最高戦力・空中ニテ衝突ス 壱

 四月二十二日、午前七時半、首都連しゅとれんじゃく近郊きんこう


 キルシェは都心の一キロ手前で、地下トンネルを出た。現在は甲斐国市かいこくしより直通の甲州こうしゅう街道かいどうを歩き、その終着点であるれんじゃくえきへ向かっているところだ。


 八本の刃は手元にない。あれは月城に頼み、目的地である連雀駅地下へそのまま運ばせた。刃の内部には血液が充填されており、それが揮発し消滅するまでの五時間は粒子の斥力せきりょくによって操縦が可能となる。


 貸し切りとなった六車線の幹線道路。沿線に列を成す高層ビルの隙間を、港から迷い込んだ潮風が吹き抜ける。

 メアリはどこかからこちらを監視していると考えて相違ない。だとすれば、心臓を吹き飛ばした時のように何かを仕組んでいる筈だ。


 北へ向かう。長髪をなびかせながら、歩道橋の影を潜る。黒いアスファルトを、一歩々々ブーツが踏み締める。


 電柱も電線も、羽を休める鳥の姿さえ消えた無人の過密都市。ここは地方に先駆けて、電線類が地中化されているのだ。恐慌現象時に最も混雑した大都市でありながら、一台の車両さえ放置されていないのは、さすがは近代国家の首都と称賛すべきか。


 右折。コツりときびすを返し、遠心力にドレスを躍らせる。


 メアリの指定場所だ。

 連雀駅の表玄関は、都市の中心に在りながら戦前よりその外観を変えていない。鉄骨と赤煉瓦を組んで建設された全長三百二十メートルの駅舎が迎えた。


 駅舎は、東の空を背景に、巨大な影を落としている。中央の時計塔、その頂上たるアーチに腰掛けていたメアリが口角を上げ、ひたすらに愛嬌を湛えた笑みを浮かばせる。


 ――ケープがはためく。


 メアリの手足、脇腹、腰周りには黄金の砂がまといついていた。細かな空間の湾曲わんきょく、衝撃波を生んでは消えてゆく。


 「時間通りね。ようこそ、私の庭園へ」


 メアリが宣言し、頂上から飛び降りる。その降下は水底へ沈むような早さで、ゆっくりと。百六十七センチの肢体が、周囲の衝撃波に支えられ、石張りの地へ降り立つ。

 血液が変貌した砂金。あれが空間を置き換えて消える瞬間、副次的効果として透明な衝撃波を生み出している。彼女の体に損壊をもたらすことなく、推力のみを与えている。それは、異能に因る特殊な圧の織り成す御業だった。

 五メートルの尻尾がうごめく。十二個の赤いついこつと、白いついこつしなる度に歯噛はがみするような音がカチカチと聞こえる。

 ついこつ後部こうぶ隆起りゅうきを『きょく突起とっき』という。左右の隆起は肋骨に相当する部位で『肋骨ろっこつ突起とっき』と呼ばれる。音はこれらの接触に因るものだ。

 メアリは鋭い先端を手元に引き寄せて撫でまわした。


 「メアリ、か私のどちらかが死ぬ前に、訊ねておきたい」


 「誰も死なないわ。貴女あなたは私の一部として生き続けるの。この子たちみたいにね」


 別の生き物のように遊ぶ骨の尾に、語りかけた。


 あまり考えたくはないが、これの正体は…。


 「同族を移植して、自分の物にしたか」


 「正解♪察しがいいわね。十二人分、血を生んでくれる優れものよ。だけど、貴女達、特にローゼは能力も残しておきたいわねぇ。だって、熱を生む永久機関ですもの」


 こいつは自分の部下を弔いもせずに金城市を去った文字通り人でなしだが、恐らくそれは死生観や価値観の差異が生じる齟齬そごでしかない。

 ローゼ・夏蓮を想う。いずれ死が姉妹を別つとも、手を取り歩んだ事実は消えぬ。何度生まれ変わろうと我が命そのものが痕跡なのだと、そういう考え方もある。こちらとて己が胸に訊けば死を軽んじているとも取れるし、かといって情を捨てた訳でもない。


 ――だが、看過はできぬ。無論、ローゼも渡さない。


 「それは叶わないよ。我々はに従う理由を持たないし、たとえ理由があったとしても応じない。今日は、一つの戦争を終わらせに参じた。ただ、それだけだ」


 メアリは顎に尻尾を触れて一計を案じる。


 「恐慌現象を引き起こしたのは、私なの。二度と大勢が苦しまなくていい、死ななくていい世界が作れるとしたら、貴女はどうする?」


 大勢を苦しめた張本人であると宣言しながら居直っている。キルシェは、メアリ・ローゼンベルグの思考回路の行き着く先を理解できた。


 「…元より生まれ落ちなければ、死も苦痛も免れる。貴姉の、考えそうなことだ」


 それが可能で、遠い過去のどこかでそのような決断を下していたとすれば、ローゼとの今も、夏蓮の成長を手助けすることも、別れによって涙を流せるほどに大切な想いも知り得ない。

 だがメアリとて、キルシェとは対極的な、しかし深い情と価値観を抱く。厭世えんせいかんに毎夜うなされるエルネストの、たった一人の理解者として、彼女の死は苦しい記憶からの解放であると確信してやまない。その、欲するところを告げた。


 「半分くらい正解。私の悲願の一つは、魂の凍結、もしくは消滅。それによる救済。これを実現できれば、二度と恐慌現象は起こらない。どう?魅力的な提案でしょう?」


 「恐慌現象発生を代償にして、永遠を手に入れ、長い時間を利用して研究するつもりか」


 メアリはベンチに腰を掛け、空を仰いだ。


 「人間の文明が滅ぶと、私たちが生まれる。私たちが滅ぶと、人間の文明が生まれる。じゃあ、人間の文明の中に、例外的に力を取り戻す者が居たら?」


 それが、メアリの正体だった。人間の文明が滅ぶ前に力を取り戻し、世界の支配権を強制的に奪取した、と。ならば、どのようにして答えに辿り着いたのか。メアリ曰く、我々は特殊な環境に輪廻する。それだけを頼りにここへ至ったというのか。

 メアリはこう付け加えた。


 「ローゼンベルグ家の家業は研究。その内容は、過去世の記憶。私は偶発的に血液の扱い方を想起し、それがことわりに抵触してしまった…。私に罪が無いと、理解して頂けたかしら?」


 軽い声色。黄金色の鋭い目は無表情で、彼女の上面に対してあまりにも不相応な輝きを宿していた。


 「ならばメアリ。始まりである貴姉を殺めれば、何か変わるか」


 「短絡的ね。発端を処理しても波及した現象は収まらないものよ?。貴女もローゼも、他の少女たちも、世界のリソースを圧迫している。文明の転換は、止まらない」

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