第11話・許嫁、堪える

『氷浦、朝だよ、起きて』

『おはよう。いい天気だね』

『いってらっしゃい。あんまり頑張り過ぎちゃダメだよ?』

『トばり、アイしテる』

『おかえり。雨凄かったね、先お風呂入っちゃいな』

 それは江ノ島電鉄に揺られながら瞳を閉じ、すぐ隣に存在する凛菜さんの香りや体温を堪能しながら、去年のクリスマスにお揃いで買ったワイヤレスイヤホンから流れるこっそり録音していた凛菜さんのお声エンジェル・ボイス(中には私が慣れないパソコンソフトを駆使して切って貼って作り上げた合成音声も混ざってますが)を聴いて夢見心地になっている時でした。

「っ」

 えっ、ちょ、なんですか、この人、え、なんかいきなりお手、てて、お手手を、お手々握られちゃったんですけど!?

 なんですか!? 踏み絵的なサムシングですか!? これに対して私が何かアクション起こしたら処刑されちゃうんですか!?

「……っ!」

「!」

 あっ、絶対違う、すごい戸惑ってる! 無意識……もしや寝惚けてたんですね!?

 絶対に逃しませんっ! という意思表示のために指を絡めると(下心はありません。ちょぴっとしか。)、観念したように景色へ視線を逃した凛菜さん。

 あー……その横顔たまらんです。照れているような

恥ずかしがっているような、少し苦々しいお顔……。

 でも寝惚けてお手々繋いじゃうって……何か不安なこととか……あるんですかね……。

 そもそもそういった不安を軽減していただくためのお散歩というのに……うぅ……考えれば考える程私も不安になってきました。

 とにかく私にわかることは一つだけ。本日、この手は離すべきはないということ。

 駄々をこねてでも繋いでいましょう。いや私が繋いでたいからじゃないですよ、凛菜さんのため、凛菜さんのためなのです。


×


 駅から出て無言のまま、手を繋いだまま歩いていると、潮風の生ぬるい香りが鼻を掠めました。

 信号を渡って島へと続く橋に差し掛かっても、私達は一言も交わすことなくただ歩を進めています。

 凛菜さんの手を私が引くようなカタチなのでお顔が見られないのは残念ですが……ここで振り返って妙な沈黙と対峙するのも怖く……。

 なんて、あーだこーだと思考がぐるぐる逡巡し始めたとき、

「……?」

 繋がっている私の左手に、凛菜さんの右手から不自然な力が数回込められました。

 なんっ……なんでしょうかこれは。ドキドキするのでやめてもらえませんか嘘ですやめないでください。

 一旦、一旦落ち着きましょう。この行動の意味を、暗号を解読しなくては。

 それは一定のテンポで一定回数送られてきたあと、少しの間を空けてまた繰り返して……。やはりこれは何かのサイン。

 1、2、3……1、2、3、4……1、2、3……1、2、3、4……

 あっもしかしてそういうことですか!?

 ト、バ、リ……ア、イ、シ、テ……!?

「それなら一回足りませんけど!?」

「なんのこと!?」

 耐えきれずに振り返り指摘させていただくと、凛菜さんは本当に驚いた様子でとぼけてみせました。またまた〜。

「『は・な・し・て』って伝えたかったの。そろそろすごい人混みだし」

 えっ……。

 確かに言われてみれば既に橋は渡り終え島の入り口。商店が立ち並び、そこには人の渦や流れが生まれています。

「そんな……もう少しだけ。もう少しだけ、ね、凛菜さんっ」

 せめて手を離す必要性が出てくるまでは……!

「…………仕方ないなぁ」

 もう少し抵抗されてしまうかと思いきや、あっけなく許諾してくださった凛菜さん。

 ……これってあれなんじゃないですか? いや自意識過剰だったら恥ずかしいし凛菜さんに申し訳ないんですけど、嫌よ嫌よも……ってやつなんじゃないですか!?


×


「わっ本当に大きい」

「半分こにしておいて正解でしたね!」

 私達の前に並べられたのは、巨大な海鮮かき揚げ丼としらすの玉子焼き、そして魚のあら汁。磯の香りが鼻孔と空腹をくすぐります。

「「いただきまーす!」」

 ここは江ノ島に来たら是非入りたいと目星を付けていた、新鮮な海鮮を提供しているお店。

 いつも大行列らしく、今日も整理券が配られていました。

 なんだかんだでしばらく手を繋いでいたんですけどね……席に案内されるまでの待ち時間中、だんだん人が増えていくにつれ凛菜さんのシャイゲージも蓄積されてしまったらしく、『ちょっとお手洗い行ってくるね』と言われて離されてしまいました……。

 流石の私でも『では一緒に!』と、手を繋いだままお供することができず……いや凛菜さんがOKしてくれるなら万々歳なんですけれど! ……それにどちらかが残ってないと、呼びに来てくれる店員さんが困ってしまうだろうということもあり……。

美味おいっしぃ~!」

「ですね~!」

 まっもうそんなこといいんです! も~見てくださいよこの凛菜さん。蓮華から溢れるくらいにすくった海鮮丼を頬張って喜色満面!

 な~んて可愛いんでしょうか……!

 でも確かにそうですよね、いつもご飯を作ってくださるのは凛菜さん。私はその美味しさに日々感動していますが、凛菜さんとしては味の予想ができているのでしょうし、その分こうしてお外で食べるときの感動も一入ひとしおなのでしょう。

「どう氷浦、美味しい?」

「はいっとっても!」

 本当は……『それでも凛菜さんの作るお料理の方が美味しいですよ!』と言いたい……しかし、ここで空気が読めないと思われてはお終いです。ぐっと堪えましょう。

「……」

「……」

 海鮮丼の乙女殺人的(カロリー的な意味で)ボリュームに圧倒されつつも、黙々と二人で食べ進めているとお椀の中がスッキリして参りました。

 ……さてさて、そろそろアレ、やっちゃいますか。

「凛菜さん、」

「? なに」

「はい、あーんっ」

 なるべくラフに、なるべくポップに、蓮華をお口元へ近づけてみるも、

「えっ、やだけど。恥ずかしいし」

 ほとんど真顔で拒絶。あの喜色満面がこんな一転することあります!?

「で、ですよねー……」

「もうっ相変わらず変なことしたがるんだから」

 何事もなかったかのように蓮華へと海鮮丼を乗せた凛菜さんは、

「……氷浦、はい、あーん」

「! いいんですか!?」

「……されるのは恥ずかしいけど……するのは別にいいし……」

 と、赤面するわけでもなく、ペットの両生類へ餌をあげるように蓮華を差し出してくださる凛菜さん。

「……はぁ……美味しすぎます……」

「味は変わらないでしょ?」

「当社比で150%増しの美味しさです!」

「パッケージによく載ってるけどよくわからない表現のやつじゃん」

 一口食べると、凛菜さんは再び蓮華に(今度は玉子焼きを乗せて)私の口元へ。

 次はまた海鮮丼。もういっちょ海鮮丼。玉子焼きを挟んで、更に海鮮丼。

「…………凛菜さん、こんなにあーんしてくださって幸福なんですけども、私だけ食べすぎでは……?」

 幸福ゲージと比例するように満腹ゲージも……徐々に……!

「いいの。氷浦が美味しそうに食べてる顔好きだから」

「……………………」

 好きだから……好きだから……好き……好きだよ……好きだよ氷浦……愛してるよ帷。ってことですか!?

 そんなこと言われたら食べないわけにはいかないじゃないですか! ぷくぷくになっても愛してくれますか!?

 なんで! なんで私録音してないんですか!! 言質とるチャンスだったじゃないですか!!!

 というかやっぱりアレは『ト・バ・リ、ア・イ・シ・テ・ル』ってサインだったんですか!?

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