金城市・主力決戦――籠城ノ金盞花 壱

 鎧兜を撃破したローゼは水底にて傷を癒し、そのまま川下へ下った。排水路の入り口にて、久しく地上の土を踏みしめる。


 ――排水路は、金城背後の巨大な貯水槽へと繋がっている。まずは貯水槽を目指し、そこが本拠地でなければ、次は金城へ乗り込む。


 髪と礼服に浸み込んだ水が足元へ流れ落ちる。


 自身の一部でないものは砂塵であれ水滴であれ、繊維と表皮に長くは付着しない。能力と呼ぶにはくだらないものかもしれないが、瞬く間に体が軽くなり、体温低下も防止できるところ、やはり戦うべくして具えられた機能なのだろう。

 ――尤も、これほど長時間潜水していては用を成さないが。


 水中から出たばかりで歩行が覚束ない。襟に引っかかった藻のような植物を払い除ける。


 晴れていた空は曇天となり、太陽を包み隠している。眼前に現れた排水路の口が、重油のような底知れぬ暗闇を呈していた。


 「ここを、行くのか」


 蜘蛛の巣だらけだし、見るからに不衛生で薄気味悪い。大変に情けないが、誰かに話を聞いてもらいたい。六年間も無人である分、汚水やゴミはマシなのだろうと前向きに考えてみる。


 ――無理だった。正直なところ、炎上する血液をぶちまけて一掃してしまいたい。

 とはいえ足を止めてもいられない。右手で血液を燃焼させ、前方を照らしながら排水路に踏み入る。


 靴底に粘着質な泥の感触がへばり付いては剥がれ落ちる。深めの水溜まりに嵌ると、血液を出すために空けた靴底の穴から浸水する。長く付着しないとはいえ、決して心地は良くない。行く手を阻む蜘蛛の巣を、灯の炎で焼き払いながら歩いた。


 外の光は全く届かない。左へ曲がり、次に右へ。南京錠の掛けられた鉄柵に行き着く。

 血濡れの手で掴み易々と焼き切る。段差を一つ登り、深部へ。ここからは中心が水路、両脇が足場となっており、左側を進む。


 湿度が高くじめじめとしており、空気は冷たい。存外に悪臭はなく、蜘蛛の巣も見かけなくなった。


 鎧武者との戦闘から暫く時間が経過しており、体力も血液も回復している。辛くもだが勝利は収められたし、士気にも翳りはない。


 それより今は二つ気掛かりだ。


 まず仲間の状況。キルシェ随伴の夏蓮は心配不要として、近衛らは二班を救出できただろうか。死傷者は、損害は。

 次に敵首領。兵士と鎧武者の能力は凡そ理解したが、本体に関しては依然として正体不明のまま。一人なのか複数なのか、はっきりしない。


 しかし、能力の根幹は恐らく電力制御だ。その延長として死体の神経を支配し、無線まで妨害し得た。死体を媒体にしているとはいえ、遠距離広域に亘って力を及ぼしている。本体はどこまで血液を制御できるのか。


 ――敵の首領に会えば解る。


 ただ突き進み、敵の戦力を徹底的に削るだけだ。


 足音が孤独に反響する。松明とした右手の炎を水面が反射し、天井と壁面に波紋が揺らぐ。通路を出ると、急に開けた空間が現れた。


 奥行二十メートルはあるか。幅は歩いてきた通路の四倍くらいだ。左右に三つの子路があり、突き当りが深部への道である。


 ――貯水槽が近いか。何か潜んでいるかもしれない。


 一度立ち止まり、深呼吸して脱力する。ここで死ぬのだと腹を括り、心の準備を万全とする。無論、死ぬつもりではなく覚悟の話だ。


 先刻の戦いで得た、白い太陽という高火力の武器もある。急場で扱える保障はないが、発動の感覚は記憶している。問題はない。


 ――足音。前方、突当りの通路からだ。


 神経を尖らせ、警戒態勢に入る。立ち止まらなければ気付けなかった。


 「あらあら、可愛らしいお客さんね。いきなり食べたりしないから、力を収めて頂けないかしら」


 そいつは、黄金色の光と粒子を帯びて現れた。粒子は砂粒ほどの大きさで、我々のような素粒子、つまり霧状ではない。


 背丈は百六十七センチ。身体的特徴に明らかな異常を呈している。


 その肢体の三倍は在ろう全長の尾を腰から生やし、体の周りに泳がせているのだ。


 尾は、骨で出来ていた。まるで人間の脊椎をそのまま延長したような形状で、筋繊維さえ纏わずに蠢いている。根本の辺りだけ、血の如く深紅の色をしていた。


 彼女は清潔感のある白いドレスシャツを着用し、肩にはケープを羽織る。粒子が辺りを照らしているというのに、それでも真鍮製のカンテラを提げていた。


 髪も、瞳も黄金である。バッサリと水平に切られた前髪は、少し癖毛であるせいか揃い切らない。サイドの柔らかい髪は多少カールして、ふわりと胸に掛かっている。


 流暢りゅうちょうに話す声は透き通って、しとやかで、温もりさえ宿っている。気を抜けば、うっかりその包容力に心を奪われてしまいそうになる。


 しかし『食べる』という表現は引っかかる。我々の常識では現実味を帯びて、怖気を誘う一語足り得るのだ。

 彼女は、もはや元が人間であったかどうかさえ定かではない。金城市の首領か、或いは。


 ここで出くわした以上は敵と考えるのが妥当であると、口火を切る。


 「寝言は死んでからどうぞ。捕食されるくらいなら、全血液を燃焼させて自決する」


 黄金色の怪物は、半開きの唇を指でなぞった。口角を上げ、愛らしい笑みを浮かべて見せた。


 「そういう言葉遣いは感心できないわよ?でも、まぁ、死なれるのは困るわね。そもそも貴女、どうやったら死ぬか解ってるの?」


 窒息も、餓死も、失血死もしない。内臓も脳も真っ赤で、血液が凝固して形作ったに過ぎず、どこをやられても復元が可能であるとキルシェは見解していた。

 どうやったら死ぬのか。死ねるのか。寿命は在るのか。大体、こんなのと会話して大丈夫なのか。直ちに襲っては来ないが、いずれは食うと言っているし。


 不覚にも眉を伏せてしまった。怪物は見かねた様子で、こう持ち掛けた。


 「まず、自己紹介するべきだったわね。私はメアリ。メアリ・ローゼンベルグ。貴女は?名前くらいなら、教えてくれるでしょう?」


 子供をあやすような口調だった。確かに名乗っても問題はない。傀儡との戦闘でこちらの能力は知られているだろうし、少しでも情報を聞き出した方が得か。


 「ローゼ・リミステネス。ここで自害したら、困ってくれるか?」


 メアリは溜息ためいきついでに肩をすくめた。


 「脊椎せきついこつを全て砕かないと駄目よ。全身を燃焼させても骨は一つ残るから、貴女のやり方じゃ、寝言は言えないわね」


 骨の尾がこちらに先端を向けた。指をさすような雰囲気で、敵意とはまた違う。虚言を吐いているとも思えぬ。我々の体の中枢は頭部でも心臓でもなく脊椎であり、これを纏めて破壊すれば死亡するという話も納得はできる。


 「メアリ、君は金城市の首領か」


 「かわいいのに、男みたいな物言いをするのね」


 頬に手を触れて、困った表情をするメアリ。


 鷹揚おうような女である。答えになっていないではないか。


 「事情があって、このように育ってしまった。容赦願う」


 「あらあら、ごめんなさい。大丈夫よ。私たちはみんな、特殊な環境に生まれてしまうから。貴女が殺そうとしている私の教え子だって、孤児院出身だもの」


 首領が教え子?恐慌現象発生から金城市が危険と囁かれるまで、さして長い期間を要さなかったはずだ。メアリは、かねてより人間ではなかったのか…。


 黙考していると、メアリはようやくこちらの質問に触れた。


 「私には切望してやまない目標があるの。力が必要だから、こうしてあなた達を誘い込んだのよ」


 「私が加担するとでも?」


 メアリは、身を背けた。蠢く骨の尾が全貌を露にする。根元の方に集中した紅い骨は、十二個だ。


 「この紅い骨、何だと思う?」


 見返るメアリの横顔が笑う。黄金色の片目がこちらを捉える。人間の脊椎を延長したような尾。思い至って、総毛立つ。


 「捕食、したのか」


 「そんなところね。あなたのような子の脊椎せきついこつを、一つだけ残して砕くの。これを体に取り込んだら、生み出せる血が増えるのよ?」


 一つでも椎骨が無事であれば我々は回復できる。つまり我々の命はここに宿っている。生きたまま、血液の製造装置として利用されているというのか。


 「狂っている」


 メアリの欠如した倫理観と比すれば、姿など怪物と形容するに値しない。


 それだけではない。


 この悪魔が保有する紅い骨は十二個。十二人分の血液を一人で扱えることになる。分泌量に個体差があると見積もっても、今の自分には万に一つの勝算も見出せない。


 身構えて、眼前の怪物を見据える。


 「私を殺しても無駄よ?この子たちは元に戻らないわ」


 それでも、魂は開放してやれる。臨戦態勢で足元の砂利を踏みにじる。


 「教え子とやらに対して、自責の念は」


 「あぁ、エルネストのことね。あの子には話してないから大丈夫よ。そう、あの子の話をしに来たの。ローゼ、私と取引しましょう」


 メアリはくるりと身を躍らせてこちらを向き直り、カンテラを差し出した。


 メアリの粒子とカンテラによって排水路内は明るい。ローゼは攻撃に備え、右手の燃焼を鎮火した。


 「断ると言ったら」


 メアリが怒る。むくれた顔で、ブロンドを乱して一歩。カツン、と、力強く踏み込んで迫り、眼前に人差し指を立てた。

 ケープとスカートがはためき、ドレスシャツの胸元からは香水の香りが届く。


 「話は最後まで聞きなさい」


 泡を食い、息が詰まる。顔が近い。思わず姿勢を崩し、仰向けに倒れそうになった体をメアリは尾で支えてくれた。


 「転んだら礼服が台無しよ。ねぇ、どうして灯を消したの?これ、受け取ってくれる?」


 早口にまくし立てる。差し出すカンテラの光が揺らいだ。骨の尾が体に絡みつき、首元にまで伸びてくる。


 苦し紛れに、体中から点々と流血した。


 「いつでも殺せるのに交渉とは、何だか、人間みたいに諧謔かいぎゃく的だな」


 「わたし、人間はきらい。貴女もでしょう?みんなそうよね?……ねぇローゼ、一人じゃないのでしょう?素敵なお仲間の話を聞きたいの。エルネストの弱点を一つ教えてあげるから、聞かせてよ」


 骨の尾が首に突き付けられる。剣先が食い込み、少しだけ出血している。この血液に発熱命令を下し、付着した骨を焦がす。


 「残念だが、私に友達はいない」


 「嘘ね。いいえ、そうかも。――だけど、託せる人は居るのでしょう?だから死に急げるの」


 言い直してまで肯定しやがった。失礼な奴め。


 「私の目的は、金城市の首領を撃破することだ。交渉などしない」


 見下ろすメアリが、息どころか額がぶつかりそうな距離まで顔を近づける。ブロンドの髪がローゼの頬に触れる。黄金色の目から、表情の色は消えていた。


 じっとこちらを凝視してから、ゆっくりと瞬きして微笑む。メアリは骨の尾を解き、背後へ下がらせる。こちらの手に無理やりカンテラを掴ませて、ようやく解放すると、二、三歩後退。うやうやしく姿勢を正した。


 「エルネストに勝てたら、見逃してあげる。もし負けたら、貴女の椎骨を頂戴ちょうだい。それでは、また。ごきげんよう」


 メアリを包む黄金の粒子が眩く煌めく。振動する空気が僅かに鳴く。黄金色の粒子はメアリと共に蜃気楼しんきろうの如く揺らぎ、収縮する。微かな残滓ざんしと衝撃波を残して、消えた。


 排水路を反響する衝撃音はすぐに止み、一瞬にして沈黙する。


 手元に残されたカンテラだけが、彼女の存在を証明した。

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