最高戦力・衝突前夜 弐

 四月十七日、ラジオ局より首都・れんじゃく陥落の報道が行われた。写真を掲載した号外新聞が国中で街頭配布され、恐慌現象の再来などと取り沙汰された。


 行政機関、警察署、軍事施設、研究所などが次々に倒壊。国は政府中枢機能を代替拠点へ移し、僅かな生存者は地下鉄トンネルを介して避難した。




 書斎のキルシェは、路線図に目を落としていた。


 代替拠点の地名は公にされていない。れんじゃくから十分な距離を隔てていて、尚且つ地下鉄直通の都市を洗い出す。


 連雀より百キロ西、山を隔てる甲斐国市かいこくし。ここだと思う。十中八九、ここだ。


 挙母ころもから甲斐国市かいこくしまでの距離は、旧地図の最短ルートで二百四十キロ。甲斐国市を経由し、連雀に至ることにする。


 さて、移動手段だが。現在、電気鉄道車両は機能していない。鉄道レール走行用に改良されたディーゼル燃料車が置き換わり、一部地域で稼働するのみとなっている。甲斐国市にたいはく中のこれを利用できれば御の字だ。


 自室へ戻り、鏡台の前で髪をかす。三面鏡に映る見慣れた顔には、心身の疲労が反映されていない。回復し尽くした体に、落ち着いた表情。しかし、心の底には翳りがある。


 ――メアリを撃破しなければ国家さえ危うく、ローゼや夏蓮の身も例外ではない。この戦い、負ける訳にはいかないのだ。


 手にしたティアラから十個の宝石を取り外し、再び頭部へ飾るは白金の土台のみ。


 宝石は、血液と粒子を斥力せきりょくによって高圧縮し生成した結晶だった。


 メアリ・ローゼンベルグの放つ黄金の砂は、空間の置換を行うまで光子のような存在だった。だから心臓に撃ち込まれても気付けなかった。頭部を狙われた時も同じだったが、このティアラだけは例外的に吹き飛ばされた。つまり物理的に干渉できるということになる。


 ここからはキルシェの立てた仮説に過ぎない。


 メアリの能力は、彼女が観測し理解した物質に対してしか作用しないのではないか。そしてこの宝石は、彼女の常識を覆す構造であり、矛盾を生じて干渉した。


 例えばパウリの排他原理を無視しているだとか、幾らかの原子核が同じ空間に重なって存在してしまったとか。宝石の比重は金剛石の三・五倍と、決してこの世に存在し得ないようなものではないが、内包物の一部に科学的不条理を孕んでいるのかもしれない。


 少なくとも今のところ、この宝石は彼女の強力な異能を壊す唯一の可能性だ。




 両手の爪の間に一つずつ刺し込んでゆく。耐えられぬような痛みは無い。流れ出る血液がすぐに傷を修復し、爪と宝石を一体化した。


 ――洋館を後にし、白い列柱廊を渡る。


 日頃手入れしている中庭だが、中心の噴水と水路は放置したままだ。

 昔はローゼと水遊びをしたものだが、今や枯れ果てて苔すらも生えやしない。偶には水を張って、足をつけるのも悪くない。


 ――もう一つ。夏蓮が暮らせるよう、洋館二階の一室を整えておいた。


 自分が生還しようがしまいが、この部屋は今後も彼女のものとして扱うつもりだ。

 一階の浴室にはローゼが眠っているので、夏蓮には二階の浴室を使うよう伝えておかなければならない。ついでに鍵も渡しておく必要がある。


 ――武器を求めて図書館へ。


 花の彫刻に彩られた正面玄関を過ぎ、左手の地下階段を下りる。


 小部屋を幾つか通過して行き着く、中核の大広間。そこは巨大な吹き抜け構造で、四方を通路が囲う形をしている。


 木製の柵からは、十六階層も下の床がぼんやりと見下ろせた。


 この巨大な空間、書庫は、通路壁面にとどまらない。小部屋と回廊、数々の抜け道と上下階への昇降階段が存在する。


 柱や壁に備え付けられた橙色の蛍光灯たち。その、ぼんやりとした光を横切りながら、最下層への階段を降りる。

 キルシェは無音の空間に巨大な影を作り、孤独な足音をコツコツと響き渡らせた。




 吹き抜けから十六階層、地上からは十九階層目となる地点。キルシェが武器を格納している地下室は、床下の地下階段より立ち入れる。


 物々しい両開きの扉を開く。この入口は、巨大な武器の収容を目的として設計されていた。


 ――内部、大理石の大広間。


 キルシェの髪を象徴する薄桃色の、白く明るい光が天井より降りる。


 正面突当りの壁に、八本の刃が埋め込まれていた。


 キルシェと比して二倍は在ろうか。柄を含めて全長約四メートル・横幅八十センチ・厚さ十二センチ。


 刃は、三角形の鋭い形状で、しかし矛先は若干の丸みを帯びていた。

 つばけんのようなものはなく、代わりに諸刃の根元が突き出して、掴む手を保護する形となる。


 刀身の内部には脈状の空洞があり、柄の穴から液体を流し込んで満たし、金属の蓋と目釘で密封する構造となっている。


 流し込む液体は無論、キルシェの血液である。


 暗所にて冷え切った刃を、壁から一枚ずつ引き剥がす。巨人の棺を想像させる黒い箱にこれらを収め、地上へ戻った。



 

 ――最後に、野暮用を済ませる。

 甲斐国市の政府機関へ連絡するため、町役場へ。移動には、乗り捨てていた車両を利用した。


 やはり、政府中枢機能の代替拠点はここで間違いなかった。


 リミステネス家が利用していた諜報機関直通の電話番号は全滅していたので、担当者数名の名前を伝え、その一人に代わらせた。


 連雀の被害はさも災害のように報じられていたが、こちらはメアリに因るものであると承知している。この事実に加え、保有する直通電話の番号を全て伝えた。


 無論メアリの姿は確認されており、逼迫ひっぱくした彼らはこちらの要求を一先ず承諾した。


 ――メアリ撃破による連雀の解放。その条件。


 まず、こちらの状況を詮索せぬ事。次に、援助の再開。それから、連雀への速やかな輸送。最後に、自分が戻らなかった場合、それが如何なる結果であろうとも、二人の少女の生活と安全を保障する事。二人とはローゼと夏蓮を指す。夏蓮の名前は知られていないので伏せたままにし、近衛から確認を取らせる形とした。



      ❀



 四月二十日、午前九時。

 図書館から、七十三式大型トラックが出発した。


 政府が代替だいたい拠点きょてんを設置した甲斐国市かいこくしまでは二百四十キロ。ここで一泊し、地下鉄トンネルのディーゼル燃料車へ乗り換え、更に丁度百キロ先の連雀へ向かう。


 輸送車両を選択したのは、後部荷台に五メートルの黒箱を積載する為である。


 黒箱の中身は八本の刃であるが、寡黙かもくそうな運転手はその内容について一言も触れなかった。

 ただ事務的に仕事をこなしているだけという雰囲気である。


 これから敵地へおもむくキルシェとしても、政府関係者との無駄口は望むところではない。助手席で腕を組み、目を瞑り、走行の揺れに身を委ねながら沈黙していた。


 キルシェは途中で、車両から離脱する予定である。

 運転手はそのまま連雀駅へと黒箱を輸送する。車両ごと地下に放棄し、積載した二輪車にて甲斐国市かいこくしへ帰還する手筈だ。


 図書館を出て、八十キロくらい走ったか。移り変わる車窓の景色は雑木ばかりだが、酔余すいよの目に流し見て退屈を凌いでいた。


 「金城市では世話になったな。あんたらが居なかったら、全滅していたよ」


 運転手が、藪から棒に不可解なことを言う。探りでも入れるつもりなのか、政府関係者として単に礼を言ったのか、キルシェは図りかねた。


 「何の話だ」


 「月城。最初に名乗ったが、二班の面子めんつは知らなかったか」


 近衛から名簿表を受け取ったが、職業と役割にしか気を留めていなかった。元軍人が二名ほど居て、その一人の苗字に『月』の文字が含まれていたことは記憶している。


 「陸軍出身の男か。人手不足の政府から、声が掛かったな」


 「その通り。そこそこ成績が良くて、規則に忠実で、まだ死んでない奴に白羽の矢が立ったってわけだ」


 「それだけでは、ここには来れないな。政府に何を話した」


 「鋭いね」


 「そうでもないよ」


 「後輩の鷹田って男から聞いた話をちょっとな」


 近衛班とローゼは行動を共にした。ローゼの特徴や金城市の惨状を、知り得る限り語ったか。


 「詮索も口外も、控えられよ」


 「分かった。今回だけは許してくれるか?」


 「構わん」


 「一つだけ聞きたいんだ。あんたは、何のために連雀へ行く」


 車両がトンネルに入る。

 幾つか理由は持ち合わせているが、口を衝いて出た答えは。


 「妹たちの為だ」


 ふと、月城が初めて笑う。


 「なんだ、俺と同じか。俺も、家族の為だ」


 金城市調査で一人も死者が出なかったのは幸いである。もし一人が死ぬような状況に陥ったとすれば、多くの場合、全滅を意味してしまうのだ。


 戦ったローゼの功績だ。少しだけ表情が緩む。


 「そうか」


 素っ気なく答え、再び眠りについた。



      ❀



 冷蔵庫には、近衛農園産のメロンや苺を持ち込んでいる。夏蓮はこれらを朝食にしようか悩んだ末、結局は手を付けなかった。


 食欲が湧くまで、洋館の掃除をすることにした。


 ハタキで埃を飛ばし、床を箒で掃く。雑巾で家具や窓を拭き、食器や本を定位置へ戻す。真鍮しんちゅう如雨露じょうろで観葉植物に水をやり、広間の椅子に腰を下ろした。


 まだ、食べる気になれない。


 食事用の丸テーブルに突っ伏して、両手を猫のように伸ばす。「…はぁぁ――」と、大きな溜息を吐いた。


 西の調理室、その隣の通路を行けばローゼの眠る浴室となる。

 通路からは物音一つ聞こえない。どうして浴室に眠るのか。どんなに深い眠りに落ちているのか。夏蓮には想像もつかなかった。


 一休みして、再び掃除を始める。食事の献立を考えながら、淡々と家事をこなす。一通りを終えて満足した時の程は、朝の八時手前だった。


 やることが無くなってしまった。図書館の掃除でもすれば良いのだろうが、あれは広くて手の届かない所も多い。


 ――夏蓮は諦めて、キルシェに与えられた自室へ戻る。


 紅茶を啜りながら読書に興じ、時間を潰した。

 本日は雨だ。

 洋館の屋根を、中庭の水溜まりを、木々の葉を水滴が叩く。


 やはり食欲が湧かない。頭の中は、今ごろ連雀へ到着しているであろうキルシェの事でいっぱいだった。


 少女はキルシェの帰りを信じて、けれども白い花の散華は目睫もくしょうに在るのだと知りながら、諦観の微笑の返り咲く姿を待ち焦がれるのだ。


 連雀での戦いは熾烈を極めるのだろう。

 向こうの天気は晴れらしい。


 目を落とす小説の文字列から、その内容が頭に入ってこない。枝折しおりを挟み、本を閉じる。机に置かれたスズラン型のランプを消して、右手の窓へ視線をやった。


 中庭は広くて、薄暗くて、色褪せている。紅茶、アールグレイをきっして、その風味さえ景色と同じく灰色に霞む。


 雨雲の全てが水となり、地上へ落ちた時、キルシェの闘いは終幕を迎えているのだろうか。


 降雨を砂時計と重ねて、時の砂が尽きる未来を、必ず訪れる晴天を思い浮かべた。そこにキルシェの姿が在ろうと無かろうと、しらせは容赦なく突き付けられる。


 ――もう、いっそ寝てしまおうか。

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