許嫁、爆ぜる。~無口でクールな許嫁が感情を爆発させた理由~

燈外町 猶

許嫁、爆ぜる

第1話・許嫁、爆ぜる(前編)

(あれ、この部屋だよね……?)

 この出会いは不可思議で、きっかけはあまりに突然だった。

 中学の卒業式を終え高校入学までのんべんだらりと過ごしていた私に向かって、割と良好な関係の父が『お前には許嫁がいる。どうか一度会いに行ってほしい』と土下座をかましたことが全ての始まり。

「……許嫁?」

「そう、許嫁だ」

 どこにでもあるちっぽけな工場を守る、どこにでもいる工場長の父がなぜ許嫁などという制度を利用しているかはわからない。(しかも私の意思確認なしで)

「……頭、上げてよ」

 だけど、父がどれくらい真面目で誠実な人なのか、娘としては一応理解しているつもりだ。

 ――シングルファザーとして、どれだけ頑張って私を育ててくれたのかも。

 これで彼になにか報いることができるというなら……。

「まぁ……いいよ。彼氏がいるわけでもないし」

 好きな人がいるわけでもない。将来やりたいことがあるわけでもない。

 だから、断る理由がない。

 それだけの理由で、アイスを食べながらOKを出した。


×


 初顔合わせの当日、ボロい家の前に巨大なリムジンが迎えにやってきて(非現実的すぎて笑っちゃって)、

 再び頭を下げる父を背に乗り込んで、

 東京の一等地にも関わらず圧倒的な存在感を醸し出す和風料亭まで連れて来られて、

『突き当りのお部屋にて、お相手様がお待ちです』と言われ、

 歩を進めて襖を開くとそこには――

「……?」

 なんか……先客がいた……。

「っ……あ……」

(あれ、この部屋だよね……?)

 なんかほら、私は招待された側だし? 男が先に待ってるのかなーとか思ってたらそんなことはなくて、なんか……女の子がいる。しかも……。

「……えっ、あれ? 氷浦?」

「……はい。氷浦ひうら とばりです。……覚えていてくださったのですね」

 知ってる女の子だ。でも友達かって聞かれたら微妙なライン。

 小中高同じだけどあんまり話したことないし、あっちは大企業(というか財閥?)の令嬢でこっちは工場長の娘だし。

「えーと……氷浦、私もここに案内されたんだけど、そっちは部屋合ってる?」

「……合って、います」

「そか」

 ほーぅ……じゃああれか? もしかして並んだ氷浦と私を見比べて『どっちがいいですか?』ってやるやつか?

 ふむふむ、そんなの私が当て馬になるに決まってるし……なーるほど、父の土下座はそういう……『屈辱的な思いさせてごめん』って意味か。

 なんだ、ならむしろ全然悪くない。負けが決まってる戦いほど気楽なもんはないし。良かった良かった。

「ここ、いいかな?」

「は、はい!」

 きっと向かい側にはものすんごい金持ち男がやってくるんだろう、と推察し、氷浦の隣に座ろうとすれば彼女はビクンと体を跳ねさせて驚いていた。

 そんな緊張しなくたっていいのに。

「…………」

「…………」

 氷浦……なんか……いい匂いする。いや変な意味じゃなくて。

 和室によく合う、畳のイ草の匂いと決して喧嘩することのない、なんか自然な、落ち着く香り。

 顔だけじゃなくて座り姿勢も綺麗だし着物も似合ってるし香りからして美人とか……こりゃモてるよ氷浦さん……。高校生で許嫁もできちゃうよ……。

「めっちゃ緊張してるね、大丈夫?」

「……はい……いえ、まだちょっと、ダメかもです」

 ダメかもです。って。意外と可愛い言葉使ったりするんだ。

 でもそうだよね、これから旦那さんになろうって人が来るんだからそりゃ緊張もするよ。ここはいっちょ、庶民のトークで和ませてしんぜよう。

「私達まだ高校生なのに許嫁って……笑っちゃうね。相手どんなロリコンなんだろ。いや、女子高生ってロリなのかな?」

「……です、かね……」

「というか三月の末まではまだ中学生なんだっけ? 中学生は絶対ロリだよね~」

「………………はは……」

 俯いた氷浦からは乾いた返事が返ってくるのみ。普通にスベって気まずい。庶民は所詮庶民だってことか……。

「………………」

「………………」

 沈黙に耐えきれず時計に目をやると、約束の時間はとっくに過ぎている。

 気楽に足を崩している私はいいけど、長らく正座で緊張しっぱなしの氷浦をこのまま待機させるのはあまりにも可哀想だ。

 それに『女は待たされて当然』とか思ってるタイプの男だったら普通に腹立つし一発言うてやろ。

「ちょっとどうなってるのか聞いてくる。誰かいるかな」

 言って立ち上がった瞬間、今まで微動だにしなかった氷浦の細い手が、素早く伸びて私の手首を掴んだ。

「…………私、なんです」

「へ?」

 ようやく言語らしい言語を放ってくれたものの、すぐには釈然といかない。何が? 私?

「……緊張して……ごめんなさい、言い出せませんでした」

「うん。……何を?」

凛菜りんなさん、私の婚約者になってください」

「こん……やく……しゃ……?」

 こんやくしゃ……待って、漢字で変換すると婚約者これ以外になくない?

 んで婚約者と許嫁って同義語だよね?

 ……つまり、えと、その……。

「……い、」

「い?」

「いきなり名前呼びかーいっ」

「…………す、すみません」

「ううん違くて違くて! ごめんボケかと思ったからカブセたんだけど……あるぇ~?」

 なにその赤面、なにその慌て様!

「まじなの……?」

「まじです」

「本気と書いて……?」

「本気と書きます」

「ドッキリじゃないの……?」

「ドッキリ、とは……?」

「…………」

「…………」

 ……いや、ありえないよ? 普通に考えればありえない。

 女と女が許嫁? 女が女にプロポーズ? しかも面識だって大してないのに。

「…………」

 でもその表情は、投げやりとか適当といった様子ではなくて。

 とにかく必死に、祈っているように目をかたく瞑っている。たぶん……本気なんだろう。

 そしてこんなありえないことが起きているということは、何かしらありえない裏があると考えていい。

 つまり、彼女にも何かしら、ありえない事情がある、とか。

「…………いいよ」

「……えっ? あの…………いいよ、と、言うのは……?」

「いやー変なおっさんとかだったら絶対ムリだったけど、氷浦なら変なことしないだろうし」

 人助けみたいなものだ。それに一つ、面白い人生経験を積めると思えばいいだろう。

「あっ……ぅ、はい……」

「えっ、しないでしょ? 変なこと」

「………………し、しません……」

 なにそのは。……いやいや、緊張しちゃってるだけだよね、まさか、ね……。

「ん。なら良し」

 氷浦がどんな人間なのかは正直、全然知らないけど、不誠実なことをするような人ではないって……勘が言ってる。あくまで勘だけど。

「なんか困ってるんでしょ? お互い様ってね。今回は私が一役買うから、いつか、私が大変なときは助けてね」

 それに……そうだ、この話には父も噛んでる。きっと何かしらの意味があるはずだ。

 そう改めて前向きに捉えて右手を差し出すと――

「はい……はいっ! なにがあっても、どんなことがあっても、凛菜さんを守ることを誓います」

 高級菓子でも受け取るように恭しく両手でそれを包み、肩を震わせながらそう言い切った氷浦。

 泣いちゃったよ……大げさだなぁ……。

 いや、もしかするとこれ、父の工場がある土地がなんかすんごい価値があるとかで、家族から『失敗したらどうなるかわかってるんだろうな!』的な脅しを受けたのでは……?

 そう考えるとますます不憫に思えてきた……!

「……私達はこれで一応、許嫁同士なんだからさ、なんか話したいこととかあったら言いなよ。愚痴でもなんでもいいから」

 私達は許嫁同士……こんな言葉を口にする日が来ようとは……。

「はいっ! 凛菜さん……こんな……荒唐無稽な話を受け入れてくださって……本当にありがとうございます」

 荒唐無稽な話はいいんだ。ぶっ飛びすぎてて私自身上手く受け入れられてるかわかんないし。

 だけどやっぱりその名前呼び……誰にもされたことないから慣れないなぁ……。


×


 そんなこんなで結ばれた許嫁関係は、さして不安もなかったけど想像以上に順風満帆。

 既に決まっていたかのような周到ぶりで部屋や家具が用意され、初顔合わせの一週間後には2LDKの立派なマンションにて同棲生活が始まった。

 氷浦は放課後、生徒会役員の活動に加え様々な部活の助っ人として駆け回っているから忙しいけれど、私は帰宅部だしもともと料理も家事も好きだから家のことを任されている、といった具合。

 あっという間に高校一年目が終わり、同棲生活もそろそろ一周年を迎える頃――

「凛菜さん……」

 ――氷浦は、爆ぜた。

「ん?」

 普段、無口でクールな彼女が――

「凛菜さんの…………ばかぁ!!」

「…………はぃ?」

 ――感情を大いに、爆発させた。

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