最高戦力・空中ニテ衝突ス 陸

 メアリの瞳が純白に染め上がる。光の塊でしかないキルシェが須臾しゅゆの間に接近し、我が能力の有効射程圏内へと侵入する。

 キルシェは前後に白光を放射した。後方は推進力であり、前方は制動力か。恐らくはこちらを横切って通過し、背後にて急停止。軌道変更から携えた剣で以て我が脊柱を一刀両断しようというのだ。

 眩い閃光の中にキルシェはり、彼女の正確な挙動は読み取れないが、何ら心配は無用である。到達の瞬間さえ見誤らなければ、勝利を確定付けられる。

 これらメアリの思考は、キルシェが五十メートル前方にて異能を発した瞬間に織り成された遠い過去のそれであり、これからの行動も予め定めている。

 四半秒すら待たぬ、閃光の到達。メアリの肢体を白光が飲み込む。キルシェを制動する叛逆はんぎゃく斥力せきりょく発動によって、再び白光の衝撃波が核爆発の如くほとばしる。

 キルシェの肢体の、投射と停止。二つの爆発に於ける時の間隙かんげきはあまりにも短く、しかし宇宙廃棄物さえ捕捉し得るメアリはキルシェの突貫を見切る。光のような速さで斬撃へと移行するであろう僅かな時の隙間に、こちらの異能発動を滑り込ませた。

 ――空間凍結。

 心臓一つ分の血液が黄金の――否、漆黒の砂粒へと昇華し増殖。光のクラスターとメアリを完全に飲み込む。蠢動する黒点の塊が溶け合い、衝撃波を撒き散らし、二十メートル規模の球体を形成した。

 この、黒い玉の正体は、空間くうかん乖離かいり発動に生じる副次効果のみの使用である。

 空間を置き換えない分のリソースが余り、零秒に近い発動と二十秒の時間停止――厳密には内部空間の凍結を可能とする。球体と重なった空間は、気体も光も波も慣性も劣化も、観測し得る全ての現象を凍結保持している。

 メアリを例外として、外部からのあまねく侵入・干渉を阻害し、光すら反射しない。その性質からか、如何なる角度の目視に対しても墨汁を垂らしたような平面の図を呈するだけだ。

 ――キルシェを遂に捕縛できた。

 メアリは衝撃波を生み、その推力で凍結空間内を遊泳する。凍結空間は空間くうかん乖離かいりと異なり、このように能力の重複発動が可能となるのだ。

 「――さて、あとは無力化して終わりかしらね…」

 後方を手探りで確認し、キルシェが居ないと知る。あの速力で小回りは効かないだろうから、残るは前方。光の進行した軌道の中心のみか。

 多量の衝撃波を右手に蠢動させ、これをキルシェの腹部に突き刺す。もしくは、頭部を完全に破壊するのが好ましいか。的が小さいと外すかもしれない。やはり腹部を狙う。

 キルシェが前方に居ると、メアリはそう信じて疑わなかった。

 衝撃波を爆発的に活性化させ、その推力を享受きょうじゅする。漆黒の空間を、メアリの掌底が一閃に撃ち抜く。体当たりじみたそれは、しかし終ぞキルシェを捉えることはなかった。


 「え?――あっ!」


 メアリは大量の宇宙廃棄物を置換した高速処理の延長に在り、その思考によって瞬く間に状況を整理、論理立てた。凍結空間から勢いよく飛び出した瞬間に、全てを理解する。

 ――キルシェはここまで突入していない。彼女は動向の欺瞞ぎまんに徹したのだ。

 爆発的な斥力せきりょくは間違いなく本物で、しかしキルシェは彼女自身の背後、それもちょっきんおこ斥力せきりょくだけを弱体化させ、白光の投射に遅れて追随したと考えられる。つまり、心臓を代償とするほどの光を単なる目眩ましとして切り捨てたのだ。想像を絶する負荷に身を砕くであろう、光速のような一撃など、更々放つつもりは無かったということだ。

 然らばキルシェは、こちらの行動に対してあまりにも計画的に対処し過ぎている。

 空間凍結という副次効果を洞察し、これのみの発動を予測して避けたと結論付けるのが妥当となってしまう。この激戦に在って、いつ如何に察知したのか。

 空間くうかん乖離かいりを使い慣れているが故にさして意識しなかったが、メアリにも心当たりは在る。

 時間でも停止していなければ辻褄つじつまの合わぬ現象として、宇宙廃棄物の転移が挙げられるのだ。

 秒速七キロ・時速にして二万五千二百キロの飛翔体は四半秒で一・七五キロメートルの距離を移動し、これを捕まえておく為には相応の範囲を要する。トンネル状に砂金を展開するなどすれば可能かもしれないが、その優位性は大きく損なわれてしまう。というか、はっきり言って使い物にならない。


 「やられた」


 思い至ったとて遅い。もはや凍結空間から飛び出してしまっているのだ。まだ推進の慣性が残されており、衝撃波を逆噴射しても凍結空間への退避は間に合わない可能性がある。では空間くうかん乖離かいりにて対処するか。否、それも不可能だ。

 空間凍結という副次効果のみの発動は、能力それ自体を強引に改竄かいざん、直接制御する荒業であり、しかしこうして血液全体に作用している。つまり空間凍結と空間くうかん乖離かいりは同時に存在できない。

 無用の長物と化した凍結空間がその力を収束するまで三秒。無論キルシェはこれを待たぬ。


 ――斬撃が、来る!


 下方より爆ぜる衝撃と音圧。凍結空間の影から飛び出したキルシェが足底に衝撃波を踏み、燕の如く肢体を跳ね上げた。

 彼女の狙いは背骨。こちらは駒の如く百八十度旋転し、周囲に爆ぜる無数の衝撃波を更に活性化。破壊力の泡沫ほうまつたちに身を包む。

 胸元に両手で空を抱き、この空っぽの空間に半ば白刃しらはりの姿勢で空間凍結を発動・三十センチ規模の黒い箱を形成した。

 キルシェの白いけいがんが残光を引き、その白磁はくじのかんばせを目睫もくしょうに浮上。ついでに伴う逆袈裟ぎゃくけさの斬り上げが股関節へ食い込み、腰から胸部に至りて紅蓮の裂傷を刻む。白いドレスシャツと黒いケープの裂け目から岩漿マグマのような血を吹いた。

『キィンッ』と金属音が鳴く。

 刃は、胸骨の半ばで動きを止めた。

 メアリの手中に生じた黒箱と接触し、地球の測地系に於ける絶対的な固定と硬度によってし折れたのだ。


 「――ッ」


 刃を粉砕するも、息を飲んだのはメアリだった。

 金の眼球が狼狽に揺るぐ。斬撃は本命ではなかったらしい。脊椎骨に衝撃を認めた。何かが、それも複数を撃ち込まれた感触である。

 ――三秒の経過により、最初の空間凍結が寿命を迎える。

 巨大な漆黒の球体が揮発きはつを伴い消尽しょうじんし、内部に凍結していた白光と衝撃波をゆっくりと、さも口惜し気に粘性を帯びながら解放する。黒い霧が白光へと、段階的に色を変える。

 刃を振り抜き砕いたキルシェは、メアリの眼前にて急制動、停止。乱れを知らぬ山桜色の髪を気流に躍らす。

 キルシェは、瞳を焼かんばかりの閃光を背に告げた。


 「宣言通り、爪はくれてやった」


 メアリはこれを聞き届ける前に、斬撃による流血を黒い砂へと昇華し、空間凍結を発動していた。彼女の体のみを包含するそれは棺のような直方体を形成し、二十秒の延命を図る。

 ――メアリが敗北を予期したのは斬撃の最中さなかだった。

 刃を握るキルシェの手から、爪が一つ残らず消えていた。血に、染まっていたのだ。

 現在、その所在は我が脊椎骨の内部である。爪と一体化した十個の宝石は、二十五個の脊椎骨へ等間隔に撃ち込まれている。

 恐らく爪には、血液と粒子がべっとりと蒸着されている。その斥力せきりょくによる速度と破壊力は弾丸に等しいと考えられる。否、それでもまだ見込みが甘いか。いずれにせよ、である。この空間凍結が解け、空間くうかん乖離かいりの使用が可能になっても、退避できる望みは極めて薄い。

 宝石を手放したキルシェを無力化するなど赤子の手を捻るようなものだというのに、今は、成す術がない。

 メアリは二十秒の内に、最後の決断をする。

 それは前例のない実験であり、最後の空間くうかん乖離かいりであり、キルシェを即座に発見できなければ失敗する。しかし空に遮蔽物は存在しない。光を以てすれば目を眩ませられようが、そうまでして回避を図るとは考え難い。

 キルシェとて最後の一撃を逃すわけにはいかないのだ。こちらの撃破のみに焦点を絞るのが正しい。刺し違えに来る。キルシェは、そういう性格をしている。




 メアリの推察通り、キルシェは最後の一撃だけに全てを賭すつもりでいた。メアリを包含する凍結空間の箱に手を当て、その寿命を待ち侘びる。

 永遠とさえ思える二十秒の緊張を経て、漆黒の凍結空間が揮発を始め、暗闇からメアリを曝け出す。

 彼女の椎骨へ等間隔に寄生させた爪が、ようやく、こちらの命令信号を受諾した。

 爪に蒸着させた粒子が斥力せきりょくを生む。その射出は空間凍結の影響によって初動こそ鈍足で、しかし黒い霧が消えた瞬間に本来の推力を取り戻した。

 ――終わらせたり、しないんだから!

 メアリは、血液への命令を瞬時に手動から自動へ。即ち空間くうかん乖離かいりへと切り替える。椎骨の粉砕を感じ取りながらも抵抗する。

 ――何を!?

 半ば捨て身で、最後の一撃を成功させるためだけに回避も欺瞞ぎまん工作も行わなかったキルシェはメアリの抵抗をまともに受け、けいついに強烈な衝撃を受けた。

 脳が振動し、視界が霞み、首から下の神経が一時的に切断される。体内を透視する真眼によって、頸椎に対し行われた空間くうかん乖離かいりを視認した。

 ――メアリの第一頸椎が、キルシェの第一頸椎へと置き換えられたのだ。

 それは尻尾としての移植ではなく、キルシェの頸椎そのものに対する干渉である。真眼に映る第一頸椎が、白から赤へと変色してゆく。


 「メアリ!貴様はッ!!」


 首から下の神経が回復し、彼女へと手を伸ばしたとき、魂を失ったその肉体は血液へと還元し、ドロリと溶けて形を失う。他者から奪った十二の赤い椎骨のみが原形のままで、血の雨と共に地上へと落下した。


 「何を、した……」


 メアリの血を手の甲に浴び、蒸発しゆく光景を呆然と眺める。

 メアリの望みは、魂の凍結と破壊だった。メアリは今世に於いて何としてもこれを叶えんとしていた。世捨て人でありながら、彼女はそうであるが故、この世にしがみ付くしかなかった。

 移植された第一頸椎は我が身と一体化し、完全に馴染んでしまっている。恐らくは、破壊しても肉体の一部として修復されると考えられる。

 メアリは己が魂の救済を無理やりに押し付けたのだ。酷い置き土産と言いたいところだが、残留物は彼女自身であり、その表現は相応しくないのだろう。

 「私が居る限り、メアリは殺せない…」

 ――笑えない。御嬢様の大わらわというには、あまりにも始末が悪い。

 身に受けた損害も、悲惨の一語に尽きた。

 外傷にまみれ、失った内臓の復元には相当な時間を要するだろう。

 第一頸椎への空間くうかん乖離かいりに至っては、例の如く衝撃波を見舞ってくれた。因ってきたりて首部の筋組織や動脈はその結合を細胞単位で破壊されている。

 焼けつくように喉が渇き、体中に発熱を感じる。

 風に踊る白のフォーマルドレスは酷く裂け、千切れ、血に染まっていた。

 キルシェは白光の粒子を纏い、地上へと徐々に降下し始める。未だ黒煙の立ち上る無人都市を、おぼろげに霞む目で見下ろした。

 方々で二次災害が発生し、高度一キロ以上に在っても燃料の刺激臭がほのかおる。

 工場や可燃物の貯蔵量は多くないが、それでも消防団が駆け付ける頃には様々な設備が焼尽しょうじん・倒壊の憂き目に遭っているに違いない。今この瞬間とて街は赤く焼けているのだ。これが夜間ともなれば、その朱はより明瞭になることが予想される。

 これが勝利と呼べるものではないにせよ、メアリを撃墜し、ローゼ・夏蓮を渡さずに済んだのだ。最善と、言えよう。

 ――着地後は赤い椎骨の回収に当たった。

 倒壊したビルを横目に、暫くは連雀を徘徊した。ビルの硝子扉に映る目は、メアリの椎骨が移植された影響により、青から金へと変貌を遂げていた。

 ――使命を果たした代償か。

 もし仮に彼女の意識まで移植されていたとすれば、その時は。状況によっては、始末をつけねばならないのだろう。たとえそれが、死を意味することなのだとしても。

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