努力するカメー③

「くそっ…………くそぉぉぉぉぉぉ!!!」


 賑やかなお祭りが催されている、こじんまりとした街の中。皆がその顔に笑みを浮かべる一方で、その場にはあまりにも似つかわしくない叫び声が轟いた。


 ソレが響いた場所は屋台が並ぶ大通りのすぐ脇で、結構人通りがある。なので多くの人々……もとい野次馬たちが集まってしまった。


 なんだなんだ、と覗き込もうとする野次馬たち。そうやって人々が増えていくたびに、私の中に一つの感情が雪のように積もっていった───罪悪感である。


「やっぱこうなっちゃったか……」


 そうやって思わずこぼしてしまった言葉は、あえなく野次馬たちの雑踏にかき消されてしまった。でもそれでいいと思った。万が一聞こえてしまったのなら、私は本当に彼に嫌われてしまうだろうから。……いや、既に手遅れかもしれないが。


 ともかくして。少なからず私は関係者なのだ。この場に留まる義務があるわけで、ついでに言うと彼に対して再び頭を下げないとならない立場にある。


 ……重すぎる腰を上げて、私は野次馬の流れに身を任せた。


「くそ……なんで……何でなんだ!!!」


 いつかのようにスーツケースを盾にして群がる人々の壁を突き抜けると、そこには膝をつき四つん這いとなった彼の姿があった。多くの人々に見られていることに気付いていないのか、或いは人の目を気にする余裕なんてないのか、ボロボロと涙をこぼしている。


「…………」


 どう声をかけたものだろうか? とりあえず名前でも呼んでみようか……いや、そんな浅慮のもとで決めてしまっていいものか。いっそしばらく様子を見た方が?


 私はふるふると首を横に振った。どの選択をしても、結局私の自己満足に過ぎないんじゃないかって思ってしまったからだ。彼の矜恃を最も傷つけない方法は何だろうか?


 そんなことを考えながら、私が立ち往生をしていた時だった。


「御機嫌よう、カリュさん」


 後ろから聞こえてきたのはそんな野太い声。すぐさま誰か分かり、私は後ろを振り返った。


「こんにちは、“エレベス”さん」

「……どうやら少々大変なことになっているみたいだな」

「えぇ……少々どころではない気もしますが」

「ん?」

「あぁ、いえ。少々大変ですね……はは」


 物理的にも精神的にも威圧感がすごい、筋骨隆々な男性“エレベス”。見た目に反した真摯な対応は、元兵士であることが関係しているのだろうか? なんて思ってみたりする。


「あの……あっちの方は大丈夫でしたか?」

「ああ、労いの言葉はもう掛けてきた。今頃は表彰か何かがされてるところだろう」

「そうですか……えっと、どうしましょうか? こちらは」


 私はその場に崩れ泣き崩れる彼に目をやった。正直私だけではどうにもならない……と思っている。


「うむ、そうだな」


 エレベスはそうは言いつつも、口髭を撫でつけながら彼に向かって近づいていく。どうか事態に収拾をつけて欲しい……ほんと、お願いします。


 間もなくして、エレベスは彼の隣にしゃがみ込んだ。さて、どうす───



「タァァァァァァァスゥゥゥゥゥゥ!!!!!」



 ぐぅううううあああああああ!


 キーーーーン


 彼の慟哭どうこくなんて足元に及ばない轟音。ここら一体の山々にすら聞こえたんじゃないかと思われる大声が、それはもう響き渡った。嫌というほど。


「うぇ…………」


 耳を塞ぐのが遅れたせいで、私の耳はもろにそれを聞き入れてしまった。幸いにも未だに音は聞こえている。鼓膜は無事だったらしい。


 恐る恐る目を開けると、仁王立ちをしているエレベスが目に映った。その足元にはつい先ほどまで泣きじゃくっていた彼……もといタース。タースはただ呆然といった様子でエレベスを見上げていた。その口はポカーンと半開きだ。そりゃ、いきなりあんな怒鳴られたらああなるだろう。


 しかしながらエレベスはそんなことお構いなしに、


「いつまでそうやって泣いているつもりだ? タース。お前は自分の敗北をそんなに受け容れられないのか? 戦場で泣き崩れるやつなんて兵士には必要ないぞ! タース!!!」


 なんて諭した。


「べ、別に兵士になるつもりは───」

「誰が発言を許可した!」

「申し訳ございません! エレベス叔父さん!」


 え、怖い。毎回あんなやりとりしてるのか……? 私ならとっくに泣いている自信がある。


 その場に直立不動となり、敬礼をキメるタース。エレベスはその周りをグルグルと回りながら話を続ける。


「いいか? タース。オレは何も『泣くな』と言っているわけじゃない。ただその涙はここで流す必要があるのかという話をしているのだ。どうなんだ」

「いえ! ここで泣く必要はありませんでした!」

「ではなぜこの場で泣いたのだ?」

「はい! 生理現象なんで抑えられなかったからです!」


 至極正論だ。


「ではなぜ涙を流したのか、その理由は?」

「それは……」

「いい、言ってみろ。俺は口を挟まん」

「……ラビに、ラビなんかに負けたからです」


 タースの拳が強く握られた。それは小刻みに震えている。


「……僕は誰よりも努力をしてきました。今日を勝つために、毎朝早くから素振りをして、夕方と夜にも叔父さんに言われた通りトレーニングを行いました。叔父さんも言ってくれたじゃないですか、『少し前より見違えた』って」

「あぁ、言ったな」

「練習を妥協したことなんてこれまでに一度もありませんでした。今日というゴールの為だけに、僕はただの一度も休むことなく走り続けてきたんです。それなのに……」

「お前は、負けた」


 再び、ラビの顔が歪んだ。


「何が一番悔しいか……それはラビなんかに負けたことです! あいつは今までただの一度も努力をせずに、自身が生まれ持った才能だけで僕を負かしたんです! ずっと努力をし続けた僕を差し置いて……あいつはッ……あいつは! 勉強や運動だってそうだ! 何であいつだけ僕の上にいるんだ! マリーにだってあんなに好かれて……不公平にも程がある!」


 さながらそれは、タースの独白だった。今までの思いを全てぶちまけてみせたのだ。


「……」


 私には分からなかった。それは、彼にかけるべき言葉である。何を言えばいいのか……何が最も適した言葉足り得るか。それを慎重に決めないとならない───


「タース。それは違う」


 しかし私の思いとは裏腹に、エレベスは即座に口を開いた。


「え?」

「お前は大きな勘違いをしている」


 あ、マズい。そう思った私の口が反射的に動いた。


「エ、エレベスさん。それは言わない方が……」

「……この際、仕方あるまい。ラビ君には後で俺の方から謝っておこう」

「でも……」

「ラビ君の名誉の方が重要だろう」

「え、え?」


 何が何だか状態のタースだけが、私とエレベスの2人に交互に目線をやる。私は大きくため息を吐いた。もう、成るように成れだ。


「タース、実はお前にずっと隠していたことがある」

「隠していた……?」

「そうだ。 ───ラビのことだ」

「ラビ? なんでラビが……?」

「……俺はな、俺が稽古をつけていたのは何もタースだけじゃない」


 エレベスは一呼吸を置いてから言った。



「ラビにも稽古をつけていた。半年も前からな」




 ─────────




 なぜタースは敢えなく敗れてしまったのか。 才能の前にねじ伏せられたのか? あるいは努力を怠ったのか?


 その答えはどちらも異なる。答えはもっと簡単で、ラビはそれ以上の努力を重ねていたのだ。


「ふっ……ふっ…………!」


 剣を振るうラビ。その短い呼吸音と、剣が空を斬る音のみがこの小さな地下室を支配していた。


 私はその様子を、頬杖をつきながら眺める。


「あと200だ」

「うっす!」


 腕を組み、その様子を見るエレベス。その眼は、獲物の様子を窺う捕食者のように鋭い。しかしラビはそんなの全く気にすることなく一心不乱だ。ひたすらに、歯を食いしばり、ただの一度も姿勢を崩すことなく、剣を振り続けている。


「……すごい、ほんと」


 素直にそう思えた。気迫とか執念とか直向さとか……そういうのが凄まじいのだ。私は感心と言うよりはむしろ圧巻される他なかった───



「そんな……ラビが?」


 エレベスの口から語られたその話に、タースは自身の眼を見開いた。到底信じることができない事実を前に唖然としているのだろう。


「ラビは毎朝2時間の素振り、学校から帰って家の手伝いを終えた後も欠かさず基礎トレーニングと素振りをやっていた。1日も休むことなく、半年間ずっとだ」


 淡々と事実だけを語るエレベスに、しかしながらタースは首を振った。


「う、嘘だ! 叔父さんは嘘を吐いている……だって、だってあいつは全部才能だけでこなしてきたんだ。 ……カリュさん!」


 何かを訴える眼で私を見るタース。『頼むから僕に同意してくれ』……そんな声が聞こえた気がした。

 私は一瞬躊躇ってしまったが、やはり首を横に振った。 ……脳裏に蘇ったのは剣を振るうラビの姿だった。


「全部事実だよ、タース君。ここ1週間の半分くらいはラビ君の様子を見てたから。ずっと、ずっとあの子は頑張ってた」

「いや……だって……カリュさんは知らないと思いますけど、あいつは授業中寝てることが多いし、そもそも学校をサボることだって多いんだ! 何かに打ち込んでいる姿なんて見たことないし!!!」

「……」

「カリュさん!」


 今の私にできることは洗いざらい全てを話すことだけだと思った。


「……決勝戦が始まる前に、私はタース君に謝ったでしょ? 話していないことがあるって。それがね、ラビ君のことだよ。あの時はまだ私、言葉を濁らせることしかできなかったんだ。ラビ君には『練習していることをバラすな』って言われてたから」


 タースの反応を待たずに私は言葉を続ける。


「ほんとごめん。結果私は……タース君のことを裏切る形になっちゃった。結構悩んだんだけどね。ラビ君のこと話すかどうかって。でも───」

「タース」


 私の言葉に被せられた声。エレベスだった。彼はタースの元へと近づき、その頭に手を置いた。


「言いたいことが2つある。お前にとって厳しい言葉にはなるがな。聞いて欲しい。1つはカリュさんのことだ。どうか責めないでやってほしい。彼女もタースとラビ君、2人に板挟みになっていて大変だったんだ。彼女なりの思いなんかもあるだろうから。そしてもう一つは───」


 エレベスはタースの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「ラビは努力をしてきたことは紛れもない事実だ。受け容れなさい、タース。 ……だがな、それが難しいことだってのも分かる。“才能があるから”なんて言葉で片付けたくなるんだよな? 気に食わない人間が、自分よりも努力をしていたなんて認めたくないんだよな? ……痛いほど分かるぞ俺は。俺だって、昔はそうだったんだから」

「ほんとに……ほんとにラビは努力を?」


 エレベスは大きく頷いた。


「覚悟があるなら本人に聞いてみるといい。真相はそこで見極めなさい」

「……」


 口を真一文字に閉ざしたタース。しばらく無言で固まったままだったが、やがてその腰を上げた。


「カリュさん」

「……はい」


 どんな言葉が飛んできても、私は受け止める気でいた。しかしながらタースは───


「ありがとうございました。その……色々と僕のためにしてくれて」

「ほんとに、ごめんね。裏切るみたいな感じになっちゃって」

「いや……きっとラビが本気で練習をしていたなんて言われても、僕は信じなかったですよ」

「タース君……」

「あの、先に宿に戻ってもらってて大丈夫ですから。僕はちょっと……叔父さんと話があるので」


 そう言って、薄く笑みを浮かべたタース。

 私は思わず『私も残るよ』と言いかけてしまった。しかしそれは寸のところで引っ込んでくれた。


「……分かった」


 無理に笑みを浮かべ、私はその場を離れる。


 ………………


 …………


 ……


 少し歩くとちょっとした人だかりが出来ていた。見ると、その中心にはラビの姿が。その手には小ぶりのトロフィーが握られている。彼は大きな声で誰かと会話をしていた。


「あ、カリュさんじゃないっすか!」


 遠目から見ていた筈なのに、ラビはすぐに私のことに気がついた。何か反応を見せるよりも前に、彼は人だかりを割ってこちらへとやってくる。


「見てくださいよこれ! これ! オレ優勝したんすよ! すごくないっすか!」


 トロフィーを高々と掲げるラビ。その顔には屈託のない笑みが浮かんでいた。


「おめでとね。ラビ君」

「いやーマジでめでたいっすよ! エレベスさんにも褒められちゃったし! いやーオレの時代来ちゃったかなーこれ!」


 フハハハハと高笑いをするラビ。私はにっこりと微笑み、その様子を見ていた。 ………1歩、2歩。


「……? なんで後ずさりしたんすか?」

「いや、別に深い意図はないよ」


 熱量的に少し下がった方がちょうどいい温度だと思っただけで。何はともあれ相当嬉しいのだろう。その様子がタースとはあまりにも異なっていて、ちょっと戸惑う。


 ───そういえば、なんでラビはこんなに努力を重ねたのだろうか? 


 ふと私の中にそんな疑問が沸き起こった。


「ねぇラビ君。一つ聞きたいことがあってさ、いいかな」

「ん? なんすか?」

「ラビ君はさ、半年も前からエレベスさんの元で剣の訓練を積んできたんだよね?」

「そーっすね」

「それはなぜ?」

「……? “なぜ”?」

「あーえっと……なんでそんなに練習を頑張れたのかなって思って。理由があるなら知りたいなって」


 タースは今までの自分を変えるために必死になって努力を重ねてきた。自分を変えて、幼馴染に告白をするために………ではラビはどうなのだろう? 


 私はラビから、努力していることを周りに隠して欲しいとお願いをされていた……結果としてこれも叶わなかったわけだが。きっとそうやって隠さないといけない理由ってものが───



「あーそれっすね。いや、めっちゃ努力してるってバレるのなんか恥ずかしいじゃないっすか。だからっすね」



「……ん?」

「才能で全部をよゆーでこなす……そういうのかっこよくないっすか?」


 自身の顎に手をあてがい、そんなことを抜かしやがったラビ。 ………何言ってるんだろ、この金髪。


「えっと、たったそれだけ?」

「そっすね」

「……」

「あ! でも今回は特に頑張りましたよ! やっぱ剣使えるのってカッケーじゃないっすか! ………どしたんすか、カリュさん」


 どうしたも、こうしたも……それはちょっとタースがあまりに報われないと思っただけだ。


「ハァ」

「え!? なんでそこでため息っすか?」

「いや……無駄に重く考えてたのが馬鹿みたいだって」

「? どういうことっすか」

「ラビ君、君がめちゃめちゃ努力して優勝したのはもうバレてる」

「え………え!? マジで言ってます?」

「マジで」

「バラしたんすか!?」

「バラしたのはエレベスさん」

「エレベスさん!?」

「私にも責任があるんだけどね……それはごめん。あと一つだけ言っときたいのがさ」


 あんぐりと口を開き固まったままのラビ。私は気にせず言葉を重ねた。そこにほんの少しの嘆息を乗せて。


「才能に胡座をかいた人よりも、ずっと努力して頑張ってきた人のことの方がよっぽどかっこいいと思うよ、私は」


 私はその右手にスーツケースを引いて、その場を後にした。




 ─────────




 陽が落ちていくにつれて、収穫祭の雰囲気は様変わりを見せた。だんだんと片づけられていく屋台を見ていると、なんとなく物寂しさを覚えたのだ。つい数時間前まではあんなに賑やかだったのに、本当に同じ場所なのかなって思えるほどに今はひっそりとしちゃっている。どうも、その落差みたいなものが好きにはなれなかった。


 スーツケースを引く私はそんな様子の一瞥を繰り返しながら、タースの両親が経営する宿に向かって歩を進めていた。もちろん私の頭の中に想い浮かぶのはタースとラビの出来事である。


「努力、か……」


 記憶の結構奥の方から引っ張り出されたのは、孤児院時代に読んだ本の内容であった。それは能力のない者が必死の努力の末、能力にかまけた者を上回るといういわゆる、成り上がりの話だった。教訓として「努力は実をなす」ということが語られていた筈だ。 ……どうも、今まで私はこの話に漠然的な疑問を抱いていた。


 それは能力のある人物の存在である。“能力のある”というのは一体どういう者を指すのだろうか? 思うに、この物語内にあるその者とはきっと“才能ゆえの能力”なのだろう。


 明瞭に物語を語る上ではそのような人物を用意した方が都合が良かったのかもしれない。しかしながらどうだろう? 実際に能力のある者というのは……ラビのような努力の末の賜物ではなかろうか? 努力をした者以上に努力をした末の能力ではなかろうか?


「努力するカメ」


 物語になぞらえてそう形容してみた。そういう人は他人からはウサギに見えてるんじゃないかって。 ……無論、そうやって誕生した“ウサギ”は脇目も振らず、走り切れるのだろう。


 だとすれば私は世知辛く思ってしまう。努力が報われると説いたあの物語、努力は裏切らないと言ったエレベスの言葉……果たしてそれらは、確かに努力をしたタースに当てはまるだろうか? 


 ………私はかぶりを振った。タースには申し訳ないけれど、思ってしまったのだ。彼の3ヶ月は無意───


「……ん?」


 私が路地を曲がった時、すっかり人通りの少なくなった通りに一人の少女が立っていた。ちょうど私がお世話になっている宿屋の正面だ。少女は胸元に大きな花束のような物を抱えており、キョロキョロと辺りを見渡している。それはまるで誰かを待っているかのように。


 その時、頭の中に一つの考えが生まれた。それは紙に零してしまったインクのように滲み広がって、しかしながら私は否定することが出来なかった。


「もしかして……あの子は」


 私の中に思い返されたのはタースとの会話。彼の努力の根源となった、その動機……。


「なんだ、合ってたんだ」


 物語の結末を振り返り、私は苦笑した。


 駆け足で少女の元へと向かった。茶髪の少女の元へ。


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