシュガードに覆われているのに……なんて主張力……! 凛菜さんが喜びを表すと同時に……その、揺れて揺れて……視線をあっちゃこっちゃに周遊せざるを得ません……!

 ジッパーを下ろした先に間違いなく存在する桃源郷を想像し、思わず生唾を飲んでしまいます……。

「水着、似合ってるよ」

「り、凛菜さんの方こそ! もうお似合い過ぎて……絵画かいがかと思いました!」

 自我と戦っていた私へと急接近した凛菜さんは、私が最初にお伝えしたかったことを何の気無しに言ってくださいました。

「ありがと。そういうワンピースタイプってさ、氷浦みたいにスラっとしてないと着れないし……羨ましい。それに肌、なんでこんな綺麗なの?」

「なっ、えっと、あの……」

 ちょちょちょちょちょ近い近い近い、は、肌? お肌がなんですって? その潤いに満ちてきめ細かいお肌の持ち主が私のような下民になんの用ですか!?

「スベスベだし透き通りそうなくらい白いし……。生まれつきなのかな? それともやっぱケアで差が……ねぇ今度さ、いつも氷浦が使ってるボディクリーム借りていい?」

「も、もちろん……です……」

 もう……許してください……いきなりそんな褒め殺しされたら……嬉しさと羞恥心で脳漿が蒸発してしまいますよ!?

「凛菜さん……プールに向かう前に一言だけいいですか?」

 これ以上近くにいると水に入ってもいないのにライフセーバーさんのお世話になってしまいそうなので、一歩だけ離れ、エレベーターのある方へと歩き出します。

「なに?」

「その上着、絶対脱いじゃダメですから」

「あっ、うん、まぁそのつもりだったけど……恥ずかしいし」

 そう言った凛菜さんの表情はどこか意外そうで……ちょっぴし、ほんのちょぴっと、不服そうに見えました。


× 


「すごいね、プールって言うか……本当にスパって感じ!」

「はいっ、荘厳なのに落ち着きがあって素敵です」

 エレベーターを降りてまず向かったのは温水スパエリア。

 小さい頃、両親と共に訪れた名前も覚えていない国のホテルに併設されていたプールを思い出しました。

 白を基調とした清潔感のある内装と、仕切りをあまり設けていない開放的な作り、更にどこからともなくヒーリングミュージックも聴こえてきたりして、非常に心地いい空間です。

 しかし流石は江ノ島随一のスパ、お客さんが多いですね……まだ春ですよ?

「あったかいねぇ……」

「気持ち良いです……」

 シャワーを浴びて大きな温水プールでまったり泳いだり浮かんだり歩いたりしたあと、私達はサイズ控えめなジャグジー付き温水プールへ。

 ボコボコと底から湧き上がる大粒の泡に、疲れた足が優しく刺激されて癒やされます。

 ちなみに、ここは他に誰も入っていないため貸し切り状態です!

「なんかさ、温水プールって欲張りだよね。温泉入ってると『泳ぎたい!』ってなるし、プール入ってると『温まりたい!』ってなるのを……同時に叶えちゃった、みたいな」

「うふふ、そうですね」

「あっ、今子どもっぽいって思ったでしょ」

「いいえ。ただ、可愛くてたまらなくなっただけです」

「…………氷浦だって可愛いよ」

「………………えへへ」

 それからも目に付いたプールへ移動しては体を温水に委ねて、なんでもないお話をして、凛菜さんが誰かに見られていないか警戒して、そんな私を凛菜さんが笑って……そんな、ここが極楽浄土だと言われたら一秒で信じるような幸福を味わいました。


×


 最初に降り立ったフロアにあるすべての温水プールを堪能したあと、エレベーターに乗って更に下へ。

「ここは……洞窟?」

「らしい、ですね」

 その名も洞窟スパフロア。壁や柱はゴツゴツした岩肌を模しており、先の明るい雰囲気から一転、どこか物々しさを感じさせます。

「なんか……ちょっと怖くない?」

「少し暗いですしね。でも……それならほら、凛菜さん」

「うんっ」

 私の差し出した右手を、凛菜さんは躊躇なく握ってくれました。

 これからどんな口実を使っても、こうやって凛菜さんが手をとってくれたらいいなぁ。

 なんて思いながらプールに入ろうとした瞬間、

「「アウフ、グース?」」

 突然響き渡るスタッフさんの呼び込み。

 どうやらサウナで何かが行われるそうです。

「……入ってみる?」

「ええ、是非! サウナは美容と健康に良いらしいですから」

 ぞろぞろと吸い込まれていく他のお客さんに続いて、私達もサウナへ。扉が開いているからか中はそれほど暑くなく、(なぜか最上段は埋まっていたので)最下段に腰を落ち着かせました。

「……」

「……」

 遂に扉が閉められ、ドキドキしながらスタッフさんの動向を見守っている凛菜さんを見守っていると、アウフグース、そしてアロマオイルについて簡単な説明が行われました。

 一度聞いただけではよくわかりませんでしたが、どうやら端的に言えば『たくさん汗をかこう!』というイベントだそうです。

「暑そうだね、大丈夫かな」

「こんな飛び入りで参加出来たのですから、きっと大丈夫ですよ」

 説明を受けて不安げな表情を浮かべる凛菜さんに対して、頼れる許嫁をアピールする私。ふふ、カッコつけちゃいました。

「それでは始めます」

 柄杓ひしゃくに注がれたアロマが熱々のサウナストーンへ投入され、水が激しく弾ける音と共に舞い上がる蒸気。そして――グググッと高まる体感温度。

「ッ!」

 ……あっ……これちょっと……私……。

「空気を循環して温度を更に上げていきます」

「ッ!?」

 スタッフさんが縦に横にタオルを振り回し、サウナストーブ周辺から熱気が辺りへと拡散されていきます……というかアッツ!!!

 鼻で呼吸したら鼻孔が焼けてしまいそうです……口を小さく開けて……少しずつ息をしましょう……というかサウナってこんなに暑いものでしたっけ!? 限度というものをご存知で!?

「それでは皆様一人一人に、熱波を送らせていただきます」

「ッ!?!?!?!?!?」

 こんなに暑いのになんで更に熱波を送るんですか!?

 何がなんだかわからないまま現状を確認すると、端の方からお客さんが順々に両手を上げて……スタッフさんが正面にやってくると(拳銃でも発砲したんですかと問いたくなる音を出しながら)タオルを振るって熱波を送り……送る? 叩き込むの間違いでは!?

 熱と緊張と混乱でわちゃわちゃする脳内を落ち着けるため凛菜さんに視線をやると、も、すっごくお目々を輝かせていらっしゃって……今更逃げることはできなくなって……。

「ッッッ!!!!!!!!!!!」

 潔く手を上げた私へ、体感瞬間風速1万キロメートルの熱風が浴びせられました。

 噴火したように流れ出る大量の汗と後悔。

 沸騰しながらもかろうじて稼働している脳で、一つ、理解しました……これ、あれですね……変な四字熟語作った……天罰……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る