第9話・許嫁、攻める

「……ふふ……りんにゃしゃぁ~ん…………」

 ……。

 …………。

 ………………ハッ!

 えっ、あれ? 凛菜さんは? 温もりは……? 柔らかさは……?

 というかなんで? 凛菜さんにお掛けしたはずのブランケットがなぜ私の上に……?

 まぁ……そういうこと、ですよね……わ、私が……私が寝ててどうするんですか~~~!!!

 まさかさっきまでのあれは…………幸せな……夢……?

 いやいやいやいやそんな馬鹿なことが……!

「っ!」

 時計に目をやると時刻は正午を回って少し。そしてこの香り……います。凛菜さんは間違いなく台所にいて、昼食を作ってくださっているのでしょう。

 おそらく今に至る流れとしては……寝ている凛菜さんにブランケットを掛けると→可愛すぎて抱きしめちゃって→凛菜さんが(なぜか)私を受け入れてくれて→めっためたに甘えてきて……→あまりの幸福感に私は意識を失ってしまい→先に微睡みから抜けた凛菜さんが私にブランケットを掛けてくださり台所へ向かった……といった感じでしょうか。

 つまりあれは夢じゃなかったんです! やりました! 私は凛菜さんから(理由はわかりませんが)信頼を得て! イチャラブする権利を得たのです!

 ふふ……ブランケット掛け合うとかもう……これは許嫁通り越して夫婦でいいですよね。夫婦と言ったら営みがあるのもまた事実。

 さぁ氷浦帷! 行くのです! 凛菜さんは私からのアプローチを待っていますよ!!

「ふんふふ~んっ」

 上機嫌なときにハミングしちゃうなんてフィクションだと思ってましたけど、こんな自然に出ちゃうものなんですね……。

 ほらほら、いらっしゃいますよ~。

 ラフなお部屋着の上からデニム生地のエプロンを着けて、なんだかギャップを感じさせる素敵な奥様が!

「り、ん、な、さんっ!」

 きゃー! 抱きついちゃいましたっ! でもいいんですよね、だってさっきは凛菜さんの方からあんなに甘えてきてくれたのですからっ!

「ちょ、え、なに? やめて」

「へ……?」

 氷のような目で見られて露骨に手を押しのけられちゃったんですが!?

「見てわからない? 火を使ってるの」

「あ、あの、はい。すみません……」

「わかったら早く離れて」

「……はい」

 なん……ですかこの状況。もしかして本当に夢だったのでは? 寂しい私の悲しい妄想だったのでは……ってあら~!? お耳が真っ赤ですよ凛菜さん!!

「もう少しでできるから座って待ってて?」

「わかりましたっ!」

 も~なんだ~照れてるだけですか~。

 確かにそうですね、火の近くでイチャイチャするのは危ないですものね。ちょっとの我慢です。

「はい、おまちどうさま。食べよ」

「はいっ!」

 五分もしない内にテーブルへ運ばれてきたのは、ベーコンを始めとする具材が大ぶりにカットされた食べごたえ抜群そうなカルボナーラ。しかも私の好きなフィットチーネを使ってくださっており、凛菜さんお手製のソースがよく絡んだもちもち食感を想像するだけで垂涎すいぜんものです……!

「「いただきまーす」」

「…………」

「……なに? なんか付いてる?」

「いえ、その……」

「味、変だったかな?」

「そんなことは一切ありません!」

「じゃあなに?」

 もう本当に、目の前にある料理は絶品なんです。どれほどの経験を積めばここまで完璧な茹で加減と味付けを出来るのか不思議になるほど。

 でもですね、目の前で同じものを食べている凛菜さんについつい視線がいってしまって……きっとこれから訪れるであろう『さっきの続き』を思い浮かべてしまうのです……!

 なのでここは……ええ、私がリードさせていただきましょう。

「凛菜さん」

「んー?」

「早く……さっきの続きがしたいですねっ」

「っ」

 おや、私のパス振りは完璧だと思ったのですが、一瞬むせたように咳き込んだ凛菜さんは慌てて口元を拭ってから――

「さっき? なんのこと?」

 なんて、とぼけてみせました。

「も……も~、さっきはさっきですよぅ。凛菜さんが私に身を委ねて甘えてくださったあの夢のような時間、忘れたとは言わせませんよっ?」

「……さ、さぁ~。思い当たる節がないな~。夢でも見てたんじゃない?」

 んぐっ! 凛菜さんのはぐらかし照れ笑い可愛ッ!!

 でも違うんです! 今は鎧のような作られたその笑顔ではなく、さっきのとろけきった素顔が見たいんです!

「凛菜さん、私は「氷浦」

 まるで全ての流れや雰囲気をリセットするように深く息を吐いた凛菜さんは、先程までの朗らかな表情から一点、どこか事務的に、言います。

「さっきはさっき」

「さっきはさっき!?」

 なんですかそれ! そんな日本語知りません!!

「ほら、冷めちゃうから食べよ?」

「は、はい……」

 え、あれ? これなんか……思ってたルートと違うんですけれど……。こっからどうやってさっきのイチャラブに結びつければいいんですか??


×


 そのまま無言で食事は進みほとんど同じタイミングで終え、無言のまま二人で食器を台所へ運び、無言のまま二人並んで洗い終え、無言のまま二人でソファに戻って腰を落ち着けると――最初に口を開けたのは凛菜さんでした。

「はしたないって、思ったでしょ」

「へ?」

「自分でも……あんな風になるとか、あんなこと言うなんて……思ってなくて……その、ごめんね」

 これまで見たことがない程しおらしく、きゅっと膝を寄せながら告げられたその言葉を聞いて――

「なぁ~にを謝ることがあるんですか!? はしたないなんて思うわけがないじゃないですか! こっちは嬉しすぎて気絶してるんですよ!?」

 込み上がったのは取り繕う必要もない本音達。

「き、気絶してたんだ……こわ……」

 うぅ……恒例となった蔑むような視線……ダメですダメです……最近この視線を受けるためにどんな発言をしたらいいのか本能的に考えている自分がいます……。

「まぁですね、それは置いておいて」

「気絶した件を置いていけるのすご……」

 しかしなるほど……そんな風に……気に病んでいらしたのですね……。そんな必要ないのに!

 というか! つまりそれは! 凛菜さんが心ゆくまで甘えられないのは! 許嫁たる私の甲斐性がまだまだ足りないからなのでは!?

「あのね、氷浦。私やっぱりこういうの……全然耐性がなくて……。自分でもよくわからなくなっちゃうの。それで……よくわからなくなっちゃうのは……怖いんだ」

「……すみません。私も浮かれてしまって、ついついいてしまいました。……そこでですね、凛菜さん」

「ん?」

 確かに一年間一緒に過ごしていた相手からいきなり好意を告げられたんですからね、混乱してしまうのも無理はありません。そして一年耐えた私が急いてしまうのも……無理がないのだと許していただきたい……!

「明日はどこかに、少しお出かけしませんか?」

「お出かけ?」

「ええ。何も考えずにゆったりお散歩していれば、きっと脳も心もリラックスができると思うんです。もちろん凛菜さんを悩ましてしまっているのは私ですから、きちんとエスコートさせていただきます!」

 まぁあのぉ~……凛菜さんとの関係性、というか凛菜さんの私への見方が変わってきている今、攻める以外にありません! とか、普通にデートしたいだけ……とか、そういうことを考えていないわけではないんですけども! 

「お散歩か……。いいね。行きたい」

 あ~っ! やっと表情を緩めてくれましたね! それです! 凛菜さんのその……素の柔らかい笑顔! それが見たかったんです~!

「どこ行こっか」

「水族館! 水族館行きましょう!」

「いいの? たまには氷浦が行きたいところとか……」

「いいんです! 凛菜さんの行きたいところが私の行きたいところですから!」

 凛菜さんはアミューズメントパークや動物園等よりも、水族館を好んでいらっしゃることはこれまでの同棲生活でリサーチ済み!

 なんでも海の傍で生まれ育ったため海洋生物を見ていると落ち着くとか。ぼーっとしながら水槽を見つめる凛菜さんの横顔……最高に美しいんですよね……!

「どこのに行きます? 今まで行った中でお気に入りがあればそこでもいいですし、ちょっと足を伸ばして初めてのところでも是非!」

 これまでもいろんな水族館に行ってきました。2ヶ月に一度くらいのペースでしょうか。サンシャイン水族館、すみだ水族館、八景島シーパラダイス、しながわ水族館、葛西臨海水族園……どこも素敵でしたね。

 今まではその……許嫁兼友達未満、みたいな関係性だったので私としては交流に物足りないこともあったのですが……ふふ……これからはもっと恋人チックなことも……なーんて! 大丈夫ですよ、今回の目的が凛菜さんのリフレッシュであることは決して忘れませんから!

「ん〜……」

 どの水族館も甲乙つけがたいのは凛菜さんも同じなのか、しばらくうんうんと頭を悩ませてから――

「江ノ島行こうよ」

 と、名案を思いついたように提案してくださいました。

江ノ島水族館えのすいですか!? いいですね!」

 主体性を消失させた快活な返事をしてみるも、聞いた凛菜さんは首を小さく横に振った後に続けます。

「んーん、この前行った時はさ、氷浦、島の方にも行きたいって言ってたのに、私が水族館に長居し過ぎたせいで行けなかったでしょ? だから水族館はやめて、江ノ島をプラプラしない?」

「っ!!」

 もーーーーーー! こういうところ!!

 前の出来事もちゃーんと覚えててくれてて、しかもこうやってフォローを入れてくれる、こういうところも! 大好きなんです!!

 なんて言うんでしょう……緩急? 緩急の使い方がすごいんですよね、きっと、はい。

「ではでは、明日は江ノ島散策ということで!」

「うんっ! あーなんか楽しみになってきたら心も軽くなってきたよ。単純だねー私」

「私はもーっと単純ですよ!」

 だってあなたがそんな風に笑ってくれるだけで、世界の全てが明るく燦然と輝いて見えるんですから。


×


 などと。

 完全に浮かれきっていた私の心は、今から約27時間後――

(落ち着きなさい氷浦帷……ここで暴走すれば今日の全てが台無し。落ち着いて……お願いだから落ち着いて……)

「氷浦、どうしたの? いかないの?」

(行ったら……水着……凛菜さんの水着姿……!)

「……氷浦?」

「凛菜さん……私、私は……!!」

 ――江ノ島を吹きすさぶあてどない潮風の如く葛藤に駆られ、苦渋の選択をいられるのです。

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