最高戦力・空中ニテ衝突ス 肆

 ――再び、開戦。

 我が真眼は全方位を映している。胸部内に一つ、周囲に二十五個、計二十六の空間が湾曲わんきょくしている。メアリが置換ちかん座標ざひょうを指定したのだ。

 こちらが白光を散らすのと、同時だった。

 メアリを包囲する同数どうすう同形どうけいの砂金塊。即ち二十六個が衝撃波と光を残して消え、指定空間へ置き換わる。空気しか内包しないそれらは単なる爆弾でしかない。

 無論これらに用はなく、置き去りにしてメアリへ急接近するのみだ。


 「さぁ、おいで」


 メアリの袖の一振りから五滴の血。瞬時に増殖してそれぞれ三十センチ大の球体となり、こちらへ到達する。その一発、心臓への砲弾に、キルシェは獣の如く爪を立てた。


 ――宝石を埋め込んだ爪にて、試し切りだ。


 屈んだ姿勢のまま右へ、斬撃ざんげききざみながら水平すいへい移動いどうする。一閃いっせんの、否。粒子を蒸着じょうちゃくしたあしが、爪が、炯々けいけいたる真眼が、それぞれまばゆざんこうを引く。砂金塊を六つ、横切りざまの一撃で粉砕せしめた。

 これを皮切りに、メアリが弾幕を展開する。三十発余りの砂金塊が射出される瞬間、キルシェは多量の粒子を前方に踏んだ。

 常駐させていた八本の刃を従えて、全開の斥力せきりょくにて遠ざかる。

 後退こうたい軌道きどう砂金さきんかい弾雨だんうが降り注ぎ、衝撃波を残して次々と消える。あわせて、同数の衝撃波が無秩序に乱れ咲き、空中を支配する。その一発が、刃の一つを撃墜していた。

 金属の破裂音が響き渡る。空間ごと中心を繰り抜かれ、副次効果の衝撃波によって捻じ曲がる刃。内部に充填していた血液を漏洩ろうえいしながら落下する。


 「やられたか。次だ」


 七となった残刃ざんじん。これらを可能な限り遠くへ散開し、今度は体一つで弾幕へ飛び込む。

 ――砂金塊の移動速度と性質はおおよそ把握した。

 まず、流動中は時速二十キロと鈍足である。対して直進速度は二百キロに迫る代わりに、動向を制御できなくなるらしい。途中で空間くうかん乖離かいりを発動するか、遠方で消滅するかの二者択一となる。問題はその初動であるが、照準方向を示す砲身も、引き金を引く指もない。射線そのもののみを判断材料として回避するしかないのだ。

 前方で、メアリの哄笑こうしょうが高鳴る。

 空中の機雷となって浮遊し、しかし射出時は砲弾となる砂金塊。こちらの方向転換と停止の僅かな隙を突き、それらが時折射出される。最善の回避場所はメアリに先読みされ、砂金塊の置換先となり衝撃波が爆ぜる。こちらも彼女の思考に追随し、敢えて過密な弾幕へ飛び込んでは爪にてこれを粉砕し、時に不規則な軌道で最善の地点をも通過する。それでも運悪く空間の歪みに身を重ね、紙一重でかわす。白皙はくせきの腕をあてがい、衝撃波を遮蔽しゃへいする。身に届く衝撃波の末端が、爆弾で言うところの破片となり、全身にかまいたちを刻みつけては、流れる鮮血が修復する。


 ――御せ。御し切れ。掌握せよ。


 ここで死ぬ。そう決めて最善を手繰り寄せる。迷ってはならない。意識を尖らせ、深海のように冷たく深い理性を必死に繋ぎとめる。

 全身に纏わる白い粒子が斥力せきりょくを出し尽くしては無に還り、表皮から再誕さいたんし続ける。止め処ない、輪廻のような繰り返しに支えられ、直撃すれば空間ごと身を抉られる連鎖れんさ爆撃ばくげきの嵐を、しんがんによる全方位監視にて次々と捕捉し駆け抜ける。

 右肩へ一発、左足へ三発。挟み撃たれる。五時方向へ後転しつつ、左腕にて一発を鷲掴わしづかみに潰す。かわした残り三発が眼前を通過。これには被弾しないが、置換先となる空間が一つ、退路と重複する。

 左顔面を覆う空間湾曲を、皮膚諸共に掻き散らす。対消滅する砂金塊を置き去りに、メアリ攻略を続行する。

 遠くのメアリが「えいっ」という掛け声を発した、気がした。無論声は届かない。両腕を振り下ろす姿から、そのように察した。

 内臓の一部を溶かして使用したのであろう。散布された血液の瀑布ばくふは、ダムの決壊を彷彿とさせる激しいものだった。

 放射状に広がる、過密な砂金塊の弾幕。直径八十メートルは在ろう制圧射撃の壁が、瞬く間に視界を埋め尽くす。メアリとキルシェは、等しく彼我を見失った。

 最短の逃走空路は九時方向、しかしそこは砂金塊の空中機雷による包囲網である。


 ――構わない。あわよくば処理してやる。


 メアリの誘導に乗り、白光と衝撃波を踏んで九時方向へ。弾幕の壁を抜け、砂金塊の包囲網へ飛び込む。

 メアリはこちらを視認するが、こちらはメアリを見ない。彼我の目視が可能となった瞬間、予知していた二撃目を確認もせず回避する。

 九十度の残光を引き、垂直上昇。地点から地点への跳躍は旋回飛行にあらず。緊急回避による斥力せきりょく過多かた慣性かんせい負荷ふかによって、全身のこつ細胞さいぼうきん繊維せんいほころびる。

 予想通り、残光を別の光が貫いていた。

 目下を通過したのはスペースデブリの二射目である。一瞬でこちらに到達でき、且つ準備時間も十分だったに違いない。

 囮だった砂金塊の包囲網が、はしく拡散して遠ざかる。これと入れ替わりに、四本の刃が低空飛行し集結する。

 なぜ、砂金塊の砲弾が目標であるキルシェから逃げるのか。

 空間くうかん乖離かいりは重複して存在できない。かといって避けるのも煩わしい。つまり、メアリは邪魔な砂金塊を排除し、この一帯を無差別に置換しようというのだ。

 対となるは、先刻の制圧射撃。本命たる飽和攻撃がキルシェを完全に飲み込み、空間が湾曲する。一つの巨大な空間くうかん乖離かいりに見えるが、あくまで集合体である。こちらは爪による各個撃破を迫られ、逆に向こうは相応のタイムラグを生ずる。


 「鈍いぞ、メアリ」


 車輪の如く旋転し、両爪で周辺空間を切り裂く。僅かな空隙を築き上げる。

 ――巨大な空間くうかん乖離かいり発生の瞬間。下方より、四本の刃が垂直に飛び出し、粒子の斥力せきりょくにより急停止。四方形の盾となる。衝撃波を反射して、甲高く鳴いた。

 その金属音は断末魔だった。

 柄も諸刃も切先も、空間ごと半月状にかじり取られる。表面は削れ、脈状の内部構造を露出し、原形を失った四刃よんじんが四方へひしゃげて開花する。防ぎ切れなかった衝撃波がキルシェの背や肩に裂傷を刻む。鼓膜の破れた耳からは、出血していた。

 衝撃波による損傷を受けながら、キルシェは残刃三枚をメアリの背後へ回り込ませていた。彼我でメアリを挟む形となり、三刃を放つ。




 「そろそろ、逢瀬おうせを楽しめる頃かしら」


 雲も遮蔽物しゃへいぶつも無い空で、三刃を察知できぬなどあり得ない。視界の隅で一瞥いちべつし、射出の瞬間だけを確認する。

 刃から白光の粒子が尽きたので、速度も軌道も変化しない。振り返る必要は失せた。もう、興味がない。

 肩甲骨から、片翼状の砂金を放出した。刃を飲み込み、空間くうかん乖離かいりを発動する。これが時間停止なのかメアリ自身も厳密には解らないが、空間が置換されるコンマ数秒間は内部が完全凍結される。慣性も粒子も保持したまま、刃を大気圏外へリリースした。

 二つの残刃が両脇を横切る。神速しんそくのキルシェを俯瞰ふかんし、渇望かつぼうする。


「これは、見逃してあげましょう」




 飽和攻撃の衝撃波が止む時。キルシェは肉体の修復を待たず、全身から血液を放出する。超高密度の粒子と化し、纏い、爆発的な斥力せきりょくを発生させる。座標のみを定め、進行方向は見ない。

 ――突撃。

 巨大な衝撃波の輪が、壊れた四刃を粉々に蹴散らした。重量百五十キロ強を誇る矮躯わいくを弾丸とし、垂直回転による推力すいりょく増幅ぞうふく一助いちじょを受けて頭部から直進する。

 ドレス、髪、両手、回転に追随ついずいするこれらが羽となりくうを切り、揃えた両脚が残光を引く。数発の砂金塊に身を重ね、しかし空間くうかん乖離かいりが発動する頃には遥か後方へ置き去りにしていた。

 事ここに至っては、メアリとて正確に狙う気などない。もはや残弾を放棄したに過ぎず、攪乱かくらん計略けいりゃくさえ絶無。遊戯、否、直接対決を望む所存である。


 ――一秒足らずで、彼我の距離が六メートルに縮まる。


 キルシェは真眼にて全方位を視認している。こちらへ放った二刃にじんも、仰角ぎょうかく三十度さんじゅうどのメアリも、決して見失わない。

 二刃の狭間はざまを通過する刹那に、両手指を刃の面へ滑らせる。指先が柄へ触れた瞬間、白皙はくせき双手そうしゅにこれを掴み取る。

 二刃の重みで鈍化した推力と回転力を、粒子によって再加速。キルシェは、一身それ自体を円錐えんすいの回転翼と化し、螺旋状らせんじょうの斬撃を浴びせながらメアリを横切る。

 メアリは流麗りゅうれいに身をひるがえし、キルシェの隣に沿う形となる。常時纏っている衝撃波を急激に活性化し、その推力にて垂直回転。音響ともつかぬ空気の振動を生じ、まさにキルシェと同じく時計回りとなり、遊ばせていた尻尾が追従して、メアリの肢体に四輪もの蜷局とぐろを巻いた。

 斬撃の螺旋と蜷局とぐろの螺旋が接触する。これは単なる衝突ではない。彼我の螺旋は対応し合う。

 脊椎せきつい後部こうぶきょく突起とっき関節部かんせつぶ凹凸おうとつ双刃そうじんへ次々と噛み合い、はす歯車はぐるまの体を成し、四度に渡る高速の斬撃を受け流す。それでも骨の尾は幾許いくばくがれて極小の出血を伴い、メアリはこれらを一センチばかりの空間くうかん乖離かいりと化し、双刃そうじんに百二十余りの刃毀はこぼれを刻みつけた。

 キルシェはメアリを通過した直後、急旋回しながら双刃そうじんを背後へぐ。これを制動せいどう補助ほじょよくとし、後方へ放射した粒子の斥力せきりょくによって急停止する。


 ――まだ、メアリを間合いに捉えている。


 俯角ふかく三十度さんじゅうどに見下ろし、ボロボロの双刃を振り翳す。

 足底に踏む粒子は、完全に足場として馴染み、違和感も浮遊感も覚えない。身に纏う粒子の斥力せきりょくに至っては、もはや三十度の傾斜による些細な重力すら無力化している。

 如何なる斜角に在ろうが、自分の立ち位置こそが基準座標であり、水平なのである。髪のたった一本さえ地上を指し示したりはしない。

 空中にて中腰に立ち、左前ひだりまえ半身はんみの構えとなる。左刃さじんを前へ出し、右刃うじんは引いた。刺突すれば、ぎりぎりメアリに届く距離だ。


 「いつから空は、蜘蛛の巣になったのかしらね」

 「違うな。蜂の巣だ」


 何もない空中にて奇妙にも両足を踏みしめながら、重心移動と慣性によって右刃うじんを突き出す。メアリは蜷局とぐろを身に巻いたまま、こちらの刺突を先刻の如く急旋転にて回避するが――しかし、反時計回りである。巻いていた尻尾を、逆回転にて押し出した。

 左から撃ち込まれる五メートルの尾。こちらは双腕そうわんを左へ交差させ、頭の高さに引き上げる。これにより、双刃そうじんが刀身の重みにひるがえり、切先きっさきを地へ項垂うなだれた。左側にて二本の柱となった双刃、これを盾とし、我が身諸共に右へ逃れる。尾の刺突は、刃部を掠めて横切った。

 空間に波紋を残して、メアリがふわりとふところへ舞い込む。まるで羽毛のように柔らかく、しかし携えた尾は凶悪にとがり、するどを描いて背後へ回る。尾の先端をうなじへ、照準された。

 こちらは真眼にて尻尾の挙動を追い、双刃そうじんの柱を背中へ回して防御した。とどまらず、そのまま切先きっさきを空に滑らせて、右からの水平斬りへ繋げ薙ぎ払う。

 粒子を散らし、急加速した。

 三メートル半の白刃が閃光を照り返し、半月を描く。手応え無しと悟るや否や、速やかに柄を引き、八時方向へ逃れたメアリへ、旋回ついでに刺突する。

 メアリはほんの少しだけ身をかわし、左刃さじんに手を触れた。


「綺麗な爪。剥がしてもよろしくて?」


 手首から滔々とうとうと流血する。これが蠢動しゅんどうする砂金へと昇華して刃を覆う。柄を伝い、こちらの手元にまで追い縋る。

 ――危険を察知して、キルシェは左刃を手放した。

 妙だ。一滴の血液から、僅かな砂金しか生まれていない。コブシ一つ分くらいか。厳密な堆積比は『一対一〇〇〇』といった感じである。

 多くの場合『一対一〇〇〇〇』程度の堆積比であり、血液の濃度によって制御能力が変動している。

 メアリは最初の空間くうかん乖離かいりによって、連雀駅周辺を一キロ半も繰り抜いて空中に転移した。タイムラグは一・七秒と極めて大きく、発動単位も一つだけであろう。その堆積比は想像を絶するものであったに違いない。

 今回は逆だ。おそらくメアリは、高濃度の砂金を精密制御しようと考えている。

 ――刃の柄を、今度はメアリの右手が掴み取る。砂金に食い尽くされた刃へ、空間くうかん乖離かいりが発動される。

 衝撃波が弾けた。光の湾曲の粗さから、億単位の砂粒一つ々々が別個体であるとキルシェに確信づける。

 ――メアリは左手を振り上げた。てのひらの上に、砂金と同数同形の衝撃波が生まれる。転移後の刃は二ミリの粒状に分解されており、個々の膨大な衝撃波による拒絶で散らばった。

 粒状りゅうじょう金属きんぞくこうじん内部ないぶの血の雨が、メアリの纏う衝撃波の傘をれて降りる。


 「メアリ!」

 「はぁい♪」

 「爪は後でくれてやる!」


 宣言し、本来がそうである刃を両手に構え、左前ひだりまえ半身はんみから秒間四発の刺突しとつを見舞う。自由落下の粒状りゅうじょう金属きんぞく神速しんそくの刺突によって水平方向へ弾き出され、騎槍が混交こんこうの血に濡れる。


 「今頂戴ちょうだい!」

 「五月蠅うるさい!」


 ――一蹴!無視だ!


 足底に粒子を散らし、斥力せきりょくを踏み、空間を立体的に歩行する。メアリの周囲を時計回りに、透明な螺旋階段を上りながら、断続的に連撃を叩き込む。

 視線の先が無人の大都市に、気が付けば蒼天に、止め処なく角度が変動し、それでも主観的には常に水平である。地上を歩くのと変わらぬ精度で、自由に、しかしメアリの揶揄やゆするように蜘蛛の巣を這い回るが如く空間を足場に追い迫る。

 メアリは衝撃波の推力によって旋回、遊泳し、回避行動を取り続ける。次第に上方へ進路を変え、波打つ空間を上り始める。空中におこる波紋を、砂金の粒が止め処なく流れ、無秩序なフィラメントを残しては消失する。

 俯瞰ふかんのメアリは柔らかい髪を躍らせ、骨の尾を突き下ろす。これを往なすはキルシェの騎槍。切先でニ十センチほどの弧を描き、尻尾の刺突を絡め捕っては側方へらす。

 傷付いた騎槍の凹凸おうとつと尻尾のきょく突起とっきが四半秒の鍔迫つばぜいを繰り返し、接触の度、彼我の力を読み合う。視点力点作用点を感触で知り、反発せずに迎合。攻撃側の力に対し、防衛側はその作用点へ重みを上乗せして過剰な動作を誘発し、刺突の照準方向を攪乱かくらんする。

 骨の尾が点々と出血し、これが小さな空間くうかん乖離かいりとなって騎槍を削り取ってゆく。刺突の激化は即ち損傷の加速を意味し、脈状の内部構造にまで破壊は達し始めている。蝕まれて流血する刀身を、それでもキルシェは弾き出す。


 ――キルシェの武はけんしゅうたいあらず。

 その根幹は体内の連動と重心、慣性の制御に在る。足底部一つ取っても、五指の付け根から内踝うちくるぶしかかと、側面と多様に重点を置き換えて全身に作用する。予備動作を読まれぬよう、手足のみによる単純な動きを含み、型には決して嵌らない。

 戦闘技術には動作が簡略なものも多い。これは合理性の一つの形であり、いつ如何なる状況にあってもその攻撃を繰り出せることが勝率を高めるのだ。これをうんざりするほどに理解しているキルシェは有用と判断した技術のみを記憶定着させ、構築し、脅威に適応している。


 ――メアリの周囲に血液が散り、三十センチの砂金塊となって射出される。キルシェは数メートルの跳躍によって緊急回避へ移りつつも、メアリを追跡・周回して間合いに捉え続け、中距離からの粘着攻撃を決して絶やさない。重力を無視し、透明な壁を小刻みに歩行し、上昇するメアリに喰らい付く。繰り出す刺突は秒間六発にも迫り、その数撃はメアリの心臓や腰に命中しているように見える。確かに騎槍はメアリを貫いてはいるのだ。しかし、穿つ風穴は刺し傷に該当しない。無論、手応えも皆無だ。

 メアリは空間くうかん乖離かいりを精密制御し、蠢動する砂金によって肉体を一ミリ単位の正方形へと分解、再構築して局所的な回避を行っている。

 精密制御はメアリの手の届く範囲で、それも彼女自身と連接していなければ成立しないらしい。それ故に、一時的に体外へ繰り抜かれる赤い内臓と肉片、白骨は必ずメアリ自身と繋がりを有しており、傷口に纏わるこれらは紅い花のようでもあった。

 キルシェはメアリの背後へ回り込もうと、幾度も試みている。

 我々の肉体は不死身に近いが、常に一つ、椎骨が無事でなくてはならない。メアリの再構築は一時的な損壊を伴うので、背骨を一網打尽に破壊されれば用を成さないのだ。メアリとてその性質は承知しており、背後を取られぬよう立ち回っている。

 高度八百メートルを超過。メアリの上昇速度が急加速する。

 追跡のキルシェはしゃかく旋転せんてんし、引かれたそう身熟みごなしに従いひらりとめくれる。斥力せきりょくの増大を全身に受け、一瞬だけメアリより高高度に至れる。

 キルシェは白光の粒子の渦中で、急激に上昇を鈍化。完全な無重力によって長髪とドレスを慣性任せに躍らせ、騎槍をメアリへ突き付ける。


 ――刺突態勢!


 左手は柄の前部へ添えるのみ。右手は柄の末端を固く握る。後方右脚を蹴り足とす。

 股関節と胸椎の旋回を経て増幅した力を右手の柄へ達する。


 ――呼気!


 脱力の左手を、騎槍の柄が滑り抜けた。

 双手がぶつかるまで押し出し、限界まで両手を伸ばし切った。

 肉体内部に浸透している粒子さえもが過剰な斥力せきりょくたぎらせ、肺の収縮によってその片鱗を排出する。喉笛を鳴らし、口内に小さな旋風つむじかぜを巻く。粒子混交のしらいきは冬の色だった。


 「焦るとろくでもないわね」


 速度と破壊のみを追求した刺突はメアリによって見切られ、尻尾を巻き付けられていた。突き出した諸刃の末端、手部保護のけんに相当する部分にまで尾は絡み、拘束解除の余地はない。

 ――笑止。

 貴姉が焦りをわらうか。今すぐ爪を剥がして寄越よこせと、そうせがんだ気ぜわしい娘はどこの誰であったか。これからろくでもなくしてやる。

 キルシェは首を傾いで冷笑した。薄桃色の白髪が、毛先でするりと空を撫でる。


 「鏡にのたまえ。落ち着きのない娘は貰い手を見つけるのに苦労するぞ」


 「失礼ね。行き遅れても、頭の方は行き着くところまで『いかれてる』から平気よ?」


 口をく歯切れよい訓戒くんかいにも狂人のメアリは穏やかで、喜んですらいるように見えた。よほど何かにかつえていたのだろう。


 「適切な自己評価」


 「ご理解痛み入るわ。ありがとう。貰い手が見つかって嬉しい♪」


 幼き花のかんばせが笑みを咲かす。


 お断りだ。一も二も無い。


 「理解者は一人に限らぬ。他を当たれ」


 メアリはむくれた。尻尾を絡めた刃に『ぺちん』と両手を振り下ろして抗議する。


 「やだ」


 もはや駄々をこねる莫迦ばか童子どうじでしかない。

 刃を締め付ける尻尾が非常識な怪力をみなぎらせ、ぎりぎりと軋む。関節部から流血し、発動する空間くうかん乖離かいりによってそうを分解に至らしめる。

 ガラスを砕いたような音色。弾けた白刃が鏡面となって光を乱反射する。金と白、二者の纏う異能をより鮮やかにかえした。

 ――メアリは衝撃波のドレスを活性化し再浮上。巨大な波紋の置き土産が騎槍の破片を拡散し凶器と化す。分解され細くなった刃の一振りがキルシェの腹部に突き刺さった。


 構わぬ。これでよい。


 身に受けた幾つかの破片を引き抜いて排除し、腹部の一振りは次の得物とする。八十センチほどか。細く、取り回すに理想的な形状だ。粒子を蒸着した両手の保護は防刃も兼ねるゆえ直接の掌握しょうあくあたう。


 ――奴は遂に高度一キロまで至ったか。

 白刃を携え、二百メートル上空のメアリを臨む。


 互いに俯仰ふぎょうする金と白の眼光は体感距離を目睫もくしょうと化した。


 腹を貫かれたキルシェは殊に狼狽を演ずるでもなく、一貫して白の真眼を据え、傷の修復を待つ。憤怒も恐怖も躊躇も抜け落ちた人外の静謐と無尽むじんの士気が、脳裏と胸の奥底に冷たくたぎる。その水底に沈みゆく意識をあまねく神経から細胞へ受容させ、覚醒の波を全身にふるう。


 「こうか!」


 多量の出血をそのまま白光の粒子へと昇華する。全身へ浸透し、骨格と筋力、表皮を強化。衝撃と空気抵抗に、備える。


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