第14話・許嫁、添える(後)

「気持ち、わかるなぁ」

 奥津宮おくつみやへと続く道は所狭しとお店が立ち並んでおり、お土産もご飯も軽食もなんでもござれで食欲を刺激してきます。

「大好きな人とはぐれちゃったら、ほんのちょっとの時間でも『ずっと』に感じちゃうよね」

「……ええ」

 凛菜さんが幼い頃、お母様と離れ離れてしまったのは知っています。ですが当然詳しい事情などは存じ上げません。

 二人はどんな関係性だったのか、どんなお話をされて、どんな思いを抱いていたのか、私には知る由もないのです。

 あなたが寂しそうにぼぅっと虚空を見つめているとき、その瞳には離れていくお母様の背中が映っているのでしょうか。……そんなとき……私にできることはあるのでしょうか?

「ここ……せっかくだから入っていい?」

「もちろんです」

 立ち寄ったのは喫茶店。

 最近オープンしたとのことで店員さん達が呼び込みを行っていました。手渡されたクーポンを持って店内へ入ると、白を基調とした和風の造りで心が落ち着きます。

 注文をした後せっかくなので2階へ。まだ私達以外誰もおらず、のどかな相模湾を一望できるカウンター席に腰をおろしました。

「氷浦、さっきはごめんね。わざわざ探しに行ってくれたのに……」

「いえいえ、パフォーマンスを見ているかも、と頭が回らなかったのは私なので……」

「……ねぇ」

 海を眺めながらこってりとした甘みと痺れるようなスパイスが特徴的なチャイティーを舌の上で転がしていると、凛菜さんは声音を真剣なものにして問います。

「さっきからどうしたの? 疲れちゃった……? ううん……えっと…………怒ってる?」

 そんな風に見えていたなんて! 違うんです凛菜さん。ただ……ただ、悶々としているだけなのです。

 だってあんな風に人と(女児でしたが)、凛菜さんが密着して触れ合う姿をばっちり視認してしまったわけでして……。

 学校でも、すぐ打ち解けられるのに一定のライン以上はなかなか仲良くなれない高攻略難易度美人として名高いあの凛菜さんが、ですよ?

 それに凛菜さんとお母様のこととかも考え始めてしまったら、もう悶々して……ドギマギして……逡巡して……なんか自然とこんな感じになっちゃったんですすみません!

 でも……この空気はそんな風に、いつもみたいに済ませて終わらせてしまうには勿体ないくらい熱を帯び始めていて。

「怒ってたら……どうしますか……?」

 私は無意識に――そんな事を口走って。

「……どうしたら……許してくれる?」

「たとえば……」

 私は無意識に――凛菜さんの頬へと右手を添えていました。

「たとえば……?」

「……いいんですか……? ……『キスは無理』って、言ってましたよね」

 試されているんでしょうか。だとしても、凛菜さんの周りから漂うキャラメルラテの香りに、理性が、良識が奪われて今更ブレーキを掛けることはできません。

「……別に」

 凛菜さんは瞳を潤ませて、口角を少しだけ上げて、自嘲するように、自傷するように、弱々しく零しました。

「キスなんて、大したこと……ないもん」

 ……何に、そんなに怯えて、何をそんなに強がっているのですか?

 何と戦って、何を思って、何を堪えているのですか?

 私のことを……本当は、どう思っているのですか?

 近くなるほどあなたのことがわからなくなります。

 わからなくなるほど、泣きたくなるくらい、好きになっていくんです。

「……しないの?」

「っ……」

 そんな顔をしている人にできるわけがありません。だけど……もう、我慢なんて――

「すっごーい! めっちゃ綺麗だね!」

「「!!」」

「うん! しかも貸し切り……じゃなかったか〜」

「他の人に迷惑だから静かにしろし〜」

 吐息と吐息が混じり、唇と唇が触れる直前。階段を上がってきたグループによって、私達の間にあった生暖かい空気は静かに流され消えていきました。

「……いこっか」

「…………はい」

『いこっか。』その言葉を聞いてから店を出て凛菜さんが行き先を決めるまで、気が気じゃありませんでした。

「岩屋まであとちょっとだね」

「ですね。江ノ島制覇ももうすぐです」

 足の向いた先は奥津宮、そして岩屋へ続く道。良かった、本当に良かった……。

 もしも帰り道を歩み始めたら……千沙都ちゃんの比にならないくらい泣きじゃくっていたかもしれません……。

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