第7話・許嫁、弄する
「ほら、早く準備して! 本当に遅刻しちゃうよ!」
そう言うと私の部屋から去ってしまった凛菜さん。
意味深な台詞や見えない表情に妄想はたくましくなるばかりですが、せっかく起こしてくれたのです。早く出社の準備をしなくては。
オフィスカジュアルに着替えてスマホを手にしてメールチェックをしようとした時、一つのことに気づきました。
(あれ……今日、会社ありませんよね……?)
ディスプレイに表示されているのは日付と曜日は間違いなく土曜日。というか、そうですよ、今日が休日で遅くまでゆっくりできるから昨日一周年のお祝いしたわけですし。
つまり……これは凛菜さんのミス! なんとも珍しいミス! こんなこと一緒に暮らしてて初めてです!
「凛菜さ〜ん……」
「……氷浦……」
一応着替えたままリビングへ顔を出すと、本人も気づいたのか気まずそうな表情。
「ごめんね、せっかくの休日なのに……私勘違いしちゃってて……」
そんなに申し訳無さそうな顔をしないでください! 罪悪感に押しつぶされてしまいます!
「いえいえ! 朝から一緒にいられて幸せですよ私は!」
「ほんとにごめん……とりあえずコーヒー淹れるね」
「あっはいっ! ありがとうございます!」
まずいです凛菜さん露骨に落ち込んでます。というか……どことなく具合も悪そうです。
……いえ、はい、わかってますよ。凛菜さんはたぶん寝不足で……それは私のせいですよね。昨晩少なくとも私より遅く寝て、朝は私よりも早く起きてるわけですし……。というか胸触られるの嫌で一睡もしてない……なんてことはないですよね!?
どうしよう……今すぐにでもおやすみしていただきたい!
「凛菜さん!」
「なに?」
「コーヒー、ちょっと待ってください!」
「えっ紅茶にする?」
「ではなくて!」
要領を得ない私の発言を咀嚼しようと、凛菜さんは一旦コーヒーメーカーから離れテーブルへ戻ってきてくれました。
「凛菜さん、私のせいで睡眠不足ではありませんか?」
「えっ! …………いや? そんなことはないけど?」
?? どうしてここで頬を染めて目を逸らしたのでしょうか? 大丈夫ですよ!
「とてもそうには見えません。本日の家事全般は不肖私めが承りますので、お休みしてもう一眠りしてはいかがでしょうか?」
「それは……ありがとうだけど……」
「だけど?」
「……氷浦のご飯は、誰が作るの?」
それはもちろん
私にだってお料理の心得はありますよ!? 凛菜さんの良き許嫁になるために修行をして参りましたから。
でもでも……やっぱり好きな人が作ってくれた料理って格別で……。
「ね? それに洗濯も買い物もしたいし。氷浦はちゃんとお仕事の疲れ落として?」
私の葛藤を納得と受け取ってしまったのか、話は終わりとばかりに椅子から立つ凛菜さん。だめです私、これ以上彼女に無理をさせては!
何か……何か良い策は………………そうだ!
「待ってください凛菜さん! 私昨日お胸(ちょっとしか)触ってないのでお礼が済んでいません! なので一緒に映画を観てください!」
「…………別に…………いいけど……」
凛菜さんの真面目な部分を突く相変わらず褒められた手段ではありませんが……これも全ては彼女の睡眠時間を作り出すため!
「今何か面白そうなのやってたっけ?」
「いえ! 出かけずにおうち映画を楽しみましょう!」
確か先週、登録している動画系サブスクでコンテンツに追加があったとの通知がありました。
毎月料金を支払っている割にここ最近観れていませんでしたからね……いい機会です。
「わかった。見たいのはもう決まってるの?」
「もちろん! えっとですね~なんでしたっけ~タイトルが思い出せません~」
とは口で言いつつも、本当はまだ何も決まっていません!
今このとぼけた演技をしている間に……最善を選ばなくては!
凛菜さんは基本、サスペンスやホラーなどが好きらしいですが、そういったジャンルは頭や心が疲れてしまう可能性がありますし……。
恋愛ものはそもそもあまり興味がなさそうでしたので、映画自体を楽しめない可能性が高いです……。
というわけで……選ぶべきはコメディ! 彼女は邦画洋画問わず、コメディ作品はツボに入ればずっと笑っており、つまらないと即座に寝てしまうタイプ!
つまり面白ければ笑顔を、つまらなくとも寝顔を見られるわけですね〜。
じゃなくて、面白かったら楽しんでもらえて、つまらなかったら休んでもらえるわけです!
よしきた! これで決定!
「思い出しました!『ジャパニーズ・ホラー』です!」
「あーあれね、私も気になってたんだ」
こちらはフランス映画なのに『ジャパニーズ・ホラー』というタイトルのコメディ。なんだかはちゃめちゃですね。
外国の目線でジャパニーズ・ホラーを揶揄しているシュール系のコメディだそうで、一年前くらいに少し流行り、ようやくサブスク入りしてくれた作品です。
「すぐ見る?」
「ええ!」
「飲み物は?」
「凛菜さんが何か飲むなら同じものをいただければ……!」
「はいはーい」
各々手早く準備を済ませると二人分のダージリンがローテーブルに並んで置かれ、私と凛菜さんがソファに並んで座り、さっそく上映会が始まりました。
×
凛菜さん……開始十分で寝ちゃった……。か、かわ……可愛い……可愛い……これまではなんだか罪悪感からあんまり見れなかったけど……今日からはいいですよね! こっちは勇気出して気持ち伝えてますから! 勇者だけに与えられるご褒美ですよね!
「………………」
あーもう映画うるさい、凛菜さんが起きちゃったらどうするんですか! という理不尽な怒りを込めてモニターの電源を落としました。
「………………」
というか! こんなゆったりしたルームウェア着ちゃダメじゃないですか!
そんな無防備に寝ちゃったら……
はい! 落ち着いて! カムバック理性! 今の私の目標はなんですか! 凛菜さんに寝ていただくことでしょうが!
よしよしよし……偉い……眼球だけは言うことを聞いてくれませんがなんとか我を保っています……!
「………………」
はぁ~新学期……不安だな〜。
凛菜さん、親しみやすい性格なのに誰とも遊びに行かない(家事のために)せいで、みんな躍起になって仲良くなろうしてるんですよね……。
可愛くてカッコよくてミステリアスとか……もう……もう! このままこの家に閉じ込めてしまいたい……!
「……ひぅら…………」
ね……寝言で私の名前呼んでる……!!!
返事したいけど……寝言に返事しちゃダメなんでしたっけ? あれ、なんででしたっけ!?
「…………キス……ごめ……」
!?!? えっ!? なんて? キスって言いました!!!?!!?
ごめ……ってなんですか? できなくてごめんってことですか!? そんな、謝るくらいならしてくださいよ! というかしちゃいますよ! していいんですか!?
いやでも流石に寝てるうちに不意打ちなんて……私ファーストキスですし……!
……あーでも確かにファーストキスのシチュエーションは夜景の見えるレストランとか観覧車の頂上とかより、日常の中の方がいいですねぇ〜……。
例えば仕事で疲れて寝付いた私に、凛菜さんが優しくちゅっ……………………って!
ないか! ないですよね!
『ご飯にする? お風呂にする? それとも私?』っていう回路がない人にそんなロマンス求めちゃだめですよね!!
変なことばっかり考えてないでブランケット持ってきます!!
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