のどかな田園の村にてー④

 穴から救助されたキョウを出迎えたのは数十人という規模の村人たちだった。


「無事でよかった」「傷は痛むか」「早く治療を」「お母さんも安心だ」などといった声が節々から上がる。キョウは半目でその光景を見ていた。夜かつ疲労困憊ひろうこんぱいな状態であるため、眠いのかもしれない。私もちょっとまぶたが重かった。


「キョウ……まず言うことがあるでしょ?」


 これはセイの言葉だった。そこには、弟のことをひたすらに心配していた様子は見る影もない。強がっているのだろうか? そんな彼女のさとす言葉にキョウは素直に従う。


「迷惑をかけて、ごめんなさい」


 それを聞く村人たちのうちに、怒りをあらわにする者や否定的な言葉をこぼす者はいなかった。皆が優しく、その言葉を受け入れていた。少なくとも、私にはそんな風に見えた。


 間もなくしてその場でキョウは応急措置を受けた。セイはずっと彼のそばに付きっきりだ。私はその様子を少し離れたところから眺めた。


「嬢ちゃん……あー、いやカリュさん」


 突然私の名前が呼ばれたもので、少しびっくりした。振り向くとガタイのよい村人が一人。穴に落ちた私とキョウを救出するためにロープやら道具を、帰りに使う馬車を手配してくれた村人だ。


 私は深々と頭を下げた。


「先ほどは助けていただいてありがとうございました」

「何言ってんだ。むしろ礼を言いたいのは俺たちのほうなんだ。旅人なのによ、村の子供のためにこんなに頑張ってくれてよ。セイとキョウにも寄り添ってくれてな。感謝してもしきれねえ」


 私はふるふると首を振った。きっと謙遜だと受け取られるだろう。ただこの立場は悪くない。訊きたいことを訊きやすいのだから。


「一つ尋ねたいことがありまして、よろしいですか?」

「あぁ、俺に答えられることなら何でも聞いてくれ!」


 そう言い、彼は自身の胸をドンと叩いた。


 私はスッと息を吸い込み、かねてからの疑問を口にした。


「今日たくさんの村の方々と交流して、それで私思ったのです。ここの村の方々はすごく他人思いだなって。自分のことよりも他者のことを気にかけている人ばかりで……信頼関係と言えばいいのでしょうか? そのようなものを築き上げていて。何故そこまで他者のことを思えるのか気になりました」


 私は今日起きた出来事を思い返した。それは私が違和感を覚えた出来事だ。


 キョウが居なくなった……言い換えれば迷子の子供探しに多くの村人たちが協力をしたこと。弟を心配するセイに「俺たちを信じろ」と一人の村人が励ましたこと。キョウが助かったことに対し村人全員が安堵し喜びあったこと。


 それらは字面だけ見れば、さながら児童小説に出てくるような良心のある登場人物の集まりだ。でも……


「この村の奴らはみんな優しい……なんて思ったか?」

「ええ」


 ガタイの良い村人は腕を組み、何かを考え込んでいるようだった。やがてそれが纏まったのか、その口を開いた。


「正確に言うとな、嬢ちゃんが言うような他人にどうこうってのは違う。そんで後は優しいってのも表現としちゃあ、ちと違う」

「そうなんですか?」

「ああ」


 何となしに私は周囲を見渡した。談笑にふける者、ランタンを手に辺りを見る者、キョウに寄り添う者。一人が私の視線に気づいたのか、手を振った。私もそれにぎこちなく返した。


「別に大した話じゃあない。この村はよ、ほとんどこの村だけで生活が成り立っている。税の徴収があるから貨幣制度は一応残っているが、村人同士のやりとりは物々交換が主だ。誰かが飯を耕して、誰かが家を建てて、誰かが服を縫って、誰かが子供たちの世話をする……そうやって俺たちは生活をしている」


「えっと……」


「すまん、前置きが長くなっちまった。つまりな? 俺たちはよ、自分の生活と他の村人の生活が何にも変わんねえんだよ。村にある全てが共有の財産で、それが欠けちまうと村全体の損失になっちまう。だからそれを失うまいと皆が必死なんだ。えーっと説明がムズイなあ……んだから、自分以外の村人をよ、俺たちは他人だなんて思わない」

「他人じゃないなら……何にあたるのですか?」


 村人は一呼吸おいて……というよりは少しだけ考える素振りを見せて、こう答えた。


「家族だ」


 ………………家族。


「血が繋がってなくてもですか?」

「血の繋がりは関係ない。さっき俺が言った、優しさが違うってのも同じ理屈だ。可哀想だから助ける、手を差し伸べたいから助ける訳じゃない。ただ村人が……家族の一員が困っているから助けるんだ」


 村人はその顔に微笑みを浮かべた。嘘なんてついていない、取り繕いすらない彼の本心であることはすぐに分かった。だから私は。


「……分かりました。お話、ありがとうございます」


 そう言いながら笑みを浮かべることしかできなかった。




 ─────────




 草原地帯。一昨日まで降り続いた雨は乾き、もう香らない。地面を踏み締めるとしっとりと押し返してくる感覚があった。唯一の雨の名残だ。


「ふああ~ぁぁぁぁぁぁ……」


 大きく一つ欠伸をする。涙目で見上げた空は雲一つない快晴だ。この様子だと、水捌けの悪かったあの森もすっかりと元通りになってしまうだろう……なんて、どうでもいい推測が頭の中に浮かび上がった。


 ふと後ろを振り返る。複数の丘を超えたため、もう村は見えなくなってしまった。そこに映っているのは私と、その隣を走るスーツケースの影だけだ。


「スーちゃん」


 スーツケースに手を置く。今度は泥や砂が付くことはなかった。村を出る前に綺麗に洗ったのだから。


 表面を撫でると滑らかな感覚が心地よい。私はしばらく撫で続けた。別段意図のなんてない、何となくの行動だったが少しは気が紛れた……気がする。


「……昨日はありがとね、スーちゃん。私のこと助けてくれて」


 思い返したのは例の穴に落ちた出来事だ。深さ5〜6mはある大きな穴に落っこちたくせして私は擦り傷一つ負わなかった。打ちどころがよかった……なんて一言で片付けられるはずがない。きっとこの子のおかげなのだ───スーちゃん。不思議な力を持った魔法のスーツケース 。私はあの時、この子に助けられた。


「……で、どうやって助けてくれたのかな?」


 私がそう問いかけてもスーツケースは答えない。魔法はかかっていても口は聞けないのだから。


 私は鼻から息を吐き、脱力した。


「……ま、いいか。今度からはもう少し気をつけるね? 行動とか」


 再び私は歩き出した。シャクシャクと草原を踏む足音に、車輪が回る音が混ざる。ちゃんとスーツケースはついてきている。ならもう振り返る理由はなかった。


 鼻唄を歌いながら歩く。名前は忘れてしまったが、どこかの街で耳にした民謡? の一節だ。歌詞があったはずだが、音しか覚えていない。初めのうちは口ずさんでいた記憶があるが、いつの間にか忘れてしまった。


 ………………。


「……家族、か」


 口に出して後悔した。スーツケースを撫でて、少しは晴れたはずの胸のモヤモヤがまた渦巻いたから。


「……なんなんだろ、家族って」


 田園が広がるあの農村を訪れて、そこで生活をする人々を見て、私の中にはそんな問いかけが否応もなく生まれた。



それもそうだった。私はろくに家族なんて知らないのだから。



 物心がつく以前から、私は孤児院で育った。故に母親とか父親とか兄弟とか姉妹とか……そういう“家族”という存在を知ることなんてなかった。


私には遠い存在に過ぎないのだ。家族って。私が知っている“家族”という言葉は、辞書的な定義に過ぎなくて、それ以上でも以下でもない。


 しかしながらガタイの良い村人は、家族に血の繋がりは関係ないと言ったものだから私は困惑せざるを得なかった。血の繋がりのない人との関係に“家族”という言葉を落とし込むことができるという。


 ───だとすれば、私は同じ孤児院出身の者たちを家族と呼べるだろうか? 


 セイはキョウのことを心配して必死に探し回った。キョウは母親の為ならと危険な行為をいとわなかった。村人達はキョウが見つかったことをひたすらに喜んだ。


 そうやって誰かのことを自分のことのように考え、思いやり、助けられるような人物が家族像の一種だとしたら。


「……無理だ」


 私は首を横に振った。そうやって振る舞える自身を、欠片も想像できなかった。振る舞うというか……思うことが出来ないのだ。


 ───なら、本物の家族のことは?


 人が生まれるには、なんて表現するとずいぶん大袈裟なんだけれども、“私”がいるってことは確かに母親と父親はなのだ。或いは


 実を言うと、彼らの存在を全く知らないということはない。唯一の手がかりってやつがあって、手紙だ。私宛てに書かれた手紙。もう何年も読んでいない。


 内容はどうだったのか? 実を言うと記憶に残っていない。だって、たった数行の文字だけで家族を感じろとか、心を動かせとか、印象に残せとか……無理に決まってて。


 私はふるふると首を横に振った。結局のところ、私の手元には何も残らない。


 ……あの村にいる間、私はずっと疎外感を感じていた。一歩引いたところから彼らのことを見ていた。それは踏み込まなかったのではなく、踏み込めなかったのだ。“家族”というものを知らない私にはそうすることしか出来なかった。


 あぁ、なんだろ。


「……ちょっと、寂しかったな」


 ポツリと呟いた私の言葉。それはさわさわと草原を揺らす風の音に簡単に掻き消されてしまった。その風に背を押されたように、旅仲間のスーツケースが私の横へ並んだ。慰めてくれているのだろうか? 無責任に私はそう思った。


「……ありがとね」


 その場で大きく伸びをする。風も、気温も、湿度も何もかもが心地良い。絶好の旅日和だ。なら、旅をしよう。次の街に向けて。


「よーし!」


 柄にもなく叫んでみて、私は駆けた。風より速く……なんてそんなの無理だけど。気分はそんな感じで。後ろをスーツケースが付いてくる。


 ───いつかは、分かるのかな? 家族ってどんななのかさ。


 頭の中にぎった言葉を私口には出さず、飲み込んだ。いつか忘れた頃に取り出せるようにスーツケースの奥にしまい込んでおく……イメージはそんな感じで。




 ─────────




「お世話になりました」


 そう言いながら深々とお辞儀をするカリュさんの周りにはたくさんの村人達が集まっていました。もちろん、私もその中の一人です。隣にはキョウもいます。


「とんでもねえって。むしろ俺たちの方から礼を言わせてくれ」

「そうだそうだ! よーく手伝ってくれてな!」

「カリュさん! ありがとう!」


 村人の一人に便乗して、皆がカリュさんに向かって「ありがとう」とお礼をし、拍手しました。カリュさんは笑顔でしたが、私には少し困っているようにも見えます。


「しかしいいのかい? もう出て行っちゃって。ゆっくりしていってもいいんだよ?」

「いえ、先を急ぐものですから。お気遣い感謝します」


 にこやかに笑みを浮かべたカリュさんは最後に私たちの方へとやってきました。


「カリュさん、昨日はほんとにありがとうございました」

「ううん、無事にキョウ君が見つかってよかったよ。キョウ君、怪我の具合はどう?」

「……うん。痛いけど、昨日よりは痛くないよ」

「ちょ……キョウ! 敬語ちゃんと使って」

「痛くないです」

「ならよかった……キョウ君、これ渡しておくね」


 そう言いながらカリュさんはスーツケースから何かを取り出しました。小さな紙袋です。


「ありがとう、お姉さん」

「喜んでくれるといいね」

「うん」


 最後にカリュさんはひらひらと私たちに手を振り、歩いていきます。私とキョウは手を振り続けました。その背中が見えなくなるまで、ずっと。


 やがてその背中が完全に見えなくなってしまいました。辺りを見ると他の村人の姿ももうありません。


「ねえ、キョウ。カリュさんから何貰ったの?」


 そう聞くとキョウはバツが悪そうな顔を浮かべ、


「何でもないよ」


 と一言呟きました。


「何で? いいじゃん別に」

「ダメだって」

「私もカリュさんから何か貰いたかった!」

「それは知らないよ……」

「見せて!」

「いや、これは……!」


 かたくなにキョウは見せようとしませんでした。怪我をしている為、突掴み合いにはなりませんでした。ついに私が諦めると、キョウはこう一言。


「夜、母さんと見よう」


 なぜ、夜? と私は疑問に思いましたが、紙袋の中身を見てその理由をすぐに理解できました。私と母の目の前でキョウが取り出したソレは、窓から差し込む月光を浴び白く光ります。


 仄かに、でも力強く光るソレを私が大好きになったことは言うまでもありません。



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