最高戦力・空中ニテ衝突ス 弐

 メアリが力を鞘より引き抜く。地上の振動に、劣化した建造物の窓ガラスが割れてゆく。足元の石張りも、周辺のアスファルトも、古城のような連雀駅も、高層ビルも、何もかもが黄金色の光と砂をこぼし、そして――。


 「試す価値はある」


 キルシェの一言が打ち消した。足底より流出していた血液を気化。白い粒子へと変貌し、地下へ浸透しんとうする。黒箱に収められた八本の刃へまとわり、内部の我が血液へ斥力せきりょくを与える。推力を得た刃が黒箱を粉砕し、地下トンネル内にて、命を吹き込まれたように飛び出した。


 「無駄よ」


 空間を乖離かいりして置き換えるメアリの能力。便宜上、一連の現象を『空間くうかん乖離かいり』と呼称する。その全貌が惜しみなく発現する。視界一面の光が歪み、何もかもを支配する。都市が、震える。


 ――来る!


 キルシェは、地上の衝撃波が脚を砕く前に白光の粒子へ命令した。踏みつける足底にて、自身に極大の斥力せきりょくを!

 二人を中心に、大都市の一部が蜃気楼のように姿を消す。同時にキルシェは飛翔した。

 キルシェは地上に衝撃波の輪を残し、百メートル上空まで一気に上昇する。空気を切り裂き、体を弾丸の如く垂直回転させながら。

 我が粒子は体内にて、包囲した原子を固定し組織の結合を強化する。鱗粉のような白光を撒き散らしながら、足底にて再び粒子を踏む。更に、上昇する。

 突然、太陽の光が消えた。后羿こうげいに射落とされたのではない。上下反転した都市の景色が頭上に現れたのである。

 メアリによる盛大な洗礼。待ち構え、準備し、それでも内臓の幾つかを消費したであろう地表転移の直径は、約千五百平方メートルに及んだ。

 キルシェは現在、高度二百メートル半に居る。都市が現れたのは更に二百メートル上空。都市は地下トンネル諸共転移されており、八本の刃も巻き込まれていた。


 やはり、仕掛けてきたか。


 メアリの性格から予想していた事態だ。これほどの規模とは思い及ばなかったが。

 空間が置換される瞬間、八本の刃と粒子が一・七秒ほど意識から離れ制御できなくなった。外部から干渉できぬこの時間は、空間くうかん乖離かいり完了までに生ずる遅れと考えられる。規模と距離によって変動するとしても一つの指標と捉えて良い。零秒での置換は、不可能ということだ。


 視界を覆う闇へ対応せねば。


 八本の刃を同時に操縦する。有効ゆうこう制御せいぎょ距離きょり五百メートル。斥力せきりょくを与える粒子は触覚を有し、壁への接触は凡そ回避可能。無論、経路も予め定めている。地下トンネルから駅構内の通路を精密に高速飛行し、改札から脱出する。

 闇へ飛び出す八閃は流星の如し。高圧鉱物の粉末を練り込み、ローゼの血の高熱を以て鋳造された特殊合金製の厚刃こうじんが、高速回転して穿孔機せんこうきとなり、降り注ぐ落下物を粉砕して飛び交う。進路の障害物を一掃し、目標を頭上の都市へ。アスファルトの亀裂へ食い込み、動力たる最後の粒子が消滅した。

 キルシェは全身の表皮から血液を散布して、即座に命令を加える。血液は白光の粒子へと瞬く間に変貌して刃へ到達。刃は再び推力と回転力を得て、頭上の台地を掘削し突き破る。

 空の光を奪い、巨大な影を落とす黒い台地。厚みは三十メートル余り。落下に伴う崩壊が一助いちじょとなり、穿孔機せんこうきの刃は突破口をひらおおせた。

 キルシェは空中で跳躍を繰り返し、アスファルトに生まれた空隙くうげきへ滑り込む。暗闇を突き抜けて蒼空そうくうに躍り出る。ドレスと白髪が、粒子を散らして風に泳いだ。

 ――流動する粒子たちから斥力せきりょくを受け、滞空たいくうを維持。八本の刃が、矛先を地上へ照準した。


 「メアリ。貴姉の宣戦、受諾じゅだくする」


 轟音を奏でながら崩落する瓦礫の街を足元に、こちらも攻撃準備へと移行する。

 白皙はくせきの、一見してか弱き両手が、肘へ掛けて純白の光に染まる。これは、粒子の蒸着じょうちゃくと圧縮を表皮にて繰り返した、薄膜の鎧。衝撃波対策であり、脚部にもまとっている。

 爪と一体化した十粒の宝石が鋭く煌めく。空間くうかん乖離かいりを、それも一纏まりを破壊できるかなめを手に、受けて立つ。

 砂の楼閣が如く崩れ去る都市と、舞い上がる粉塵。白く発光する真眼を以てその闇にメアリの姿を探した。

 何処に潜み、こちらをどのように監視しているのだ。右か、左か。

 八本の刃を従え、塵芥から塵芥へと視線を移す。奴の先手、その前兆を、察知した。

 天でも地上でもない。奴は内部から食い破る。おのが体内、ひだり関節部かんせつぶかすかな光の湾曲わんきょくを視認して息を飲む。緊張感が時間停止の錯覚さっかくもたらす。長い長い一瞬の中に在って、それでもわた秋水しゅうすいの思考で、顔色一つ変えぬままに対応する。

 前方の粒子に斥力せきりょく発生、後方の粒子は直後に付随ふずいして斥力せきりょく発生。刹那の遅れも生じぬ神速の後退と急停止を見せる。

 間一髪。自分の体が在った場所に、衝撃波が爆ぜた。空気の振動が風を掻き消して、耳朶じだに触れ及ぶ。

 回避の瞬間、水中を遊泳するように、時間をゆっくりと感じた。長髪のなびきが粘性ねんせいを帯び、身に受ける風の感触を気体でも液体でもなくシルクの布地みたいに触覚が受容じゅようした。

 空間の置換は『メアリの放った砂金』と『彼女の指定した位置』の二点に発生する。真眼を所有していなければ体内の異変を察知できず、あまつさえ認識能力に優れていなければ対応など許してはくれぬ。だが、視覚情報は云わば光の取得。思考は電気信号。これに勝る速さの攻撃など存在しない。

 引き伸ばして感じる刹那に於いて、しかしその鈍化は比にならぬ須臾しゅゆによって切り裂かれた。認識、できなかった。

 時は空間くうかん乖離かいり直後、ほぼ同時。キルシェが粒子を残した十メートルの後退軌道を、地上より撃ち込まれた一閃の光が仰角ぎょうかく四十二度よんじゅうにどで貫いていた。

 『それ』は頭上を通過する。瞳孔が開く。口元から息を漏らす。


 「――ッ。この破壊力」


 熱と振動、押し退けられる空気。衝撃波と真空状態が無秩序むちつじょに撒き散らされ、我が身に浴びしは風圧か破片か。ドレスと表皮へかまいたちを刻み鮮血に染め上げる。

 頬を伝う血が口角から流れ込む。また、鉄の味だ。

 光の発生地点を見下ろしたが、あまりにも不毛な行為だった。メアリは別の場所に移動したか、或いは元からそこに居なかったとも考えられる。


 しかし、あの一撃は…。


 光線と見紛みまがったそれは、確かな実体を有する質量の塊。生易しい火砲の類いではない。まるで電磁でんじ飛翔ひしょう加速かそく装置そうち・レールガンの一射だ。だが違う。もっと古典的な、別の何か。奴は、メアリは一体何を空間くうかん乖離かいりで手繰り寄せたというのか。

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