最高戦力・空中ニテ衝突ス 伍

 メアリは骨の尾を引き、衝撃波の泡を幾重にも残して蒼空へ馳せる。足元、蜃気楼のように揺らぐ波紋群の隙間からキルシェを垣間見る。光の屈折にかす矮躯わいくは、彼女の移動手段である白い素粒子を濃密に帯びて煌めいていた。

 キルシェの魂を敬慕けいぼする。人の身に生まれながら、過去世の記憶の片鱗にすら触れぬ身でありながら、これほどに血を使いこなすとは。

 欲しい。挙動の度に空気を撫でるしなやかな薄桃色の長髪が。あお虹彩こうさいに据える白光はっこう瞳孔どうこうが。人の形という形容さえ躊躇ためらわせる人形の如し無機質な顔立ちが。――何より、その心が。

 高度千五百メートルに到達し、衝撃波を減衰げんすい滞空たいくうする。

 構造も密度も精密さも他の生物を超越した脳から、宇宙廃棄物の周回軌道情報を呼び出す。最後に更新を行ったのは十四時間前。時刻・地点・速度・経過時間等より現在の位置を算出する。距離も数も度外視して、出来得る限り、全てだ。

 ただでさえ気が触れているものを、拍車を掛けて更に狂った。

 脳細胞が破壊と修復のせめぎ合いを繰り返す。血液による復元能力は情報伝達物質やこれを受ける受容体レセプターの減少を許さず、決してメアリを疲弊や気絶に至らせない。記憶情報と時間経過、精神負荷のみを高速で蓄積する。

 眼の焦点が合わない。ほんの刹那に、様々な情景が脳裏へ投影される。

 それは木々のざわめきであり、市街の人々の往来であり、幼き日に眺めた海のさざなみであり、エルネストの師として過ごした日々も含まれた。

 ――さぁ、ここへ辿り着け!!!

 衝撃波の推力を爆発的に活性化。鋭い垂直旋転によって骨の尾を三百六十度、ぶん回す。

 尾は根元の紅い椎骨を残して千切れ、全ての関節を分離する。ドロリと赤く溶け、血液へと還元した。

 血液は蠢動する砂金塊へと昇華し、一から三メートル規模の空間くうかん乖離かいりが五百以上も空におこる。次々と金の閃光を放ち、宇宙廃棄物を転移する。


 全ての砂金塊はメアリの滞空地点、高度千五百メートルに展開された。

 高度八百メートルから見上げるキルシェにとっては、さながら空に水面が現れたようである。

 千五百メートルの水面にて、黄金の球体が次々と爆ぜる。衝撃波を残して正に水泡の体を成し、その全てから秒速七キロの光弾を撃ち降ろす。

 空気抵抗によって減衰するとはいえ、初速のみを単純計算すればコンマ二秒余りで地上に着弾するのであるから、極めて狂った破壊力を有する。

 砂金塊の展開と同時に、キルシェは回避軌道へ移行していた。

 つばめのような旋回軌道では間に合わぬ。音速さえ超過し、弾丸の如く衝撃波を帯びながら、しかし四半しはんびょうも待たず鋭角に曲折する。軌道変更の度にその地点を極大の衝撃波が爆ぜ、光の波の湾曲わんきょくに空間が霞む。遅れて響き渡る轟音の奔流ほんりゅうは、鼓膜どころか表皮へ振動として伝わるほどに勁烈けいれつである。尤もこれを聞き届ける人間など地上には無かろうが。

 白光の粒子を纏っての回避軌道は、メアリから見れば純白の光線として映っていよう。

 「退屈などさせない!そのかつえ、終わらせてやる!!」

 メアリの展開する弾雨は大きく上昇する余裕こそ与えてくれないが、それでも空間に斥力せきりょくを蹴る跳躍ちょうやく回避は仰角ぎょうかく二十度にじゅうどを向き、坂道を上るようにじわじわと傾斜を進行し、確実に距離を詰めてゆく。

 空気抵抗の濁流を受けて尚、キルシェの整った顔立ちは寸毫すんごうとて歪まぬ。表皮に浸透した粒子による原子固定の一助もあるが、身に纏う衝撃波によって大気の波を打ち消しているのが主な要因である。衝撃波の補助とは、さながらメアリになったようで妙な気分だ。

 ――光弾は、その全てがキルシェを照準している。

 回避軌道の白い残光を、燃焼によって若干の黄色味を帯びた光の柱があめあられと貫く。光弾をもはや神の杖たらしめんとするメアリは、天上に伏臥ふくがしてキルシェを睥睨へいげいし、かげりのがんに双眸のみを炯々けいけいかがよわせた。

 連雀のみならず国外上空を飛翔する宇宙廃棄物まで無差別に手繰り寄せる空間くうかん乖離かいりは、生じるラグも区々まちまちとなる。置換しその光弾を放つに至るまでの時間をメアリは計算し、キルシェの進路を照準するが、その時には確実に回避軌道を急変されている。

 「――メアリ!!!」

 メアリ攻略に於いて積み上げた経験則が、ようよう実を結び始めた。しかしてこちらは、最後の一手まで定めている。

 問題は残存血液量だ。肝臓も腎臓も腸の一部さえ血液へと還元し素粒子へと昇華、斥力せきりょくいしずえと化し急速に消耗している。臓器を失った体内の空間は気体が取って代わり、我が肉体は着実に空虚なる人形の様相を呈し始めている。血が尽きる前に全光弾をかわし遂せるか、或いはメアリへ到達せねばならないのだ。

 ――耐え凌ぐつもりなどない。メアリ到達を即断する。

 空中を滑るキルシェの疾駆はあまりに速く、光弾が撃ち抜くは白光の残滓ざんしのみ。この燃え盛る光の柱は全てが撃ち損じでしかなく、次々と天地を結び無意味な破壊を都市へもたらす。

 千五百メートルにて水泡より生まれ、目標を射抜けず水泡へと帰する。一見してそのように見えるが、しかしメアリの考えは違っていた。

 ――無駄な攻撃なんか一つとして在りはしない。繁殖ばかり繰り返し不幸を蔓延する馬鹿によって相当数を占められた文明なんて、いっそ滅んでしまえばいい!

 気の触れたメアリとて、科学技術の発展と人類の理性により様々な問題が解決していることをってはいる。ならば寧ろそうであるが故に、この記憶と思考を有する内に、魂の死か凍結かを実現せねばならないのだ。

 狙いこそキルシェであれ、光弾はメアリの狂気を乗せて、いずれ過去の遺物とならん人類の痕跡に破壊の限りを尽くした。

 連雀が砕かれてゆく。

 光弾は空気を超音速で熱膨張せしめ、衝撃波を伴っている。これはばくごうと呼ばれる現象であり、その一発がまた破壊を刻んだ。

 高層ビルの側面を通過し、二十八階層のまど硝子がらすをほぼ同時に弾けさせる。地に激突し、アスファルトを砕き、なおもって人間に運べぬ重量の瓦礫をまるで羽毛のように舞い上げてクレーターを築く。この路面の爆砕ばくさいに遅れ、しの硝子片がらすへんの雨が剥き出しとなった土壌どじょうに続々と突き立つ。

 数秒後には別の光弾が高層ビル本体の屋上へ俯角ふかく六十度ろくじゅうどで着弾し、天井を破壊して下階の一部を露出する。八階層の貫通を経て、そのまま壁面を斜めにぶち抜いた。

 過密都市連雀を蹂躙じゅうりんする光弾は油槽所ゆそうじょから軍事施設の火薬庫に至るまで無差別に攻撃し、方々に火災を発生させる。爆発し黒煙を上げる燃料や化学薬品と、思い出したように倒壊する建造物。巨大な風穴を穿うがたれた橋梁きょうりょうと崩壊の鉄骨。メアリ・キルシェにとってこれらは路傍の石にも劣る些事であり、彼我の決着にしか興味はない。

 空中をって這い上がる超音速の疾駆しっくの果て、キルシェはメアリの高度へ到達せんと迫る。接近と退避の繰り返しによって急速に距離は伸縮するが、もはや互いの表情を窺い知れるほどに近い。ぶつかる視線が、口ほどに告げた。

 ――さぁ早くおいで!

 ――言うに及ばない!

 五百発余りの光弾が撃ち尽くされたのを見届け、垂直上昇に転ずる。斥力せきりょくを踏んで幾許か跳躍し、遂にはメアリと同高度へ立つ。

 前方、距離五十メートル。メアリが空間を波打たせて翻る。伏臥ふくがから姿勢を正し、こちらと正対した。

 ――二つの心臓が同時に溶ける。

 二者は流血に紅く咲いた。全身を血に濡らし、血涙を伴う。鮮やかなる二つの紅蓮は直ちに色を変え、それぞれの色に染まる。先んじたのはキルシェであった。

 キルシェはこの闘争に於いてすら例を見ぬ、最大にして最高峰の異能を解き放つ。

 核分裂めいた白光のほとばしり。

 多量の血液が前後へ揮発きはつし、無数の光芒こうぼうを放射状に生起せいきする。その純白の光芒はもはや柱状ちゅうじょう結晶けっしょうのようであり、質量の具有ぐゆうさえ錯覚さっかくさせた。

 針鼠はりねずみ。光の針のむしろ。閃光の離合りごう集散しゅうさんたいがキルシェの存在を完全に欺瞞ぎまんする。凄まじい斥力せきりょくによって、キルシェを包んだ光芒のクラスターが投射される。

 後方に無数の衝撃波を轟かせ、その波紋に光が掛かる。内部を光に満たされた衝撃波たちは泡沫であり半月であり粒であり針であり、薄く或いは分厚く、その多種多様な形状を完全に視覚化する。立体の万華鏡が蒼空に形成された。

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