のどかな田園の村にてー③
カゲアソビという花がある。
有名な花ではない。
「……キョウはきっとカゲアソビを採りにいったんです」
森の中に今日がいる可能性が高いと聞いたセイは確信があるのか、そう断言した。一方でこれを聞いた村人たちは困惑をする。
「んな花はこの辺じゃ見たことないなぁ……」
村人の一人がそう漏らすと周りの村人はそれに同調し頷いた。
「でもキョウが森の中に入ったっていうなら、カゲアソビしかないと思うんです!」
至極真剣な表情でセイは訴える。私もその線が濃厚だと思った。
推理の域にも達しないシンプルな話だ。セイとキョウ、この姉弟は喧嘩別れをした。弟は母親に花が贈りたい、姉はそれに反対。……じゃあ弟が取る行動は? 自然に考えればセイが考える結論に達する。
「セイちゃんはどこでカゲアソビを知ったの?」
私がそう尋ねると、セイの視線は遠くを見つめた。
「えっと……確か、誰か村に来た人がいて……お花を売ってて」
「花商人だ」
村人の一人が思い出したかのようにそう言った。
「数年前に花を売る商人がこの村に来たんだよ。そん時に見たんじゃないか?」
「あぁ、確かそうだったはずです! それで、おかあがカゲアソビをすごく気に入ったんです! ……わたしは見たことがないんですけど」
「色のこととか言ってなかった? カゲアソビなら白色のはずだよ」
「嬢ちゃん、その……“かげあそび”を知っとるのかい?」
村人の視線がいっぺんに私へ集まった。……やめていただきたい。普通に怖いから。
「んん゛……一応知ってはいます。形もたぶん説明できるかと」
「ぜひ頼む」
私は古い記憶を呼び起こし、カゲアソビの色、大きさ、形を説明した。しかし説明を聞く村人たちの反応は薄い。
「んー……やっぱり分からん。この辺じゃ見ねえなぁ」
「村長は知ってるんじゃないか? ご高齢なわけだ」
「歳を食っていればなんでも知っているわけではあるまい」
「こら、そんな言い方はないでしょう!?」
「やめろやめろ、今争うな」
「……結局、ここらじゃ群生してはいないのだろう? なら、キョウ君が花を探してようと別の目的だろうと関係はないんじゃないか?」
……最終的にこの身も蓋もない意見に村人たちは納得した。効率的な手段が生み出されることはなく、手当たり次第森の中を探し回ることとなったのだ。
私とセイ、村の青年一人が捜索隊の一班となり、私たちは森の中に足を踏み入れた……これが今から2時間程度前の話である。
陽が少し傾き始めた為か、心なし森の中の光量が落ちた気がする。私はその事実に少々の焦りを覚えていた。
仮に太陽が沈みきったとしても私たちは大丈夫だ。青年の腰にはランタンが吊り下げられており、また彼は地元民だ。土地勘がある。帰還は容易にできるはずだ。
だがもしキョウが森の中にいたとするならば、彼はどうだろう? 子供だ。一人だ。 ……とてもじゃないが帰ってこれるとは思えない。
「キョウ! キョウったら早く出てきなさい!」
青年が励ましてからというもの、セイは随分と元気を取り戻していた。率先して名前を呼ぶさまは、いつキョウが出てきてもおかしくはないと思い込んでいるようである。
場の雰囲気は良好……しかしながら私は肯定的になんてなれなかった。
“絶対”それに“大丈夫” ……これらは村の青年が発した言葉たちだ。確かに、その言葉でセイは元気を取り戻した。しかし、もしキョウが見つからなかったのなら……セイは? 想像もしたくない。私は目を瞑り、ゆっくりとかぶりを振った。
……だが私のそんな考えは呆気もなく杞憂に終わる。
「おーーーい! 見つかったぞーーー!」
どこからともなくそんな声が上がる。それは結構な大声だったが、遠くから発せられたように感じた。
「キョウ!」
「こら走ると危ねえって!」
反射的にセイが駆け出した。それに青年も続く。
「なんだ……よかった」
私は安堵のため息を吐いた。本当によかった。
─────────
キョウが見つかった場所というのは、やはり先ほどセイが言っていた子供だけで探険に訪れたという場所だった。青年の言葉通り水捌けが悪く、足を踏み入れると
「うげ……気持ち悪い」
不快感を隠すことなく、私はその中を歩いていく。周りには捜索をしていた村人たちが集まってきていた。
「カリュさんのスーツケース、よくこの泥の中でも進みますね」
「ん? まぁね。ひと段落したら洗ってあげないと」
しばらくその中を歩いていると、こちらに手を振る男性が見えた。きっと彼がキョウを見つけたのだ。
しかし。
「キョウ、いない……」
セイがポツリと呟いた。
男性が所属する捜索班の周りに小さな人影は見当たらない。それどころか手を振る男性の表情は安堵というより緊張の方が近い。
……いやな予感がした。そもそもキョウが迷子になっているのだとしたら、彼は大声で私たちに助けを求めるはずなのだ。返事がないことは何を意味するのか?
私たちが着く頃には多くの村人が集まっていた。
「セイちゃん! こっちこっち!」
セイが村人の一人に呼ばれ、恐る恐る近づいていく。
……間もなくして声にならない悲鳴が響いた。
私の脳内に最悪の未来が流れた。
「……っ! セイちゃん!」
「こら危ないって!」
私を止める声が聞こえたが、聞く耳を持てなかった。スーツケースを盾にし、群がる村人たちを掻き分ける。数歩進み、やっとそれを抜け出すことができた。
「ダメ!」
セイが叫んだ。誰に言ったのか? ……私にだ。彼女は凄い形相で私を見ていた。何故? 答えはすぐ目の前にあり、気づいた時には遅すぎた。
「…………っ!」
森の中にぽっかりと開いた穴。私はちょうどその
「ずあ……!」
私は穴の中へ滑り落ちていった。
─────────
「───かったんだよな?」
「彼女───る? ただ、産ま───ではないか。なら、───る義務がある」
「……あぁ、全くもってその通りだ。なら、───は?」
「あれは……情けないかな、私は──────だ。いつか─────────がしたい」
「───」
「だから───きて、帰る」
……断片的に、会話が流れ込んでくる。一人は女性の声で、もう一人は男性の声だ。何の会話をしているのかは……分からない。
───誰だろ。
ただ、この会話を聞いていると私は……私は何故だが心が締め付けられる。分からない。どうして私は……。
「───さん!」
「─リュさん!」
───今度は何の声だろう?
「カリュさん!!!」
そこで私の意識はハッキリと覚醒した。ゆっくりと状態を起こすと、上の方から私を呼ぶ声が聞こえた。
「カリュさん! 平気ですか? 怪我とかしてないですか?」
私の方を心配そうに見るセイの顔。それ以外にも数人の村人達がこちらを見ていた。彼らの顔は私の5〜6m頭上にある。半径3m程度の大きな穴が広がっており、どうやら私はあそこから落ちてしまったらしい。
……どうやら私は夢を見ていたらしい。何の夢だかさっぱりだが、その内容を彼らにいう必要はあるまい。
「……大丈夫だよ。ごめんね、心配をかけちゃって」
「どっか、痛むところはないかい?」
「それも……今のところは平気です」
それを聞き、村人たちは安堵の表情を浮かべた。
「なら、隣にキョウ坊がいんだろ? ちょっと様子を見てやってくれねぇか?」
「キョウ坊……」
周囲を見渡すと簡単に見つかった。一人の子供が倒れ込んでいる。この子がセイの弟、キョウだろうか? 黒髪のおかっぱ……間違いない。彼の肩は一定の間隔で上下運動を繰り返していた。
「生きて、いる」
その事実が全身を駆け巡り、脱力感に襲われた。
「いけない……」
気を取り直して。キョウの容態を見る為に、私はうつ伏せになっていた状態を仰向けにする。顔は……目立った外傷無し。しかし腕を見て私の顔は少し歪んだ。青紫に変色していたからだ。腹部も、青紫。内出血を起こしている。脚は多少の擦り傷がある程度だ。
「キョウ君、キョウ君……」
右肩を軽く叩き呼びかけるが、返答はない。気を失っているらしい。
「どうだ? キョウ坊は」
私はキョウの状態を説明した。セイが自身の口元を抑え、私はそれを見るのが辛かった。
「事情は分かった。とにかく嬢ちゃんとキョウ坊をそっから救ってあげないとだな……穴の中からどっか通れるような道はねえか?」
「確認してみます」
そう言ったは良いものの、ちょうど穴の直下だけに光が差し込んでいるだけで、周囲を見渡しても闇が広がっているだけだ。
「ちょっと待ってください」
私はスーツケースへと駆け寄る。私と一緒に穴の中に落ちたはずだが……パッと見で損失箇所はない。開閉もしてみたが、それも問題なし。安堵のため息を一つ漏らし、私は誰にも聞こえないように小声でスーツケース に話しかけた。
「スーちゃん、ライトをお願い」
カチッと音がしたかと思うと、前方に白色の光が走る。頭上から「おお…」と声が聞こえた。
スーツケースを1回転させたが、穴の中の空間は少し広がっているだけで、特に通路は見つからなかった。しかしそれよりも気になったものがある。
「つぼみ?」
ちょうど光が差し込む穴の直下を避けるように、暗闇の中に花のつぼみが群生している。
「……もしかしてこれが」
「光を……当てないで」
蚊の鳴くような声が私の耳を捉える。バッと横を見ると薄く目を開けた少年……キョウだ。意識を取り戻したのだ。
「カゲアソビは……強い光を当てると……咲かないから……」
「……分かったよ。あとあまり話さない方がいいかも。傷に障るといけないから……あぁ、ごめん。やっぱり一つだけ訊かせて? 吐き気とか頭痛はないかな?」
「それは……大丈夫」
「ほんとに?」
「うん」
「分かった」
ライトを消すと光量が一気に落ちて、視界が急に狭まった。実際、少し前よりも外が暗くなっているのだろう。
「すみませーん! ライトが点かなくなっちゃって」
「分かった! 今ランタンをそちらに渡そう」
「渡すったって、どうやってだ?」
「……な、投げ入れようかと」
「危ねえだろそりゃあ……嬢ちゃんちょっと待っとれ。今嬢ちゃんたちを引き上げるロープを取りにいってるとこだ」
「あ、ありがとうございます」
「カリュさん! キョウは無事ですよね!? 大丈夫……ですよね?」
ランタンの灯りの中で揺れるセイの顔は……その表情はガラス細工のように簡単に壊れてしまいそうだった。だから私は真実だけを話す。
「心配ないよ。内出血はちゃんと処置をすれば問題ないし、擦り傷も今から応急手当するから」
「……! はい!」
くしゃっと笑うセイの表情は心底安堵したようだった。私もそれに微笑みで返す。
「……あとで、姉ちゃんに謝らないと」
薄目で穴を見上げるキョウが呟く。
「うん、たくさんの人に心配かけたからね」
私はそう言いながらスーツケースを広げる。
「とりあえず応急手当をしようか」
薄暗い中で腫れた腕やお腹をどうこうすることは流石に出来ず、擦り傷ができた足に消毒液を塗ることにした。昼ごろにセイにやったことと同じ要領だ。
「多少染みるだろうけど我慢してね」
「うん……」
それからは、しばらく静かな時間が流れた。見上げると、セイや村人の顔はなくなっていた。どこかに行ってしまったわけではないだろう。薄暗い空には橙に揺らめく光が見えた。きっとランタンの灯りだ。滑りやすい地面だから、少し離れたところで待機しているのか。
…………。
「……キョウ君。話すのが辛かったり、話したくなかったら全然言ってくれていいんだけどさ。何でカゲアソビを採ろうと思ったの?」
静寂は嫌いではない。でも気になることだったから、私は柄にもなくそんな問いを投げかけた。
「……お姉ちゃん、誰なの?」
あ。
「ご、ごめんね。名前とか何も言ってなかったね」
私は、自身が旅人であり村に訪れたこと、セイに出会ったこと、それから村人たちとキョウを探し回っていたことを話した。
「それで最後に穴に落ちたんだ」
「う、うるさいなぁ……それはキョウ君だって同じでしょう?」
「……僕は落ちたんじゃない。降りたんだよ」
「そんな怪我しておいて、ねぇ」
「……大人げないよ」
私はクスクスと笑いながらその場に大の字になった。いつの間にか空は真っ暗で、木々の間から星が見えた。私は親指と人差し指で星を摘んだ。
「……お母さんが好きなんだ。カゲアソビ」
「うん」
「姉ちゃんはその時確か友達の家に泊まりに行ってて。だから知らないと思うんだけど」
「“その時”ってカゲアソビを買った日のこと?」
「あーうん。それでお母さんが、カゲアソビを買っててそれで言ったんだ。『この花はお父さんが好きな花なんだよ』って」
「うん」
「『お父さんが好きだったから私も好きなんだよ』って。お父さんはずっと前に死んじゃってるんだけど」
「うん」
「そんなのずっと変なのって思ってたんだけど、この前森の中を探険していたときにここを見つけたんだ」
見ると、キョウは自身の横で咲くカゲアソビのつぼみを地面から抜き自身の手に取った。
「夜になるまでずっと待ってたら月がでてきて、光が当たって、そしたら咲いたんだ。カゲアソビ」
「どうだった?」
「めっちゃ綺麗ですごかった」
キョウが手に取ったカゲアソビ。彼はそれを月光が照らす穴の下に置いた。すると……
「あ……」
ゆっくりと、ゆっくりとつぼみが開いていく。花弁から茎までがすっぽりと私の手に収まってしまう程の小さな花だ。赤や黄といった濃色な花でもない、ありふれた真っ白の花だというのに……どの花よりも力強くて、どこまでも綺麗な花だって私は思う。目が離せない。
「光が強いから咲かないかも」
「ちょっと!」
キョウがカゲアソビを自身の手元に
「なんでこんな穴の中の、こんな端っこにしかカゲアソビが咲かないかっていったら、少ししか月の光に当てちゃダメだからなんだよ」
「……ふーん」
私は唇を尖らせながら空を見上げた。心なしか月の位置が変わっているように見えた……いや、実際に変わっているのか。
「それで?」
「『それで?』 って何?」
「話の続き。“めっちゃ綺麗だった”の」
「あーうん。それで僕決めたんだ。お母さんの誕生日が近かったからプレゼントにしようって」
「それが今年なんだ」
「ううん。決めたのは1年前の話だよ」
「そうなの?」
「また夜に行ってみたらもう花が枯れてたんだ」
「え?」
「カゲアソビって一晩しか咲かないんだよ」
「……あー、そうだったね」
古い記憶を引っ張りだしてきて確かそうだったことを思い出した。
「だから僕、今年はこの穴に蓋をしていたんだ。1ヶ月くらい前から」
「光が入らないように?」
「そう」
「それで今日採りにきたんだね」
「そう」
「セイちゃんは誘わなかったの?」
「……だって姉ちゃん、森の中に入ろうとすると怒るんだよ。子供だけじゃダメって。ちょっと前までは友達たちと一緒に来ていたのに」
膨れっ面のキョウの顔を見て私は口元に笑みを浮かべた。
「だから一人で来たんだね……でもさ、キョウ君」
私は上体を起こし、キョウの側に座り直した。
「……ごめんなさい」
「謝るのは私にじゃないよ。村の方々と、セイちゃんと、お母さんにね。私が聞きたいのはさ、どうしてそんなに頑張れたのかなってこと」
「頑張る?」
「こんなところにある花って採るのは絶対危ないと思ったでしょ?」
「うん」
「雨が降り続いたせいで地面も滑りやすかった」
「うん」
「でも、それを知っててもキョウ君はこの花に手を伸ばしたんだよね?」
「……お姉ちゃん、何が言いたいの?」
「えっとだからさ。そういう危険があるって分かっていても、キョウ君が花を採ろうとした理由が知りたいの」
「変なこと聞くんだね」
そうは言いつつもキョウは遠くを見るような目をした。考えてくれるようだ。私は
やがてキョウはその口を開いた。まず最初に「みんなには内緒にしてて」という枕言葉を添えて。
「家族だから、だと思う。お母さんは家族でずっと僕を育ててくれて、すごい大事にしてくれてるから喜んで欲しかったんだ」
「家族だから……」
「うん。上手く説明できないけど、そんな感じ」
「……いや、十分だよ。ありがとうね」
私はその場に立ち上がり、伸びをした。ポキポキと骨が鳴りそれが少し心地よい。
上を見上げると、周囲の木の枝と比較して、月の位置がまた変わっていることに気がついた。何分くらい経ったろう。ひどく時間感覚が
「もう咲く、たぶん」
「え?」
「カゲアソビ」
「こっちに来て」と手で合図をするキョウの指示に従い、その隣に座り込む。それから間もなく───
「咲いた……」
今度は一輪じゃない。殆ど全部。
次第につぼみが開き、力強くカゲアソビたちが咲いた。神秘的な光景だった。カゲアソビは
「……なんて綺麗なんだろう」
私がそう言うと、キョウは頷いた。
「ねえ、お姉ちゃん。一つお願いがあるんだけど」
キョウは一つの提案をした。それは些細な提案で、私に断る理由は存在しなかった。
……結構な時間が流れた。私とキョウとの会話はそれっきり途絶えて、私は星を見ながら過ごした。
「すまん待たせた! ロープやら何やら準備をしていたら結構な時間を食っちまった!」
やがて、そう詫びながらガタイの良い村人たちがやって来た。穴の中におろされた太いロープが時計の振り子のようにぷらぷらと揺れている。
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