金城市・攻撃開始 壱

 金城市北部。時刻は朝の六時を回った頃である。


 悪路に於ける走破性を追求した無骨な車両『ハンヴィー』は、大型商業施設の立体駐車場六階に姿を隠している。八輪の装甲車と比すれば心許無いこの四輪車は、ここに置いて行くつもりだ。


 緑色に塗装された鋼鉄の内装、その後部座席に白皙はくせきのキルシェが一人。静かに目を瞑り、腕を組み、その時を待つ。淡い光が、薄桃色を帯びる白髪を微かに照らしている。


 車外の夏蓮は運転席のドアに背を預ける。隣には砲身へ二脚銃架にきゃくじゅうかを備えた八十九式小銃を立て掛け、狙撃時を想定した沈着な呼吸を繰り返す。


 紅蓮のローゼは一つ上の階、見晴らしの良い屋上で、ただ漠然と景色を眺めて過ごしていた。


 肩に掛かる癖毛が靡く。人類の減少した世界の空気は随分と浄化されていた。風が太陽のぬくもりを運び、春の様々な植物が香る。


 六年足らずで土に帰ったりはしないものの、元より管理不足であった建物の劣化には拍車が掛かる。屋上に堆積した塵を土台として苔が生え、地上からは蔦が巻き付いていたりする。街路樹から落ちた枝葉と、路傍の雑草達を撤去する人間は居らず、生々流転を繰り返すのみだ。


 「そろそろ、呼ばれるかな」


 ぽつりと、ローゼはそう独りつ。


 他人など居ようが居まいが孤独だったけれども、ひとえにキルシェという師が傍に在ったから息ができた。もし、世界から人々が消失したようにキルシェも消えてしまったら。そう思うと堪らなく寂しい気持ちになる。


 我儘わがままを言って金城市の調査を急いだのは、キルシェが一人でってしまいそうな、そんな気がしたからだ。何もせずにいたら、一人になってしまうような、そんな…。


 最愛のキルシェを守りたい。この偽りのない感情に駆られながらも、気持ちはキルシェに頼ってしまっている。こうして迫る戦いに泰然と構えられるのも、キルシェが居てくれるからだ。


 ――ならばせめて先を行き、未知の危険に相対する。その役割を、担おう。




 「頼む!緊急事態じゃ!厄介なことになった」


 近衛からの通信が沈黙を破る。キルシェは閉ざしていた眼を開き、傍らの無線機を取る。既に出発している二班の話であろう。


 「こちらはキルシェ。状況は」


 「二班が戻らん。連絡も付かん。出発から四キロ半、国道十三号線の八番通りから駄目になりおった。襲われて無線機ごとやられたと言うより、突然通話が切れた。通信妨害かもしれん」


 恐慌現象で鎮圧する対象は、単に狂った人間となる。通信機能抑止装置は不要で、もし仮に軍や警察組織が保有していたとしても、容易く鹵獲ろかくできるような形で出回ってはいまい。


 考えられるのは、我々と同じく血液や肉体の能力を開花させた者の攻撃である。例としてローゼは大気中の酸素も消費せず血液を燃焼させられる。電波干渉が可能な者が居ても不思議ではない。


 「なるほど。それで、これからそちらはどう動く」


 「北方の、君らより一キロ離れた地点から救出へ向かおうと考えておる」


 「二班は、引き返せないと?」


 「然りじゃ。話から、国道沿いに潜む車両、それも装甲車を警戒しておった。通話中にエンジン音が聞こえんかったし、自車は停止中じゃったろう。小道に隠れた可能性が高い。こういう場合、北から脱出する手筈になっておる」


 敵が複数である以上、装甲車両や武器の保有は察せられたし、生存者の前例がないことからも通信妨害を受ける危険性は胚胎はいたいしていた。それでも二班を五名のみで運用したのは英断といえる。通信妨害が可能であると決定付けた上に、二両しか無い貴重な装甲車の内一両をこちらは温存したまま。


 問題は次の一手である。


 予定では、北より侵入した近衛班が、色付きの設置型時限式発煙弾で移動する方向を示す。タイマーは十五分。回数は二回迄。発砲するのは時計の分針が十二時か六時を指した時のみ。決めておいた色を敵が使用した場合、こちらはもう一度発砲することで間違った指示を訂正する。


 まず車両の放棄は目に見えているし、発煙弾など撃てば、広域の敵に大まかな位置を知らせてしまう。時限式とはいえ、徒歩の人間が隠れながら時間内に移動できる距離など微々たるものであり、そもそも離れすぎてはあまり意味が無い。加えて、今さら装甲車一両を送り込んだところで、さしたる脅威とは成り得ぬ。


 ここは一つ、策を講じたい。


 「近衛、北方からの侵入は中止できないか」

 「なぜじゃ。今ならまだ間に合うやもしれん。早く救出へ――」


 敵は通信を遮断した上で攻撃を加えている。つまりは使役する下僕共にとって、政府組織や武装した人間は無力ではない。なら能力持ちと相対せば、どうなるか。多少は狼狽する筈だ。


 「早合点が過ぎるな。そのまま国道へ入るという話だ。ローゼを伴ってな」


 一拍の間。無線の向こうから息を詰まらせる気配を感じた。


 「まじか」


 「然り。まじである」


 得意げに首を傾げた。悪戯に浮かべた微笑、その頬を、長髪が撫でた。


 「構わんのか」


 無論、一人向かわせるのは望むところではない。しかし、姉妹二人の能力を纏めて晒すのは悪手だ。現段階で行動するのであれば、まずはローゼに戦わせ、自分は後ろ盾として控えるのが正しい。そもそもこの調査を急いだのはローゼなのだから。…だから、行かせるべきなのだ。


 感情の奴隷に、なってはならない。


 今は、ローゼの背中を押すべき時。


 「よい。ローゼをぶつけよ。車両ごとそちらへ送る」


 「いや待ってくれんか。北上した二班の仲間はどうなる」


 「北から入るというのなら、ローゼはやれぬ」


 急場での交渉に近衛が唸る。


 「むぅ。キルシェよ、わしらは単なる駒か。ましてや、実の妹のローゼまで。その――」


 五月蝿うるさいな。私とて、ローゼを行かせたくなどない。


 「最善策が有れば訊こう。人として、とかいう感情論であるなら控えられたい。そもそも私が人間をやめているから、夏蓮を寄越よこしたのではないのか」


 「…やはり、気付いておったか」


 「気付いていなければ、金城市になど連れて行かぬ。なぜ仲間を、孫娘さえ巻き込んだ」


 挙母市から別の居住区へ移るのが容易でないことは理解できる。しかし自身と夏蓮のみとなれば他の選択肢も見出せた筈だ。


 再び沈黙する。近衛は喉を鳴らしてからゆっくりと答えた。


 「君から真実を聞かされた時、これは最後のチャンスであると、そう思った。夏蓮はあの姿のまま、一人で生きねばならないやもしれぬ。同じ体質の君達にしか、託せなかった。キルシェよ、金城市に巣食う誰かがあの子を見つけたら、どうすると思う」


 捕縛か、殺害か。ろくな末路を辿らないだろう。この質問には答えぬ。


 近衛にとって今回の調査は、払える限りの代償であったに違いない。仲間を危険に晒し、人でなしに身をやつし、倒れゆくその瞬間まではと決意したのだ。


 然らば寧ろ、ここで引いてはならない。


 「派手に暴れてもらいたい。私は夏蓮の望みを叶え、それから安全な場所へ送り届ける。二班の安否確認までは、ローゼが守ってくれよう」


 ――敵の視点に立ち、北上する二班の行動を見たとすれば、その先にこちらの仲間が待機しているとの見通しが立つ。また北は住宅街や路地が多く入り組んでおり、車両の走行ルートも読まれやすい。道路の封鎖や待ち伏せが予想される。


 拍子抜けせよ。こちらは徒歩で二名のみだ。


 いかに発見されず歩を進めようか。隣には、優秀な狙撃手が付いている。望遠鏡は不要。裸眼で、広い視界のまま遠くを監視できる、夏蓮が。

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