真っ白の異分子ー②

 ガチャリ、と音を立て両開きの扉は軋むことなく開かれた。間もなくして姿を表したのはヘレン先生だ。しかし、それだけではない。扉の向こうに知らない人が立っていた。ふくよかな体型の女性だ。いったい誰なのだろう?


 もっとちゃんと見たかったが、「皆さん」とヘレン先生に呼びかけられ、私たちは先生を囲むように輪となった。


「ではこれから合唱の練習を共にする、学校の生徒達を紹介します。いいですか皆さん? わが孤児院に恥じないよう礼儀正しくするのですよ?」


 私たちが「はい」と返事をすると、ヘレン先生がコクリと頷いた。


「ではフランソワ先生、あとはよろしくお願いします」


 “フランソワ”と呼ばれた女性は、にこやかに「はい」と答え、私たちがいる部屋の中に入ってきた。彼女は軽く私たちを見渡したうえで深々とその頭を下げた。反射的に私たちもお辞儀をする。彼女は目が合うと、再びその顔に笑みを浮かべて見せた。おしとやかなご婦人という印象を受ける。まさに物語の中に出てくるような。……体型もそれっぽいし。


 私たちの前に立ったフランソワ先生は、身振り手振りを交えながらゆっくりとした口調で話し始めた。


「孤児院の皆さん、こんにちは。わたくしは学校で先生をしております、フランソワと言います。本日から式典で行われる合唱練習となりますが、皆さんどうですか? 緊張していますか? ……えぇ、そうですよね。緊張してますよね。でもそんなに硬くなることじゃないんですよ。いいですか? 代々式典が行われる時には……」


 饒舌に語るフランソワ先生。初めはまともに聞いていたものだったが、一分程度してからはずっと前の子の枝毛の本数を数えていた。……孤児院の先生もそうだが、先生と名のつく人間はこんなにも話が長い生き物なのだろうか? とこの時の私はぽけーっと考えていた。もちろん顔には出さないが。得意技だ。


「……わたくしからは以上です。では先ほども言いました通り、我が校の生徒を招き入れます。孤児院の皆さん、仲良くしてあげてくださいね?」


 突然鳴り出した拍手に私の身体がびくりと跳ねた。何事かと周りを見渡すと、扉の向こうから一斉に誰かが入ってきている。


「……俺たちと同じくらいだな」


 小声で隣の男子がそう呟いた。私にではなく、一列前の男子に。後列にいる私もひょこっと首を出して部屋に入ってきた人物達を見た。


 背丈が同じくらいの……おそらく年齢も同じほどの子供達。皆が淡い茶色の服にその身を包んでいる。男子はズボンで、女子はスカート。女子は大きなリボンを胸元につけていた。


(学校の生徒……街の人たち)


 彼らが歩く様は規則正しく、私は運動の時間に行う「集団行動」を思い出した。それは私達も普段行っていることで、親近感を覚えた。


 次に、彼らの表情を見た…………よく分からない。口元を硬く閉ざしていたのだから。やはり緊張しているのだろうか? そうやってジロジロと様子を窺うかがっていたせいだろうか。何だか妙に目が合ったような気がした。


 私たちの前に並んだのはおおよそ30人程度の生徒だった。私たちと同じ程度の人数だ。彼らが並び終わるとすぐに、フランソワ先生が話を始めた。


「学校の生徒と孤児院の皆さんがこうやって顔を合わせるのも初めてですね。先ほども軽く触れましたが、来月に行われる式典に向けて一緒に練習をしていきます。合唱というのは一人の力で為せるものではありません。ここにいる全員が一蓮托生いちれんたくしょうとなり、ようやく完成するものなのですよ? それに……」


 うんぬんかんぬんエトセトラ。最後に「仲良くしましょう」と締め括ったフランソワ先生に私たちと、学校の生徒たちは「はい」と答えた。……横目で生徒達の様子を見てみると、一人の生徒が明らかに気怠そうな態度をしていた。


 そこで私は確信をした。私たち、孤児院の子供達と学校の生徒達の価値観ってかなり似通ったものだということを。孤児院だから、とかそういうのって案外関係ないんじゃないかと思ったのだ。


 “うん、そうだよ”と私は心の中で自答した。


 フランソワ先生の長話が終わると、孤児院の代表と生徒の代表がそれぞれ前に出た。そして握手をする。事前にそういう段取りとなっていたのだろう。もちろん、拍手が巻き起こった。


 それからはトントンと段取りは進んでいった。フランソワ先生のピアノ兼指揮のもと、私たちは生徒と一緒に合唱を行った。事前に練習をしていたため、特に支障もなく時間は過ぎていく。何人かがフランソワ先生から指摘をくらっていたが、幸い私に飛んでくることはなかった。40分程度の練習の後、フランソワ先生は立ち上がって一言。


「では一度休憩にしましょう。お手洗いは扉を出て右側にありますよ。……ヘレン先生からは何かありますか?」

「いえ、特には」

「えぇ、分かりました。では10分ほどしたら戻ってきますので。楽にしていなさいね」


 フランソワ先生とヘレン先生はお互い顔を見合わせたかと思うと、二人並んで部屋から出て行ってしまった。


 ……部屋は孤児院と学校、その子供達だけとなる。


 いよいよだ、なんて言葉が私の中に浮かぶ。私が顔を上げると複数の同志達と目が合った。みんな考えることは同じなのだ。それがひしひしと伝わってくる……やっと叶うのだ。孤児院の外の……街の人達の考えとか、それを知ることが。それはほんの小さな一歩に過ぎないことだろう。でも、私たちには確かに必要な足跡だった。


 一人の男子がゆっくりと頷いた。言葉になんかしなくても、意図なんかすぐに分かった。私は自身の体の前でギュッと握りこぶしを作った。一応、“頑張って”という合図。


「あのさ……」


 先程頷いた男子が一歩、前に出てそうやって声をかけた。そこまではいい。良かった。


 ……ただ予想外だったのは。


「ねぇ」


 男子の声とほぼ被るようにそんな声が聞こえてきたことだった。相手は誰か? 学校の生徒だ。巻き毛が印象的な男の子。私達が目を丸くしている隙に、生徒は続け様にこう言った。


「ねぇ、チョコレートって食べたことある?」


 …………? 何が聞きたいのだろう?


「……え?」


 明らかに困惑に満ちた声を出したのは、話しかけようとした男子だった。きっと私の思考と同じで、意図が分からない故のものだろう。


 しかしながら生徒達は。


「なぁ、やっぱそうだって」

「ほんとじゃん」

「えー…かわいそうだね」

「だよね、かわいそう」


 私たちを横目で見ながらヒソヒソと……しかし確かに聞こえる声でささやき合う生徒達。何人かの生徒と再び目が合った。誰からの視線も、私の中に漠然とした不快感をつのらせた。それは、先日吹き抜け廊下から街を眺めた時に沸いた感情と重なる部分があった。


「な、何だよ……」


 普段は乱暴な男子がそう強がったが、生徒達の声は止まることを知らなかった。


 節々から聞こえてくる声。「かわいそう」「かわいそう」「かわいそう」「かわいそう」「かわいそう」


 

何が? 何が“かわいそう”なんだ? 私には分からなかった。分からないから、怖かった。彼らのことを直視できなかった。


「何なんだよ!!!」


 ついに痺れを切らした男子がそうやって激昂した。部屋中の音は止み、静寂に包まれたが、不快な視線がいっぺんに男子に集まった。


「何が……何がかわいそうなんだよ」


 私の心の声をほぼ代弁した男子の問いかけ。生徒達は一斉に顔を見合わせた。……間もなくして、一人の生徒がその口を開く。


「だって、チョコレートのこと知らないから…」

「……別に、知ってるって」


 私もコクコクと頷いた。というわけではないが、行事ごとの時には食事の時間にちょこんと付いてくることがある。毎回味わいながら食べているものだから、色濃く記憶に残っている。


 男子の声を聞いた生徒たちは、またヒソヒソと。


「なんだ、知ってるんじゃん」

「ママが言ってたこととちがーう」

「でも知ってるって言ってるだけで、食べたとは言ってないよ」

「ほんとだ」

「なら、やっぱりかわいそうだよ」


 再び起こったのが“かわいそう”コール。何度も、何度も、何度も聞こえてくる。やっぱり私にはその理由が分からなかった。ただ向けられた視線と同じく……私の中では不快感が生成され続けた。この不快感はなんというのだろうか? 漠然としたコレを言語化出来ないでいた。


「さっきから何なの!? 」


 今度は女子の一人がそう叫んだ。孤児院でも優等生の彼女だったものだから、私にはとても意外だった。


「何でそんな…あわれんでくるの? 意味わからない!」


(憐れむ……)


 私は心の中で復唱した。言葉でしか知らない、“憐れむ”。……私たちは憐れに思われている? 優等生の彼女が言うのだから間違いでは無いのだろう。でも、それは………いや………。


 憐れに思われる心当たりは無い、なんて言い切りたかった。でも……私は何となく察しがついてしまったのだ。


 答え合わせと言わんばかりに、巻き毛の男の子が答えた。


「だって、君たちは孤児院で育っているから……」


 それはさも当然と言わんばかりの声色で放たれた。


「だ、だったら何よ」

「何って言われても…普通じゃないから」

「普通? 普通って?」


 詰め寄るような優等生の彼女の口調に、巻き毛の生徒はしどろもどろになる。代わりに生徒側から、別の誰かが声を上げた。後列の生徒で、誰が言ったのかは分からない。


「お父さんがいて、お母さんがいて、自分の家があることだよ」

「そんなの勝手に“普通”にしないでよ!」

「なんでそんなに怒ってんだよ」


 別の生徒が半笑い気味に言った。


「怒ってないから!」

「止めなよ、もう」


 孤児院の女子が場を取り持とうとした。彼女はさとい女の子だった。


「別に喧嘩しなくたっていいでしょ?」

「そうだよ」


 すぐに同意する声が聞こえてきた。それは意外にも生徒の方からだった。声の主はおかっぱで眼鏡をかけた男子だ。彼は私たちの前に立つと、こう言葉を重ねてみせた。


「孤児院の奴らを相手にする必要ないよ。だって道徳を知らないんだから」

「は!?」


 ……思えばその言葉がトリガーとなってしまった。事態の収束が叶わなくなる、トリガー。


「道徳が分かってないってどういう意味だよ」

「そのままの意味だよ。孤児院の奴らはちゃんとした教育を受けてないんだから」

「受けてるって!」

「大人たちはみんな言ってるよ? 街の大人たちは」

「そんなの……何でそんなこと決めつけられるんだよ!?」


 荒々しい男子の口調を、おかっぱは鼻で笑った。


「めちゃめちゃキレてるじゃん。やっぱり野蛮だ」

「やばん…?」

「ああ。ごめん。分からないよね? そうだよね、孤児院なんかで育ったからね」


 別の女子が声を上げた。


「わたしは知ってるから! みんなが“野蛮”の意味を知っているわけじゃないでしょ!?」

「そうだ!」

「勝手に決めつけるなって言ってるだろ!」


 一人の男子が生徒たちに指を突きつけた。


「じゃあお前たちは全員が“やばん”の意味を言えるのかよ!?」


 荒らげた声が、上がる。それは孤児院の子供からも、学校の生徒からも。一歩、二歩、三歩。私は後ろによろけた。大きな声が、大きな態度がひたすらに怖い。


「やめてよ……もう」


 私が必死に紡いだ言葉。しかしそれは誰の耳にも届くことなく、真下に落下し、粉々に砕けた。私の思いに反して口論は……喧嘩は激しくなっていく。


「大体さ、こっちが君たちの合唱に付き合ってやってるんだから、そういう態度ってどうなの?」


 ニタニタと笑いながらおかっぱが言う。


「は? 付き合ってる? 先生が決めたことで、お前達が決めたんじゃないだろ」

「うるさいなぁ……耳障りだよ。孤児院で育ったくせに」

「孤児院で育ったからなんだよ!」

「君たちは、僕たち……街の人間と違って“普通”じゃないんだ。口答えしないでくれる?」

「……っ!」


 男子の拳が強く握られたのが目に見えて分かった。ギリギリのところで抑えているようだ。……でも、その気持ちは分からないでもなかった。ただ孤児院で育った……それだけで、私たちは“かわいそう”であり、“普通ではない”らしく、口答えは許されない”のだという。


 私たちは、自分たちのことをそうは思っていないのに、勝手に決めつけて、横暴に振る舞われるなんて容認できるはずなかった。……だからって言い争って良い理由にはならないと思うけれど。もちろん暴力も。


 しかし、内気で気弱な当時の私には、そんなことを言い放つ心なんて無かったわけだが。心の中で渦巻く言葉たちは、しかし渦巻くだけで、どうにもなるわけではない。私はそれを歯痒く、もどかしく思ってしまった。……自分のせいなのに。


 ただ、私と同じような考えの人がいて、且つ心が強い人がいてくれた。……聡い女の子だった。


 彼女は自身の掌を一度、大きく叩き注目を集めた。


「……あたしたちは育ちがちょっと特別なだけ。学力や常識とかはあなたたちがいう“普通”からズレている部分があるかもしれない。だからって“かわいそう”とか“口答えするな”っていうのは違うと思う。それはあなたたちが決めることじゃないよ」


「そうだよ!」と強く同調をする代わりに、私はコクコクと首を縦に大きく振った。納得のいく意見だ。流石にこれ以上はもう……。


「いや」


 私の思い虚しくまだ異を唱えようとする子がいた。生徒側の一人だ。その子は……そいつは前髪が長い男子で、ずっと後列にいたようだが、私たちの前に姿を現した。


 何を言う気なんだ? 当時の私はきっとしかめっつらを浮かべていたに違いない。外面を取り繕っていた私にとって、それは強気であることの証明だった。


 ……だから。そうやって不快な態度を全面に押し出していたせいだろうか? 

 目立ってしまったせいだろうか? 身の程をわきまえなかったせいだろうか?


 前髪の長い生徒は言葉を重ねることなく、ただピッと人差し指を突きつけた。……誰に? 方向は私だった。


「……え」


 バッと視線が向けられた。生徒だけではない。孤児院の子供からも。あらゆる角度の目が私を見た。


「え……え?」


 1歩、2歩、3歩下がる。体がぐらついた。辛うじて尻餅をつくことはなかった。十分に視線が集まってから、一呼吸を置いて、前髪の長い男子が言った。こう言ったのだ。


「そいつは髪が白い。肌だって白い。孤児院で育ったからじゃないのか?」


 …………なんで? 心の中の私が困惑気味に言った。


 意味不明な言葉だった。髪と肌が白いから……なんだと言うのか? 孤児院と何の関係があると言うのか? 容姿が人と少し違うから、何なのだ? 


 震える口元から必死に声を出そうとした。しかし、喉元に壁でもあるかのように、それ以上に声が押し出されることはない。


「ふざけるな!」


 乱暴な男子が声を荒げた。この日一番の大声だ。


 そうだよ、そうだよね。おかしいもんね。私は、この男子が私の気持ちを代弁してくれると確信した。それは……いつものように。内気な私の代わりに、同じ考えを主張してくれる仲間たちのように。私はそう信じきっていた。



 しかし男子から出た言葉は……叫ばれてしまった言葉は。



「そいつの髪と肌が変なことに孤児院は関係ねえよ! こいつだけがおかしいんだ! 俺たちと! こいつを! 一緒になんかしてんじゃねえよ!」



 ……その言葉は、確かに私を刺した。私の心臓を抉るナイフだった。私の認識を殺す剣だった。私の思い上がりをおおやけに晒しあげる槍だった。


「あ………………あぁ」


 街の人間から拒絶をされた「私たち」。「私たち」から拒絶された「私」。なら、「私」は……誰が守ってくれるのだろう? 今まで同種だと思っていた「彼ら」からすら弾かれた私の心は……誰が保ってくれるのか…………これから私は…………。


 どうしようもなくこみ上げ続ける気持ち。それはどす黒い孤独感だった。真っ白な私の中に否応もなく流れ込んできた。「仲間」に裏切られた末の孤独。異なる存在と認識されていたという事実が重くのしかかり、私は立つことが出来なくなってしまった。


 足に力が入らない。立てなくて、床に沈む。大粒の涙と嗚咽に私は溺れた。


 ……それからのことはよく覚えていない。恐らく先生が私を介錯してくれたのだと思う。そうやって、私の“その日”は終わりを迎えたのだった。


 その日は私、カリュにとって、自身の人生を変える程の大きな転機となってしまった。嫌いな自分を形成するトラウマの日となってしまった。

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