挙母市・終戦後

 キルシェ・リミステネスはメアリ討伐から政府代替拠点への現状報告を経て、図書館へ輸送された。激戦から二日後の帰還となり、待ち続けていた夏蓮はキルシェの死を半ば覚悟していた様子だった。


 金城市と首都連雀は二人の姉妹によって同時期に開放され、これを受けた政府中枢機関はリミステネス家への援助再開を決定。その仲介人として『つきしろみず』を選任した。


 椎骨のみとなっていたローゼであるが、彼女が目を覚ましたのは約一ヵ月後の夜となる。


 血液に満たされた浴槽にて肉体の再構築を遂げ、その衣服から記憶情報に至るまでもが復元されていた。


 ――無論、覚醒したばかりのローゼにまともな思考能力はない。


 視界がぼやけ、喉に詰まった血を吐き出した。

 軍人じみた黒の礼服を脱ぎ、真鍮製のシャワーで体を洗い流し、キルシェが用意してくれたらしい白のフォーマルドレスへ袖を通す。

 造花とフリルの装飾に彩られた、随分と女の子らしい装いであるが、意識の混濁するローゼは一先ずこれに身を包んだ。

 壁に手をつき、階段を這うほう々々ほうの体で上がり、洋館二階へ。

 キルシェの書斎の戸を叩いたが、顔を合わせるや、久しき再開に言葉を交わすことなく昏倒に伏していた。



      ❀



 五月二十六日、午後十二時半。晴天。

 洋館の庭園にて、三人は白い丸テーブルを囲み休暇を過ごしていた。


 ――一つ問題がある。何故、着替えることを許してくれないのだろうか。


 ローゼは回復から、キルシェの用意した白のドレスを着せられたままだ。


 金城市の首領ことエルネストの撃破をキルシェは称賛してくれたが、そこに至る過程については滾々こんこんと説教された。激戦地へ投入しておきながら、これからは慎ましく在れと言い含めたのである。それだけなら反発できようものを、目の前で泣かれた。こうなっては従うしかない。


 「キルシェ、そろそろこんな茶番はやめにしないか」


 テーブルの向こうにたたずむキルシェは、洋書を膝に乗せて午睡に興じている。――ように見えるが、目を閉じているだけで絶対に意識はある。

 代わりに夏蓮が、後ろから首を絞めて応答した。


 「ろーぜ!言葉遣いがはしたないですよ!」

 「…そうされては、くたばりかけの鶏みたいな声しか出ませんくてよ」

 「もっと自然に!御嬢様らしく!」

 「…はい」

 「ふふっ――」と、笑いを堪えかねたキルシェが、ろうたし白皙の花顔をきもち赤くして吹き出した。


 「キルシェ。我慢せず、笑ってくれても構わない」

 「ろーぜ、め!」

 「んふふっ」

 「やっぱり笑うな!」

 「暫くはそのままで居なさい」


 キルシェはフォークを取り、夏蓮の持ち込んだ果実の盛り合わせから、カットされたメロンを食す。やっと黄金の目を開いてくれた。


 ――この目についてキルシェは語らない。


 メアリ・ローゼンベルグとの戦闘による後遺症であり、支障は無いとだけ告げた。


 ローゼは、神妙に訊く。


 「エルネストは人間に血液を与え、傀儡を生み出した。似たようなことを、されなかったか」


 真実は、血液どころか第一頸椎を移植されている。当たらずも遠からぬ問いに、しかしキルシェは黙秘を貫いた。


 「解らん。自分の体は、自分で調べる」


 すげなく突っぱねて、膝の洋書へ手を伸ばす。

 ローゼは席を立つ。背後から両肩に手を乗せていた夏蓮が『ぽかん』と見上げる。


 「私とて、この一件で成長した。それでも、話してくれないのか」


 キルシェは金の目をさも隠したげに、長い睫毛まつげを伏せた。大きな洋書を開いて盾にしている。


 「承知の上だ。けれどローゼ、君は…」


 言い淀む。適切な言葉を探しているらしかった。

 椎骨一つの身となったことを、我々の体の性質を、傍に居る夏蓮はまだ一部しか知らないのである。ここでは語れまい。


 「もう無茶はしないって約束する。だから、いつでも構わないから、その。一人で抱え込まないでほしい。――お姉ちゃん…なんだから……」


 ローゼは、キルシェの手から洋書を優しく取り上げる。やはり洋書は顔を隠すためだけに開いたようで、別のページに付箋が挟まれていた。

 翳りのキルシェは、しかしようやく観念し、小さく首肯しゅこうした。


 「解った。約束してくれるのなら、応える」


 一拍の間が空く。ローゼは肩の力を抜いて、少しだけ笑んだ。


 「ありがとう」


 言い残し、この場を辞する。


 キルシェは自由になった両腕を組み、遅れて応答した。


 「いや、それはこちらの言葉だ」


 二人を見守っていた夏蓮が、頓狂な声で。


 「もう、聞こえてないですよ」


 「構わない。伝われば、約束を破られかねないからな」


 その日、キルシェはローゼに真実を告げた。


 メアリによって椎骨を移植されたこと。もし仮に彼女の意識が存在すれば、自決も視野に入れていること。これの排除を目的とした死出の旅路へ出ること。――つまるところ、全てだ。


 深夜零時。キルシェはベッドへ仰臥ぎょうがし、傍らの窓から星空を眺める。


 我が身に宿ったメアリの命。彼女との決着を、いずれは見なければならない。廃墟の世界から同族を探し出し、手掛かりを得ねばならなくなった。


 メアリの残した十二の椎骨と、図書館の管理。そして今後の夏蓮を、ローゼは引き受けてくれた。『連れて行けぬ』と最後まで言わなくとも、孤独な旅を許してくれた。

 代わりに、愚かにもまた、果たせぬ約束を交わしてしまった。


 『必ず帰る』


 これが終ぞ守り切れないとしても、何があっても自分はローゼの姉であると、そんな内容を記した手帳を、自室に残した。


 黄金の双眸を闇に閉ざす。


 ――もう、行かなくてはならない…。

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血に特殊能力を得た少女達は、廃墟世界で激戦を成す / 恋愛要素《無し》 @su-xx

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