最高戦力・空中ニテ衝突ス 参

 粉塵の中。メアリは遠赤外線えんせきがいせん暗視あんし装置そうちの単眼鏡を眼に当て、キルシェの赤い熱源を探す。

 仰角ぎょうかく四十二度よんじゅうにど距離きょり四百十八よんひゃくじゅうはちメートル、動体を認める。

 単眼鏡を構える左手の小指をピンと立たせ、指先から流血。一滴をコブシ大の砂金へと増殖させ、キルシェの股関節へ空間くうかん乖離かいりの座標を指定。片手間に行うこの一撃は布石に過ぎない。


 「さあ、臨場りんじょうつかまつりましょうか!」


 残された血塗ちまみれの右腕を天へ振り上げる。

 多量の血液が飛沫ひまつを上げ、砂金へと変貌。瞬時に分裂増殖し、三メートル大の集合体を形成する。黄金の髪と双眸がより一層深い色を灯す。


 「遠すぎるとやり辛いわね。どれにしようかしら。…よし決めた、これが良い」


 メアリは過去世の記憶を一部復元した副作用で脳を変異させ、膨大な記憶とその読出しを可能としていた。予め記憶しておいた『それら』から手近なものを割り出す。


 ――宇宙廃棄物の周回軌道を把握、個体を決定。


 北緯ほくい三十六度さんじゅうろくど東経とうけい百三十九度ひゃくさんじゅうくど高度こうど海抜かいばつ七百五十九ななひゃくごじゅうきゅうキロメートル通過・直径十二センチ。連雀への到達予定時刻、小数点第四位まで計数けいすうよし。置換ちかん座標ざひょう確定かくていよし。


 「はい、交換♪」


 小指に浮かぶ小さな空間くうかん乖離かいりをキルシェに見舞った直後、頭上の本命を置換。凄まじい光弾の一閃が秒速約七キロで天地を結ぶ。

 大気に触れて燃焼するその金属きんぞくかいは、キルシェの手前を通過して彼方へ。雲を貫いて終ぞ消滅した。




 キルシェは推察する。


 振り返る余裕も無かったが、あれほどの速さでは一瞬で燃え尽きたろう。隕石ではない。例えば周回軌道を有し、位置と速度を把握し得る物体。考えられるのは人工衛星の破片など、宇宙廃棄物の類い。所謂、スペースデブリだ。

 メアリの砂金に重複した空間と物体は、秒速七キロの慣性さえ保持したまま転移されるのか。

 しからば、コンマ数秒のタイムラグが生ずるのは致命的な矛盾といえる。高速のスペースデブリを捕まえたとしても、ラグ内に転移空間の殻を突き破って飛び出してしまうのが関の山だ。

 ――強引だが一つ、解決法に心当たりがある。

 転移空間内の時間そのものを停止、或いは鈍化すればいい。

 思い至り、戦慄する。

 メアリは空間くうかん乖離かいりを移動手段として用いていた。もし仮に、時間の停止した転移空間内で、彼女だけが活動できるとしたら。そしてその中に、自分が捉えられたとしたら…。

 メアリは少なくとも十二人の同族を生きたまま無力化している。空間くうかん乖離かいりを阻害する宝石が手元に無ければ、会敵の瞬間から十三人目として仲間入りしていたかもしれない。

 とにかく、第二射の的とならぬよう、退避する。

 宙で後転し、天地が逆に。何もない滞空たいくう地点に斥力せきりょくを踏み、衝撃波の輪を残して頭から降下する。天使の輪にも似た光の歪みを俯瞰ふかんし、その向こうに、また別の衝撃波を見た。

 丸い。まるで巨大な水泡のようである。閃光を発し、空気の振動が轟く。蒼空を映していたキルシェの青い虹彩が、メアリの金に染まる。

 置換されるのは光弾か、メアリ自身か。或いは囮で、地上からの狙撃も在り得る。

 八本の刃を後退軌道の『前―――後』へ集結させ、それぞれ四層の盾を築く。この狭間にて軌道修正。急降下を中止すべく、丸めた背中で粒子を放射する。斥力せきりょくで慣性を殺しながら、再び足底に衝撃波を踏んだ。

 斜め上方へ。盾から飛び出し、メアリの姿を認める。彼女は、うそ寒くなるような景色を作り出していた。

 表皮も衣服も、全身が血だらけである。そこからポツポツと、金の粒が芽吹く。身から離れるたった一粒が、頭一つ・三十センチほどの集合体へと増殖する。

 便宜上、この集合体を『砂金さきんかい』と呼称する。形成された砂金塊は球体で、数は二百余り。メアリの周囲を滞空、流動し、蛆虫の如く緻密ちみつしゅんどうしている。

 キルシェは敢えて、メアリの滞空高度へ躍り出た。

 メアリは視線だけでこちらを追う。瞳孔を開いた金の目が、ずるりと眼窩がんかにて転がった。


 「愚か者ね。ここは私の支配空域よ」


 双脚そうきゃくを凛々しく揃え、その爪先を地上へピンと伸ばしている。蜷局とぐろを巻いた尾の内に立ち、小刻みな衝撃波を纏いながら、ブロンドの髪を指に巻き付けてもてあそぶ。

 随分と退屈そうだ。警告も、早死にされては興が冷めるからか。


 「承知している」

 「逃げないの?」

 「それはつまらない」

 「待ってあげましょうか?」


 愚問だ。こちらとて退く気は無い。よもや貴姉を殺さねば助かるまい。最後まで遊びに付き合ってやる。


 「覚悟の定義は知らん。だからここで死ぬと決めてのぞむ。貴姉もほぞを固めよ」


 メアリの瞳孔が、より一層開かれる。ぱっと手を開き、弄っていた髪をほどいた。まさに目を大きくして、心底幸せそうな笑みを湛えて、念を押す。


 「ほんとうに、逃げないのね?」

 「疑り深いな」


 「きゃは」と、メアリは声に出して笑った。

 「嬉しい♪ここに留まり私と一緒に暮らすと、そのように解釈してよろしい、かしら?」


 大きく頭を傾いだせいで、肩の柔らかいブロンドの髪に頬がうずまる。切り揃えられた前髪が、そちらへ倒れた。

 初めて会った時、否、会敵時とする。その時の会話に近い。こちらの口調を真似たらしかったが、全く似ていない。もう一度言う。


 「それはつまらない」


 メアリの瞳孔が正常に戻る。ゆっくりと目を細め、静かに微笑した。


 「いいえ、嘘。きっと、たのしくなるわ」

 「ならぬ」

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