白ノ探索、紅ノ会敵 弐

 北側に並ぶ小部屋は全て開放されていた。


 ベッド、花瓶の置かれた机、開いたまま伏せられた読みかけの本。入居者の生活風景が当時のまま残る。掃除中の部屋も在った。乾いた雑巾をバケツに引っ掛け、壁には箒が立てられている。ベッドシーツも枕も無いが、生者の去りし日としては正しい姿で、他が異常なのだ。


 丁度、廊下の中間に地下階段がある。窓の外に誰も居ないか確認し、地下階段側へ移る。


 「夏蓮、なるべく手すりに体重をかけて、爪先から階段を下りよ」


 「りょうかいであります!元帥!」


 得意げに敬礼してみせた。腕が逆。しかも肘が低い。脇の角度は、脱帽時は、国や組織によって違うか。階級が酷いインフレを起こしている。せめて隊長と呼べ。


 「楽しそうでよろしい」


 全ての言葉を飲み込んだ。忍び足で地下へ。


 暗闇を見通せるキルシェが先行する。先に何か潜んでいないとも限らないので、懐中電灯は使わない。血液の粒子を足元に残し、流動させ、後ろに続く夏蓮の視界を確保した。


 一階と同様、個室には生活空間が広がっている。それ以外にも様々な部屋が在った。


 積み木、ボール、ぬいぐるみ、ボードゲームが棚に並ぶ子供部屋。箱庭と呼ばれる卓上の砂場と、綺麗な貝や模型の数々。隣室から様子を窺えるよう、壁の一部にマジックミラーが填め込まれていた。ここはカウンセリングルームである。


 玄関の真下に当たる場所に、ベッドが十も並ぶ大部屋がある。その入口で足を止めた。


 室内から、複数の呼吸音が微かに聞こえたのだ。


 夏蓮の眼前に手の平をかざして『ここで待て』の合図をする。


 最初に覗き込んだ時から、全てのベッドが埋まっていると解っていた。


 まず、一番手前の成人男性を観察する。枕元には小銃と、口を開けた雑嚢が置かれ、見た感じ食料の類いは入っていない。弾薬や弾  倉、刃物と手榴弾が詰め込まれている。

 砂埃に汚れ、脂ぎって傷んだ頭髪と衣服。目を擦る機会が無いのか、睫毛には雪のように埃が付着し、頬が薄黒い。履いたままの靴には穴が開いていた。寝返りすら打たないらしく、他の者も総じて同じ姿勢を取っており、まるで棺の中の遺体を見ている気分だ。


 鼻に手を近づけてみると、呼吸は一分に一度のみ。排出される息はあまりに冷たく、いよいよ動く死人である。休眠状態にあるから、僅かな酸素で済むのだろう。


 彼を含め、全体的に体格の優れた男性が多い印象だった。


 活動のみを維持できる力の根源、その可能性として思い当るのは我々の血液だ。しかし、見た感じだが、敵首領が力をさやに納めたとしてもこれらが元に戻る望みは薄い。兵士にする際、一度生命活動を停止し、それから謂わば有機制御機械へと作り変えているのかもしれない。


 元より得心尽くであれ、改めて母親が死亡していると夏蓮に告げる必要が出てきた。最悪の場合、我々が息の根を止めなければならない。


 これらは予想していた話であり、頭の片隅でもう一つ考え及ぶ。


 先刻サナトリウムを後にした兵士達は、何故に仲間を残したまま移動したのかである。拠点に一定数を温存しているとも考えられるが、眠らせたままなのが引っかかるのだ。もし、同時に操れる人数が限られていると仮定すれば、ここの連中が目を覚ますのは時間の問題となる。


 取り急ぎサナトリウムを出る。


 踵を返すキルシェの足元で、鱗粉のように粒子が散った。



     ❀



 近衛班の車両はローゼを乗せ、地下駐車場へ逃げ込んだ。


 出入口を塞がれぬよう、元国防軍人の鷹田(27歳)が地上の監視に出ている。


 敵戦力に大打撃を与えたローゼは、車内の後部座席に仰臥ぎょうがして、血液の回復を待つ。現状でも戦闘可能であるが、万全を期すために暫く休息を取ることにした。


 近衛の友人である水地(64歳)が、腕組みをして唸る。


 「この嬢ちゃんが、あれだけの敵をねえ。ううん、考えられん。そりゃ初等科の生徒よりは大きいが」


 操縦席の近衛は無線機の電源を入れる。今も電波妨害が続いているか確認したが、やはりノイズしか聞こえない。


 キルシェに口止めされている彼の代わりに、ローゼは答えることにした。


 軍帽を顔に乗せたまま、敬語で話す。


 「詳しくは言えません。でも、十九は超えています。恐慌現象のせいです。大勢が死ぬ代わりに、一部の人間は年を取らない体質になるのです。他言無用。独り言だから、忘れてください」


 「それは約束するけどな、大丈夫か。痛かったり、苦しかったり、怖かったりしないのか」


 「傷つけば、少しは痛みます。未知の敵と相対するのが怖くないと言ったら嘘になります。けど、金城市から病巣を取り除かなければ、いずれは全域が壊滅します。これは、仕方のないこと…」


 水地は一呼吸して、腕組を解いた。


 「僕はその昔、教師をやっていたんだがね。思い出とは人そのものだと思う。記憶と経験、つまり教育が人格を形成する。死んでしまったら、大切な人や場所を思い出す事すらできなくなってしまう。それでも戦うか」


 「私には優れた姉が居ります。姉より弱い自分は、それでも先んじて戦えば、敵はそれだけ手の内を晒してくれる。だから引くつもりはありません。姉の背に隠れて生きたとしても、残る記憶は、私が望むものじゃないから」


 時間とは、情報量という。どれほど長い間生きられるとしても、キルシェと共に在れるとしても、行動と成長、思いを共有しなければそれは虚無だ。


 水地の語る通り、記憶は人を形成している。しかし、人体と情報だけが全てじゃなく、意識というものが重なり存在しているとローゼは信じている。事実は意識にも残ると、そう思わなければあまりにも寂しいではないか。


 「為すべきことは決めているが、まだ感情に乱れがあるな」


 「その通りです」


 「主体性を持つために大切な事を一つ。自分を好きになれ。最初は、形だけでも良い。姉さんから情を受けてきたんなら、その自分を嫌う必要なんてない。簡単には、死ぬなよ」


 職業柄、彼は多くの人間を見てきただろう。それでもこの水地という教師は、過去の他人の例など口にせず、心の底からそう言ってくれた。


 「ありがとう。忘れない、ようにします」


 静かに休息へ戻る。脊柱から血液が分泌され、ローゼの全身に充填されていく。

 水地の達観した言葉には、キルシェと似通った聡明さと強さが垣間見えた。


 キルシェへの依存が強く、主体性を持ちたいと考えていたが、本人に相談するような内容ではない。ましてやその理由が『キルシェを守りたいから』などと、本人の前では恥ずかしくて口が裂けても言えない。


 こんな風に年配の人間に打ち明けるにしても、体質について語る訳にはいかなかった。


 ローゼは、キルシェ以外の人間を知らな過ぎた。これが一つの答えだ。この土壇場で彼のような人間に出会えたことは、幸運だった。


 ――追想の眠りに没し、備える。

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