第2話・許嫁、爆ぜる(中編)
「ただいま帰りました」
三月も終盤に差し掛かり、無事高校一年目を終えた私達は春休みを謳歌している……はずだった。
どっこい、学校がない自由を堪能しているのは私だけで、氷浦は親族が興した会社に(アルバイトという名目で)通い、経営について学んでいるそうだ。
平日は朝八時に家を出て十九時に帰宅。もはや一般的な会社員と変わりがないような……。
「おかえりなさーい」
私は相変わらず家事に勤しんだりお弁当を作ったり暇な時間で編み物したりナンプレしたり。うん、一般的な女子高生だね。
「
氷浦が差し出した白いビニール袋へ刻まれているロゴには見覚えがあった。
「あー! すごい! これ新しくできたケーキ屋さんの?」
「はい。今日は……お祝い、ですから」
そう。三日後は私達が同棲を始めてから丁度一周年。
しかしその日は平日、つまり氷浦は仕事があるため、週末を迎えた今晩ちょっとしたお祝いをしようということになっていた。
「だね。ありがとう、冷蔵庫入れとく」
未だ玄関で佇む氷浦が靴を脱ぎやすいようにケーキと仕事用の鞄、そしてジャケットを預かると、彼女はパンプスを脱いで靴入れにしまう。
そして――
「もうすぐご飯できるし、お風呂はもう入れるよ。どっちにする?」
――この問いをするまでがいつもの流れ。
基本はお風呂から先に入るみたいだけど、たまに空腹に耐えきれずすぐ食卓に付くこともある。
「……選択肢は……それだけ、ですか?」
「え? どゆこと?」
「凛菜さん、私達同棲を始めて一年ですよ、他になにか……ありませんか?」
他に、なにか……?
なんだ、全然わからない。というか質問の意図もわからない。
なにか……成果を見せろってこと?
確かに社会でいろんな学びを得ている氷浦に対して私は……家事をしてるだけ。
『家で暇な時間がいくらでもあるんだから資格の一つでもとってみせたの?』的なことを聞かれているんだろうか。
「…………」
じっと、私を睨むように見つめる視線が痛い。
「…………」
一緒に暮らし、過ごしていく中で、彼女は良い意味でも悪い意味でもクールな人間ということを早い段階で知った。
イレギュラーな事象が起きても慌てず、過不足ない対応をできてしまうタイプ。
家に虫が出たときとか(私がかなり苦手なので)すごく助かるが、誕生日のサプライズ等もクールに受け止められしまうのでちょっと複雑だったりする。
それになかなかの無口。
学校でも家でも必要最低限の会話しかなく、何を考えているのかこっちで予測して動くことが多い。
「ないんですね」
だから、氷浦がこんな風にむすっとした感じの態度を見せるのは結構レアで、私はそこそこに戸惑っていた。
今まで考えもしなかったんだけど、もしかして氷浦、私に結構苛つくことがあったのでは……? なんか……資格の勉強とかしとけばよかった……?
「……ごめん。ない、です」
「そうですか」
「で、でもね、今日は夕食豪華だから! きっと喜んでもらえると思う!」
「凛菜さん、私はいつも、毎日、常日頃から、凛菜さんが作ってくださる料理を食べられて幸せに思っていますよ。……本日は先にお風呂に入りますね」
精一杯の切り返しをしてみるも、氷浦は私に近づきながらいつものクールボイスでピシャリと会話を終わらせてしまう。
「う、うん」
はぁ。
なんかすごく、胸の辺りがザワザワするなぁ。こんな空気になったこと今までなかったのに……。
×
料理は悪くなかったはず。
じっくり煮込んで柔らかくした牛肉がゴロゴロ入ったビーフシチューも。
新鮮な野菜の上にクルトンをたっぷり乗せて手作りのドレッシングをかけたシーザーサラダも。
秘伝の味付けを染み込ませたミニロールキャベツも。
焼き目に美しさすら感じる香ばしいフランスパンも。
全部、氷浦が好きだと言ってくれた料理のはずなのに――
「美味しかったです、とても。ごちそうさまでした」
――完食したあとも、彼女の表情は晴れない。
「ごちそうさまでした。ここのモンブラン絶品だねぇ」
「いちごのムースも、流石は有名店といったレベルでした。凛菜さんの手作り料理には
「あはは、それは光栄だな~」
食卓からソファに移動し、隣同士で座って食べた――氷浦が買ってきてくれた――ケーキだってとっても美味しかった。
だけど……空気は若干の重たさを維持し続け、残念ながら思い出話に花が咲くこともない。
二人してローテーブルの上で揺れる紅茶を見つめて……お通夜みたいだ。
「ねぇ、氷浦」
同棲一周年という、キリもいいしせっかくの機会だ。
私に対して思ってることは全部言ってもらおう。
たとえそれでこの関係が解消されてしまうことになっても……嫌々続けていく方が互いにとって不健全じゃないか。
なにより、もし浮かれてるのが私だけだとしたら……馬鹿みたいだし。
「もしかして……私との同棲、もう嫌になった?」
「………………は? なん……なんですか、凛菜さん、何を……」
「そりゃ氷浦に比べたら私なんてなんもできないしさ、釣り合わないってのは最初から自覚してたし……」
「待ってください凛菜さん。私は」
「学校にだって私よりすごい人はたくさんいるのに、今だったら会社でいろんな……素敵な人とか見たりするんでしょう? だからいいんだよ、氷浦が別の人がいいって言うんなら……私はそれでも……」
「凛菜さん……」
「ん?」
ここまで煽ったんだ、向こうとしても切り出すのは簡単だろう。『そのとおりだよ!』って。たぶん、結構、きついけど……仕方ないじゃん。
「凛菜さんの…………ばかぁ!!」
「…………はぃ?」
……ば、か? ばか? 馬鹿って言った? あの氷浦帷が?
「わ、私は……ずっと……ずっと……凛菜さんのことが……」
「ちょ、ちょっと待って、え? 泣いてる?」
声を震わせながら、部屋着のズボンをぎゅっと握りながら、あの――クールだった氷浦帷が涙をぼろぼろ流しながら叫ぶ。
「こんな美味しいごはん毎日作ってくれて……家事も完璧で……いつも私のことを
「で、でも、私なんかより……」
「他の人なんて知りません! どうでもいいです! 私は……私には……凛菜さんだけなのにぃ……どうしてそんなこと言うんですかぁ! ばかぁ!!」
「ご、ごめん、ごめんて。泣かないで」
「…………そんな風に思われるなら……もっと早くに……こうしておけば良かった」
私の謝罪など一切に耳に入っていないようで、一瞬眼光を尖らせた氷浦は突然こちらへ飛びかかってきた。
「なっ……!」
ソファの上で押し倒され氷浦を見上げようなカタチに。
生暖かい涙が頬にぽつりと落ちる度、あまりの罪悪感から抵抗の意思が削がれる。
「ずっと……私がこの髪を
荒い呼吸のまま、左手で私の髪を持ち上げ、右手の甲で頬に落ちた涙を撫でられる。
「このいやらしい胸を無茶苦茶にしたかった……この艶めかしい唇へ酸欠になるくらいキスをしたかった……」
な、なんか急に結構ぶっちゃけ始めた……?
「……えと、それは最近? 同棲してたら徐々にってこと?」
「いいえ。ずっとです。初顔合わせの前から……そのずっとずっと前から思ってました」
「ま、じ、か……」
あー……えっとつまり……この生活は……家から強制されたとかじゃなくて……氷浦の望んだことだったってわけ……?
「でも凛菜さんから……『変なことしない』って釘を刺されて……一年……一年間も我慢してたんです……! 少しでも欲を出したら……止まらなくなりそうで……全部を我慢するしかなかったんです……!!」
えっ、無口でクールだった理由って……それ? こっちが氷浦の本性ってこと……?
「こうなったらもう止まりませんよ。凛菜さんが悪いんですからね。もう二度と私の愛を疑えないよう、その体に直接……」
「いやいやいやいや、待って待って、私そっちの気ないから!」
部屋着を捲られそうになり慌てて抵抗の意思をみせると、氷浦は自分の唇を噛んで、深呼吸をして、がくんと項垂れ、ようやく私から離れてくれた。
「その……ごめんね、いろいろと」
「いえ……私の方こそ……」
やばい……。気まずさを払拭するために始めた会話のせいで空気が更に重たく……。
「紅茶、おかわり入れてくるね。氷浦は「待ってください」
立ち上がろうとした私の手が掴まれ、再びソファに腰がおろされる。なんかデジャブ。
「行かないでください。いやだ……離れないで……どこにも行かないで……。凛菜さん……私……私は本当に凛菜さんのことが……好きなんです」
「……うん。……ありがとう。私も氷浦のこと好きだよ? じゃなかったら一年も一緒に住めないって」
「それなら!」
と、今日一番の大声を上げて私の正面に立ちはだかった氷浦。
「可能性、まだありますか? 私の意思を知った上で……許嫁で、いてくれますか?」
「……それは……」
ない、ことは、ない。
じゃあ……あるのか?
でも……うん? やばい。わからない。
だけど……絶対、この回答は……軽いノリでしちゃいけないってことはわかる。
なんでも簡単に決めてきた私だけど……考えろ。
さっきは咄嗟に『そっちの気はない』って言っちゃったけど……私は……本当は、彼女のことを……どう思ってる……?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。