真っ白の異分子ー③

 

 その日の夜、私は半泣きの男子に謝られた。「一緒にするな」と激昂した男子だった。


 しかし、あの時の態度はどこに行ってしまったのか? 彼はすっかりしょげてしまっており、少しつつけば泣き出してしまうだろうと思った。……枯れるまで泣き果てた私には、もう流す涙すらないが。


 隣を見ると、口を真一文字に結んだヘレン先生が男子の隣に立っている。曰く、彼は十分に反省したのだから許してあげてほしいとのこと。なんと頭まで下げられた。……先生なのに。何も悪いことなんかしていないのに。


 何はともあれ、私には言葉が求められた。無言で立ち去ることは許されなかった。何かを言わないとならない。そして、その言葉も強要されていると感じた。私は一呼吸を置き、長く息を吸い込み、長く息を吐いた。本心が顔に出ないように、それに気をつけて……。


「……いいよ、もう」


 ヘレン先生が体の前で組んだ両手、ちょうどその指の付け根あたりを見ながら、私は言った。


 翌日には私の部屋を女子が訪ねてきた。彼女たちは私の両手を掴むと口々に言葉を漏らした。「気にしないでね」「あいつが言ってるだけなんだから」「私たち、友達でしょ?」……耳障りの良い言葉たちが私を包み込んだ。普段、話をしない女子もいた。私はその言葉を聞き、枯れ果てたと思っていた涙を流した。込み上げてくる嗚咽おえつを抑えることは出来ず、全てがダダ漏れとなった。


 すると、背中を何かが這う感覚に襲われた。すぐに手だと分かった。その手をどうもすることなく、私は顔を両手で押さえつけ、すすり泣き続けた。「大丈夫?」「大丈夫?」「大丈夫?」……かけられ続ける言葉。私は応えることなく、泣き続けた。


 やがて、彼女たちは去っていった。もう消灯時間なのだという。私だけがポツンと部屋に一人となった。


「……酷い顔」


 姿見に自身の顔を写す。とてもじゃないが、可愛い服で着飾った自身と同じだと思えなかった。真っ赤に染まった眼と、シワシワに乾いた唇、そして疲れ切った表情…………誰なんだ、これは。


「…………気持ち悪い」


 顔を歪ませた自身の姿は異常に不快で、私は目を逸らした。


「気持ち悪い、本当に」


 浅く、長く息を吐き続ける。体中の酸素を吐き切ろうとした。自分の中の全部を外に出し切りたかったから。


「ガ……ゲホッ……! ゲホッ……!」


 すぐに苦しくなって、私は咳き込みながら空気を喘いだ。


 肩で息を繰り返しながらベッドに蹲る。


「なんで…………こんな…………」


 先ほど訪ねてきた女子たちの顔が思い浮かぶ。その言動が私の中で反響する。また嗚咽が込み上げてきた。呼吸が浅くなる。空気を喘いだ。


「怖い………………」


 心境を吐いた。掠れきった、蚊の鳴くような声で。


 私を心配するような彼女らの言葉たち。耳障りの良いソレに、感動をして涙を流したのでは決してなかった。むしろ逆だ。…………ひたすらに怖かったのだ。私には、どうしてもその言葉たちが形式的なものにしか……上辺にしか聞こえなかった。あの男子と一緒で、とりあえず言葉を取り繕っただけじゃないだろうか? 内面では薄ら笑っているのではないだろうか? だって…………普段は全然話さないじゃん、あなたたち。本当は私のことをどう思っているの? 


 他人の心が分かる装置が欲しかった。 ……でも仮にソレが手の中にあったとしても、私は使えないだろう。




 ─────────




 その翌日。私は酷く体調が悪かった。ひたすらに身体が重い。額に手を当てる…………よく分からなかった。


「苦しい……」


 言語化すると余計にダメで、身体はもっと重くなった。それでも身をよじって、なんとかベッドから起き上がる。カーテンを開けるともう朝になっていた。……太陽の光が眩しくて、すぐに閉めた。


「今日は、どうしよう」


 ポツリとそう呟いた時に、コンコンとドアがノックされた。扉を開くとそこにいたのはヘレン先生だった。


「おはようございます……ヘレン先生」

「体調はどうです?」

「少し、気分が悪くて……」


 それを聞いたヘレン先生が小さな声で「あぁ」と言った。


「……今日はどうします?」


 おそるおそるの口調でヘレン先生が訊く。孤児院の彼らの中に混ざるかどうか……ということだ。昨日も、一昨日もヘレン先生はそう訊いてきた。私は2回とも首を横に振った。……とてもじゃないが、出来そうに無かったから。


 なら、今日もか? 自身に問いかけてみる。確かに体調は悪い。でも、たぶんこれは熱とか病気とかそういう類ではない。“行きたくない”という思いからのものだ。


 私は行きたくないから行かないのか? ───そうだ、それの何が悪い? そうやって全てを拒絶しようか? ……でも、拒絶したならば……。


 答えを出すことが出来ず、私はただ顔を歪めるだけだった。即答が出来ない自分自身に嫌気が刺したから。 ……数秒間の沈黙の後にヘレン先生がその口を開こうとした。


「もし辛いのなら───」

「カ、カリュちゃん!」


 ───が、それは同時に聞こえてきた声にかき消されてしまった。反射的に声の方向へ振り向くと、一つの人影。 


「あの子は」


 公民館に向かったあの日、その道中で私に話しかけてきた女の子だった。セミロングの栗毛が特徴的な女の子。


「あなた、今は授業中でしょう?」

「ご、ごめんなさい! ヘレン先生……でもカ、カリュちゃんが」


 栗毛の少女は、その両手をわたわたと動かしながら言葉を紡ぐ。


「カ、カリュちゃん? あの……調子はどう?」

「…………」

「えっと……あの、わたし待ってるから! そのお話したいこととかあって……」

「は、なし?」

「お昼に……宿舎裏で、待ってるから! わたし、そこに居るから……」


 栗毛の少女がそこまで言ったところで、ヘレン先生は自身のこめかみを押さえながら首を横に振った。


「あなた、勝手に話をまぁ」


 ヘレン先生は大きな嘆息を吐いて、栗毛の少女を廊下の奥へと連れて行ってしまった。 ……きっと搾られてしまうだろう。


 …………。


 静まり返った廊下に取り残された私。無言で部屋に戻るわけにもいかないだろう。手櫛で枝毛を梳かしながら、窓から見える本舎を見た。本舎……授業を受けたり、ご飯を食べる建物だ。彼らは今あそこにいる。授業を受けている。


「…………」


 それを意識してしまうとやっぱりダメで、胸の奥がキュッと締まる感覚に襲われた。どうしても思い出してしまうのだ。……拒絶されてしまった事実を。今まで仲間だと思っていた人から、実はそう思われていなかった現実を。……たった髪と肌が白色なだけで。


「……おかしいよ、そんなの」


 窓ガラスを指で弾いた。ピシャと音が鳴るだけで、小さな傷一つ付かない。


 ふつふつと湧き上がってくる思いがあった。……それは彼らのことを拒絶したいというもの。私のことを拒絶した人間と一緒に居たいと思えるはずがなかった。上辺でモノを語っているかもしれない人間と、会話したいなんて思えるはずがなかった。


 なら、そうやって拒絶しきってしまえばいいのだろうけれど。


「……そんな簡単にできる訳ない」


 上歯で下唇を噛んだ。鈍い痛みが走り続ける。構わず噛み続けた。口の中に血の臭いがし始めたところで止めた。……やるせなさだけが渦巻いて止まない。私はその場に座り込んだ。


「どうすれば、いいんだろ」


 これからどうして行けばいいのか、そんな事を決断しきれずに、私はフワフワと揺蕩たゆたっていた。これ以上傷つきたくなくて、ずっと立ち止まり続けている。……そんなの絶対、ダメなのに。決めないといけないのに。


「無理だ……」


 呟くと、嫌悪感が滲み広がった。自身に対する嫌悪感。一人では何も出来ない自分が、どうしようもなく醜いものだと思ってしまった。……傷つきたくない自分に、私は傷ついた。 


 しばらくそうやって座り込んでいた。 ───でも、そういう訳にもいかず私はよろよろと立ち上がる他なかった。誰かになんて見られたくなかったのだから。


 その時、目の端に窓の外が写った。


「あれって……」


 十数メートル先にある本舎。私が見ている宿舎の窓からはその廊下が見えた。そこで誰かが手を振っている。栗毛の女の子だった。


「私に?」


 その表情までは分からないが、口元がパクパクと動いているように見えた。


 ───思えば、彼女は私なんかよりもずっと内気な女の子だ。素行も良くて、真面目に授業を受ける女の子。しかし彼女は授業を抜け出してまで、私の元へとやってきた。普段なら決してあり得ないだろう行動……なぜ?


「私のため? いや、そんな訳…………ある?」


 困惑をしながらも、私は小さく手を振り返した。すると少女が振る手の動きが大きくなったものだから、私はさらに困惑した。


「分からない……」


 いったい彼女が何を考えているのか、まるで分からなかった。でも私に励ましの言葉をかけた女子たちとは違って、不思議と不快感を感じることはなかった。……あの女子たちとは何が違うんだろ。


 胸のところに静かに手を置いた。トクトクと心音が跳ね返ってくるのが手に伝わってくる。


「宿舎裏……って言ってたかな」


 一人じゃ不安で何も出来やしなかった私は、震える手を伸ばした。


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