焦燥ノ兵士 参

 月城は、白兜との接敵に備えて息を殺していた。


 奴は歩く高圧電流だ。あの電力を利用して防火シャッターを作動させたに違いない。緊急用の蓄電器と設備管理室は鍵を物色した際に確認しているが、設置場所は一階だった。


 奴は壁を這い上がっていたので、一階から侵入したとは考えにくい。各階に設備があるのか、それとも配線さえ生きていればどこからでも通電できるのか。


 暗闇の沈黙は破られる。長い通路の先、非常階段の扉が開かれた。

 白兜が踏み込む。その手を離れた扉が、ゆっくりと閉まる。


 白兜の足元から紫色の電流が走り、濡れた床と壁を這って天井の蛍光灯へ達するが、破壊済みのため点灯しない。


 この暗闇に獲物は潜んでいるのか、或いは既に逃げ去った後か。白兜の挙動は迷っているように見える。




 ――事実、白兜の視覚を通して月城を探すエルネストは思考を巡らせていた。


 天井の蛍光灯が、全て破壊されている。


 防火シャッターと蛍光灯は同時に作動させた。シャッターの閉鎖が始まってから全ての蛍光灯を破壊し、その向こうへ逃げるのは不可能。だから、この通路か客室のどこかに潜伏していると考えるのが自然なのだ。そうだとして、なぜ六階に残ったのか。


 時間に余裕は有った。各階の客室を確認しているこちらの隙を突けば、非常階段を下って下階客室の窓から逃げ出せる可能性は、ゼロじゃなかったはずだ。


 ここで、最悪のパターンが頭を過ぎる。


 ――こちらの電気制御能力が割れていて、だから蛍光灯を破壊した?。既にシャッターの向こうに逃げ遂せた上で、ここに潜んでいると思わせるために。


 無線は繋がらないし、唯一能力の実態を知る赤髪の少女は今尚交戦中で、彼に伝える術も余裕もない。ではもし赤髪にもこちらと似たような能力があって、或いは別の仲間から補助を受けて、侵入した人間へ情報を伝達しているとしたら。だとしたら、外部に情報が漏洩している可能性が出てくる。この要塞を守るのが難しくなる。


 ――メアリの言いつけを守れなかったら、失望されてしまう。また、捨てられる。たった一つの心の拠り所を失ってしまうかもしれない。


 エルネストは疑心暗鬼に陥り、ただの杞憂きゆうから抜け出せなくなっていた。


 事実は。月城は、近衛班に二班の居場所を示した地図を投げ落とした。それで遅れが生じ、残りの時間は小細工に徹しただけの話だ。


 エルネストが受信する視覚情報・傀儡の監視網は新たな敵を警戒し、高台から街全体へ、広く薄く精度を低下させていた。ローゼとの戦闘、能力の分析にも集中しており、ホテル屋上にいる月城の些細な行動にまで監視の手を回していなかった。


 ――もういい。確認だけ行って、もし見つけたら殺す。


 月城は侵入者の中では厄介だし、生け捕りにしようと考えたが、人間一人ごときに固執する価値はない。だけど、だけど赤髪は、あれは絶対に捕まえてやる。多量の血液を流し込み、最高の人形を作る。


 エルネストは焦燥を、狂気に変えた。




 白兜が、客室の扉に手を掛けた。光源を確保しようとしたのだろう。その拍子に、放電がぷつりと途切れる。再び闇が支配する。


 ――この瞬間を待ちわびた。


 月城は暗視スコープから目標の顔面を照準。銃身の先端に装着された消炎器が、発砲に伴う発火炎を抑制する。闇を滑る鋼鉄の弾丸は黒く、磁力の壁なき白兜へ抵抗なく吸い込まれる。鋭く重い質量が、奴の右目を弾けさせた。


 照準器の射撃距離調整は非常階段の扉に合わせていた。横風も吹かない。おまけに目標は立ち止まってくれた。――が。


 「そううまくはいかねえか…」


 完璧な狙いだったが、鬼の面の鼻梁びりょうが僅かに右を向いていた。そのせいで活動停止に至らしめるほどの損傷を脳に与えることは出来なかったらしい。


 白兜は後ずさり、しかし痛みを感じぬ有機制御機械は、今にも砕けそうなひび割れた鬼の面から隻眼せきがんを覗かせて暗闇をめ付ける。


 その視線は照準器越しの月城と結ばれることなく、ただ通路の先を向いたに過ぎない。こちらを視認できてはいなかった。


 ――前方の空間に紫電がただよう。


 白兜が会敵時に生み出した強力な磁場である。通路を照らせるほどの灯ではないものの、暗視スコープにとっては毒になるほど明るい。光電子増倍管が悲鳴を上げているが、この場さえ凌げればそれでいい。度外視する。


 白兜が歩行を始める。銃弾をらす磁場は健在であり、恐らくこれを纏いながら接近して、こちらを認識した瞬間に高圧電流を放射するつもりだ。


 「まずは、一発!」


 手榴弾のピンを抜き、投げつける。まだ距離が遠くて届かない。水浸しの床を転がって破裂するも、白兜は意に介さずゆっくりと進行する。


 次は二個まとめて投擲。一つは手榴弾で、もう一つはスタングレネード。二つは床を回転しながら滑り、何度か壁にぶつかって炸裂した。


 ドン、と、スタングレネードの閃光と轟音、圧が通路を揺るがす。ついでに手榴弾も爆ぜた。


 恐怖も痛覚も克服した『道具』である白兜は、その運用方法が故にこれをもろに受けた。鋭敏に尖らせた視覚と聴覚が凄まじい衝撃と振動を受けてその機能を失う。


 白兜は磁場を鞘へ納めるのも忘れて軽機関銃に手を掛け、一心不乱に弾丸をばら撒いた。


 磁場のトンネルから上下左右へ渦巻いて放たれる弾雨はまさに弾幕と呼ぶべき不規則な軌道を描く。流れ弾の一発が月城の足元を抉った。


 視覚を奪った今こそが絶好の、そして最後の攻撃の機会だ。しかしこちらの弾は奴に届かない。白兜は七メートルまで迫っている。


 ――磁力を受けた小銃がカタカタと震え始める。


 流れ弾がドア枠を穿ち、頭にぱらぱらと木片が落ちた瞬間、月城は客室内への退避を決断。遮光していた布団の垂れ幕を押し退けて、室内へ転がり込んだ。


 白兜の銃撃が止む。歩行が早まり、腰に吊るされた弾薬箱が『ガラン、ガラン』と騒々しくぶつかり合う。水浸しの床に紫電が蠢き、バチバチと鋭く響いた。


 客室から差し込んだ光を認識できるところ、白兜の視力は回復したとみえる。間もなく奴は、客室へ侵入するだろう。


 ――ぎりぎり。間一髪。少しでも退避するのが遅れていたら、間違いなく感電していた。


 月城は身を潜め、乱れた呼吸を無我夢中で抑える。


 大丈夫だ。悪あがきは得意な方だ。帰ったら、加賀と笑い話にでもしてやる。


 逃げ場も無しに、死神を振り切ると腹に決めた。




 白兜は入口に倒れた冷蔵庫を踏み越え、短い通路を抜けて寝室へ出る。左前方、ベッドの下から、月城の八十九式小銃が銃口を覗かせている。

 白兜がそこへ視線を落とし、前方への磁場を増幅する。小銃は磁力によって蹴散らされ、床を滑り、ベッドの下へ吸い込まれた。


 ――瞬間、月城による最後の一撃が白兜の横顔を撫でた。


 発煙弾である。


 発射地点は寝室、東北側の隅。廊下から顔を出した白兜より左側だ。


 月城はメモ帳台の上にしゃがみ、膝を突いていた。


 脚力と体重で背中を壁に押し付け、足には清掃用のゴム手袋を履いているが、それでも紫電を受けて酷く痺れていた。


 首を骨折した白兜が前のめりに倒れ、力尽きた月城もこれを見届けて崩れ落ちる。


 大部分が樹脂製の発煙弾とはいえ、元は人間である白兜の頸椎と頭部に致命的な損害を与えるには十分な威力を発揮してくれた。


 白兜は『防御の磁場』と『攻撃の放電』を同時に発生させたせいで、攻守とも威力の低下を招いた。それどころか小銃による発砲を警戒したばかりに、どちらかといえば防御にリソースを傾けていた。もし攻撃に集中されていたら、月城は反撃できなかっただろう。


 発煙弾の煙が室内に充満してゆく。濡れたハンカチで口を押さえ、浅い呼吸を繰り返す。ベッド下へ追いやられた八十九式小銃を見つめながら、遠のく意識を必死に引き留めていた。


 何を以てして覚悟と呼べるのか解らないが、従軍時代は幾度となく腹を括り、死を見つめたものである。恐れは行動と思考で塗りつぶしてきた。過去に例を見ぬほどに死神へ近づいて、今も尚、妙に冷静なままでいる。それでも、限界が近い。


 ゆっくりと夢うつつの区別がつかなくなり、ついには視界が暗転する。

 気絶した月城は、ほどなくして駆け付けた加賀と東郷により救助された。


 近衛班・二班は、金城市調査と最初の接敵を遂げ、撤退を決断。死者は奇跡的に、ゼロ。

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