金城市・主力決戦――籠城ノ金盞花 弐

 メアリの現れた通路へ入ると、壁には抉るような傷が刻まれていた。大剣で斬り付けたようなそれは曲折の度に記され、貯水槽に至るまで迷わずに済んだ。


 無謬むびゅうの真実を知るようなあの口ぶり。空間に干渉する得体の知れない能力と、差異的には無尽蔵ともいえる血液。せめて彼女が能力を晒すまで、真打のキルシェを戦わせたくはない。


 望み悩んだ姉の助力を、今は心から拒んでいる。キルシェがここへ辿り着く前に、願わくばエルネストを無力化したい。役目を果たし、状況の悪化を食い止めてみせる。


 ――扉を開く。


 ここが敵の本拠地なのだと、すぐに理解した。


 両脇に配された巨大な列柱を後にしながら、宮殿のレッドカーペットを歩く。壁に額装された絵画は風景画ばかりだ。人間が嫌いらしい。


 甲冑や刀剣などの美術品と書架しょかが並び、突当りの王座には宮殿の主が座する。灰色の長髪をもつ小さな少女が、ちょこんと座っていた。


 素足に寝間着のワンピース。髪の一部を黄色いリボンで結わえ、左側にサイドテールを作っている。


 これが、エルネスト?夏蓮よりも小さいのだが。メアリのように骨の尾も生えていないし、扱える血液量はそう多くないように見える。兵士を製造したのは非力を補うための措置か。


 「君が、エルネストか」


 紫色の目は据わっており、メアリのようには表情を変えない。


 「えぇ。そうよ。貴女は?」

 

 「ローゼ。街の兵士は、君が殺した人間か」

 

 「うん。血をあげたら、人形になるの。ローゼも飲んでよ」


 エルネストの左目から血涙が滔々とうとうと流れる。傍らの台から取ったグラスへ注ぐ。瞼を伏せる顔立ちは陶磁のように無機質で、恐ろしく整っていた。天井からの照明が長い睫毛まつげに遮られて、紫の瞳からは照り返しの光が失せている。


 メアリはエルネストについて、孤児院出身と話していた。この少女も複雑な環境で、人間の汚さに触れて狂ったか。


 「はい、どうぞ受け取って」


 グラスを差し出して、声色だけで微笑する。


 断言はできない。しかし、同じ肉体と環境に育てば誰でもエルネストのように成り得るのではないか。自分とて差別を受けて他者を憎悪した口だ。しかし。


 「これは受け取れない」


 「どうして?」


 「君の人形にはなれないから。エルネスト、君もメアリの人形になってはならない」


 「そう、メアリに会ったの」


 「この際、金城市の犠牲者については捨て置く。メアリの傍に居てはだめだ。彼女が何者か知っているのか」


 エルネストは血に満たされたグラスを台へ戻す。


 「メアリは私を救ってくれる。二度と生まれなくていいように、魂を壊す方法を、見つけてくれる」


 ――本当の意味での殺害。苦痛からの、解放。


 「…それが、メアリの望み。メアリは、君や私の同族を殺して、自分の体に移植している。あの骨の尾には命が宿っている。君だっていずれは――」


 ドン、と、エルネストが王座の肘掛に拳を振り下ろした。


 「うるさい!それでいいもん。私、メアリの一部になりたい!‥‥だけど、他にも一部になった人が居るのよね。そういうのは許せない!」


 この執着心。説得できるとすればメアリのみか。


 「なら、もし、例えば。これは私の想像でしかない。事実ではないけれど。その行為に激痛が伴うとすれば、それでも喜んで受け入れるのか!?」


 拷問に耐えられる人間はいない。我々は痛みに鈍いが、人間だった頃のそれは記憶にある。


 だが、エルネストは完全に発狂していた。


 「そう、そうね。そうよ。私、良い考えだと思う。痛みを感じるたびにメアリを思い出せるなんて、一番の痛みが大好きなメアリから貰ったものだなんて、素敵だと思う」


 紫の双眸を煌めかせて、外見年齢に相応しい最高の笑顔を見せる。エルネストの明白な最初の笑みがこれだった。


 自分には、この少女を救えない。闘争の意思を固める。次に戦う、キルシェの為に。


 「すまない」


 「ううん、あやまるのは私の方。メアリから、貴女を骨抜きにするよう言いつけられてるの。だから、背骨だけ残して、死んで」


 突然、グラスが割れる。赤かった血が紫へと色を変え、粒子となって蒸発していた。


 ローゼは足底に備えていた血液を爆発させ、後転しながら飛び退すさる。着地時、後方への滑走を伴ってレッドカーペットの表面に傷を残した。


 ひざまずいた姿勢。視線を上げるローゼの頬は、グラスの破片に切られていた。裂傷が溶け合って治癒し、微細な血の粒だけが、ぽつぽつと朝露のように留まっている。


 眼前、エルネストの全身に出血が始まる。ワンピースの白地に浮き上がる赤い染みは、まるで彼岸花の開花だ。生地の大部分を鮮血が浸食し、足元には血溜まりが。


 エルネストの血液が蒸発し、素粒子となり、その身へ、原子の内部にまで浸透する。陽子と中性子へ結び付き、粒子の浮力と原子核の重力とが打ち消し合う。体が、紙のように軽くなる。


 本来電荷を持たぬ中性子が、紫電に対してのみ電荷を持ち、その負の電子を貯蔵する。


 ――エルネストの体に粒子が浸透する姿は、まるでキルシェの色違いだ。エルネスト自身に、何らかの作用をもたらしている。


 これは、かなりまずい。先制攻撃を仕掛け、速やかに能力を見極めねばならない。


 右、壁際に西洋剣を持った甲冑が直立している。ローゼは立ち上がりざまに左半身へ、推進の炎を噴霧ふんむする。矮躯わいくが駒のように舞踏して甲冑へ。剣を奪い跳躍回転し、爆炎の足底で壁を踏み蹴る。衝撃に揺れた白壁から一斉に絵画が落ち、額の表面ガラスが破砕はさいした。


 ローゼは壁からの爆発的な跳躍・慣性に身を任せ、砲弾の圧を帯びてエルネストへ飛び込む。胴体目掛けて水平すいへい一閃いっせん、横ざまの斬撃を残してすれ違う。


 ――引き伸ばされる時間、交わす視線。舞い踊る髪の一本々々、そのさざなみを認識しながら、ローゼはエルネストの双眸に宿りゆく紫の光を見る。矮小な体が紫電を帯びて、きらきらとかがよう。


 白刃は矮躯を捉え、抵抗なく胴へ食い込む。確かに、食い込んだのだ。しかし。


 「これは!!」


 手応えがない。エルネストを斬り付ける瞬間、彼女の腹部はまるで空っぽの空間だった。


 慣性のままに壁へ激突する。右掌底の爆発にて、その衝撃を打ち消す。


 前腕から上腕へ、強烈な負荷が伝った。


 とうこつに亀裂が走るのを感じながらも残された左手につぶてを拾い上げ、血液を炸薬に徒手式射撃で弾き出す。礫の破片はエルネストの背中に吸い込まれるも、無抵抗に通過。向こうの列柱に着弾して塵芥じんかいとなった。


 ――対策を練る。


 最初、エルネストは湯水の如く流血した。彼我の体格差を加味せずとも、あれは間違いなく消費過多だ。一度退避して時を稼ぎ、異能発動中の血液を徒消としょうさせるべきか。


 つぶての着弾地点より向こう、南東の角には地上への階段が設けられている。退路を探すこちらの意図を知ってか知らずか、エルネストは口を開いた。


 「言っておくね。逃げても意味ないよ。これ、長時間もつから」


 血の消費が多量であるにせよ、持続時間さえ長ければ分泌が上回り枯渇しない。寝間着一枚と薄着なのは、服に割く血液量を減ずるのが狙いか。


 彼女が虚言を吐いていないとすれば、接近と離脱を重ねて体力を削るのは難しい。それは地上へ逃れたとて同じこと。だが、この密室内で放電能力を相手取り続けるにも限界がある。


 ――エルネストの全身が針のように鋭い紫電を帯びる。発光する彼女の体がふわりと浮いた。


 ――エルネストは白い袖を薙ぐ。


 空を撫でる五指より順次に雷が放たれ、扇型に展開された。稲光に満ちる宮殿、壁へ落ちる列柱の影。幾重にも曲折する紫電に遅れて轟音が密室を支配する。


 一瞬で空間を走る電撃に、先んじて床を転がるローゼ。手刀を見切り、その挙動に応じて回避行動に移ったおかげでやり過ごせた。しかし紫電は床と壁面を虫のように走り回る。黒兜の時は直撃を貰ったが、此度こたびは跳躍して空中へ逃れていた。


 ローゼは足底の爆炎で空気を蹴る。燃焼する血液の炎を羽と化して全身に纏い、その推力を制御する。背後のエルネストよりあめあられと放たれる紫電を不規則な旋回軌道でかわしながら、宮殿の中心へと翔る。奴の視線へ眩い火炎を断続的に放射して、電撃の照準を狂わせながら。それでも黒い礼服に微弱な電気を幾つも貰った。

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