第12話・許嫁、捉まる

「「ごちそうさまでした」」

 完食してお店を出て、どこか満足げな凛菜さんと満腹ゆえに一挙手一投足が緩慢になる私は、江ノ島散策を再開させました。

 ここから先は上り坂&上り階段。途中平坦な道はあれどなかなかハードな道のりと言えるでしょう。

 そう、ハードな道のりなのでどちらか転んでしまう可能性があります。そんなときもしも、どちらかがどちらかの手を繋いでいれば……大きな事故を避けられる可能性がありますね。

 そう、だからこそ私は手を繋ぎたいのです。事故防止、安全確保の観点からこれは至極真っ当な――

「見て氷浦、すごい立派な鳥居。というか鳥居なの、これ」

「……ですね~」

「階段急だね。手すりあって助かった」

「……掴まる場所はこちらにもありますよ?」

「うん、大丈夫」

「…………」

 ひらひらと。未だ開拓されていないアマゾンの奥地でひっそりと優美に舞う真珠色の蝶のように、凛菜さんの手のひらは伸ばした私の手を何度も回避してしまいます。

 なんですかこれ、もどかしさが更に欲求を加速させるんですけれど!

「……そんなに手、繋ぎたい?」

「当たり前です!」

 私の目論見はとっくにバレていたらしく、

「そっか。……じゃあ」

 凛菜さんは普段あまり魅せない、悪戯な、意地悪な笑みで口角を一ミリだけ浮かせると、

「捕まえてみなよ」

 そう言って急な階段を早足に登り始めました。

「あっ、凛菜さん、危ないですよぅ」

 あまりにも可憐なお姿に心を奪われ体感時間で5分ほど立ち尽くしていた私ですが、すぐさま彼女の背中を追います。

 実際凛菜さんは手すりにきちんと掴まっていますし、前方をきちんと目視しているのでそこまで危険というわけではないのですが……。

「はい、残念」

「く~っもうちょっとで……!」

 やっとの思いで触れても、握ったり指を絡める前に滑らかな絹が風に乗って踊るようにスルスルと私の手のひらから零れてしまい、次第に焦りを感じ始めました。

 こんなもの、ただ道中で遊んでいるだけなのに。

 ここで彼女を逃してしまったら、もう二度とチャンスが回ってこないような気がして……。

「捕まえ、ました!」

 辺津宮へつみやへ続く階段の最上段、登り切るギリギリ。最終手段として彼女の右腕を私の両腕で抱きしめると、凛菜さんは足を止めて諦めたように、そして荒い呼吸を落ち着けているからかクラクラするほどの色気に満ちた吐息と共に――

「捕まっちゃった」

 ――そう言って、視線で私を褒めてくれたように思います。

「……行こっか」

「はいっ!」

 江ノ島散策はようやく辺津宮へつみやに到着したところ。これから中津宮なかつみや奥津宮おくつみや、そして最奥地である岩屋いわやへ向かうことも考えればまだまだ始まったばかり。

 そんな段階でここまで距離を(物理的に)縮められたのは……幸先が良いとしか言いようがないのでは!?


×


 辺津宮でひたすらに恋愛祈願したり、中津宮でひらすらに金運上昇祈願をしたり白蛇が祀られている神社でうっとりする凛菜さんに見惚れたり。(餌になる虫が苦手なので大好きな爬虫類を飼えない凛菜さん、可愛いですね。)

 散策はとても、とてもゆったりとしたペースで進んでいきました。

 他愛ないことでお喋りしながら、そして私は、腕から伝わる体温のせいで込み上げる感涙を抑えながら。

「今度来るときはエスカレーターも使いたいね」

 奥津宮へと向かう途中、凛菜さんが何気なく呟いた言葉が私の心と胸を震わせます。

「~~~! はい……はいっ! ですねっ! 是非、絶対乗りましょう!」

「そんなに喜ばなくても……。もう疲れちゃった?」

「いえ! 全然!」

「……? そう」

 違うのです。エスカレーターの提案に喜んでいるんじゃないんです。

『今度来る時』と、自然に次の約束をしてくれたのが……また来たいって思っていただけているのが……嬉しくて嬉しくて……。

「なんだろ、賑やかだね」

「ええ」

 道の先から軽快な音楽と、マイクによって拡張された音声が聞こえてきます。

 少し気にしつつ歩いていくと、奥津宮に続く道の途中にある広場にて大道芸人の方がパフォーマンスを行なっていました。

 人気にんきかたなのか姿を視認することができないくらい人が集まっており、その人混みと空中を舞うジャグリングスティックをなんとなく眺めていると――

「お母さん!!」

「「へっ?」」

 ――痛切な声を上げながら凛菜さんの腰を抱きしめて捕らえた、一人の少女。小学校……低学年くらいでしょうか。

「あっ、あの、その……」

 しかし香りか感触か、母ではない違う人だとすぐさま気づいたようで今度は怯えて慌てててんやわんやな少女へと、

「こんにちは」

 凛菜さんは柔らかく微笑んでから、屈んで目線を合わせました。

「お母さんと、はぐれちゃった?」

 その温かい声音に心が弛緩してしまったのか、少女は瞳に大粒の涙を湛えて言います。

「あの、えと、妹が、妹達が、どっかいっちゃって、お母さんも、追いかけて、どっかいっちゃって、私、待っててって言われました、でも、ずっと……もどって……こなくて……」

「大丈夫」

 ついに泣き出してしまった少女の頬をハンカチで拭いながら、同時に頭を丁寧に、優しく撫でながら凛菜さんは続けました。

「お姉ちゃん達が一緒に探してあげるから、すぐに会えるよ。心配しないで」

「…………本当?」

「本当。ねっ、氷浦」

「えっ、ええ、はい。すぐ会えますよ。心配無用です」

 かくいう私は凛菜さんの愛情を一身に受ける少女へ軽い嫉妬を覚えながら、そしてそんなものを覚えていることへ自己嫌悪を覚えながら、我ながら下手っぴな笑顔を作って心の中で決心します。

 この少女を一刻も早く凛菜さんから引き剥がすために……ではなく、少女の心に一刻も早く平穏をもたらすために……急いで親御さんを見つけなくては!

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