金城市・調査開始 弐

 ――金城という城が在る。金城市の地名の由来、街の象徴である。

 危険区域はここを中心として広がり、現在、半径十キロ強を手中に収めている。


 城の背後、西側の地下には天井てんじょうだか三十七メートルの巨大な貯水槽が存在し、水路が方々へ広がっている。


 戦時中に築かれた地下壕を拡張して建設されており、無人となった現在は更なる変貌を遂げていた。


 「お客さんが来たのね」


 貯水槽の角に置かれた巨大なベッドは、天蓋てんがいカーテンに彩られている。


 中に一人の少女が仰臥ぎょうがしていた。


 その矮躯はベッドに対して不釣り合いに小さく、しかしマットは酷く歪む。体を構成する物質が、体積に対して三倍の質量を有するからである。




 灰色のしなやかな長髪が、水流の如くシーツに散らばっている。華奢で頼りのない体が、ゆっくりと起き上がる。髪が、少女のもとに収束する。


 少女が意識を向けただけで、枕元の台に置かれたステンドグラスのランプが、送電線も無しに点灯した。


 白いワンピースを着たままの少女は、ふらふらと歩いて貯水槽の最奥、中央の玉座を目指す。如何にして設えたのか、大理石の階段を三段上り、王様の座るような仰々しい赤の肘掛け椅子に腰掛けた。


 背をもたれて、前方を軽く見下ろす。


 百八十メートル先の出口まで、石膏のように白い列柱が並び連なっている。


 壁には絵画が額装され、巨大なレースのカーテンがアーチを描く。壁沿いに並んだテーブルと書架は、重厚な木を削り出して組み上げられたもので、光沢がある。


 足元、素足から伸びるレッドカーペットが貯水槽の中心を走っている。少女が頭上へ意識を投げると、豪勢なシャンデリアがやはり独りでに光った。


 「…エルネスト」


 まどろみの中で、大切な人から与えられた名を呟く。嘗ての名前はいらない。それなのに、今の名を呼んでくれるのは一人だけ。だからこうして時折口にするのだ。


 椅子の背に体を預けたまま、室内装飾を見渡す。中世ヨーロッパの様式を意識したらしいこの宮殿は、彼女が提案したものだ。


 恐慌現象と人間共は呼ぶらしい。あれを引き起こしたのは彼女だ。それが無ければ、自分は今も孤児院に囚われていたに違いない。


 彼女は優しくしてくれた。自由を与えてくれた。色々なことを教えてくれた。


 ――少しずつで良いから、世界を支配する。


 彼女の言いつけは、それ自体がエルネストの願望となった。人間だった頃の名前も、その痕跡もいらない。


 「メアリ、だいすきだよ」


 血液に命令を下す。


 エルネストの血を取り込んだ人間は自身の手足であり、その一部であり、末端である。彼らは既に死亡しており、しかし活動は血液の修復機能によって維持されている。


 ――高知能を有する脊椎動物の支配。


 これがエルネストの能力の一端である。


 与えた血液と電波を介して、彼らの五感情報を必要に応じ受信する。金城市に存在する傀儡は二千七百を数える。


 今のところ、その内の三百の視覚情報を同時認識する能力を有し、精度を下げれば更なる拡張も可能となる。


 ――車両一台。最低五名。侵入者の姿は傀儡を通して目視していた。


 傀儡を操る。


 神経細胞の電気信号を掌握し、命令を下すのだ。


 対象とするは下水管、マンホールの下に潜ませていた伏兵達である。


 傀儡が意のままに動き始め、鉄の蓋を押し上げる。


 もう一つ、やるべきことがある。

 侵入者の車両は停止しており、外部と連絡を取っている可能性が高い。だから、電波妨害を行う。


 傀儡達は一つ一つが小さな、しかし強力な電波塔であり、包囲した目標に対して通信機能抑止装置となる。


 獲物は、きっと武装している。彼らを捕獲しないと決めた。殺害し、死の町の絶対性を保つ。決して逃がさない。



     ❀



 装甲車は現在、四車線の国道を北から南へ。廃工場、ビル、大型トラックといった、右手側の遮蔽物しゃへいぶつに沿って走行中である。これは何者かに発砲された際、片面を安全地帯とする為だ。特に、車外で随伴歩兵をやる際に生命線となる。


 東側、装甲車からして左手側には、高さ二十メートル強の高架高速道路が影を落とす。国道に併設されたこれは三車線と少し、距離にして三十五メートルほど離れている。


 月城は、高架の裏側に設けられた通路や物陰にも神経を尖らせる。


 ――確か、領土を守る時、じゅうしん防御ぼうぎょという方法がある。


 前衛、中衛、後衛のように階層式に兵を配置し、陣地内に入った敵を、背後や側面からも攻撃するというものだ。敢えて敵の侵攻を許すというリスクの高い考えであるが、装甲車一両のみの我々に対しては包囲するだけの簡単な作業となろう。


 上部ハッチの月城が屈み、しかし車外を監視しつつ全員に告げた。


 「一旦停車してくれ。そろそろ小道に入る頃だ。国道側に背中を向けるな。後ろを取られたら、引き返すのが難しい」


 国道を一キロ半南下したところで、車両を脇道へ。後退にて入り、前方が東、つまり車両前面が高架道路を向く形で停車した。


 神田が無線機で近衛班に連絡する。音量調節のダイヤルを捻り、雑音交じりの声が鳴った。


 「あー、あー、こちら神田です。聞こえますか」


 数秒後、近衛が応答した。


 「聞こえるぞ。今どのあたりだ」


 「四キロ半です。予想通り、人っ子一人見当たりません。誰か潜んでいるかもしれないので、この辺りで引き返しましょうか」


 「そうじゃな、それが良いかもしれん。見晴らしはどんな感じだ?他の車両が潜みそうな、怪しげな場所はないかの」


 ここで「すまん、貸してくれ」と、月城が神田に手を差し出して割り込んだ。無線機を渡すよう促している。


 月城は、地図を装甲車の上で広げ、現在地を確かめた。


 「現在地は八番通り入口。八番通りです。周辺のビルに点々とシャッターがあります。地下の車庫へ続くものかと。電気が通っていないので動作はしませんが、装甲車なら突破できます」


 胸騒ぎがする。そこら中のビルや物陰、シャッター全てが疑わしい。調査の為に多少進行するのは承知の上だが、取り決めた場所まで進んでも何も起こらないままだ。


 これは月城が想像していた最悪の事態の一つである。故に、近衛の質問に対する応答を後回しにして、現在地を伝えたのだ。結果、この判断は正しかった。


 周辺のマンホールが一斉に、ガコンと音を立てて外れる。無線機からけたたましいノイズと電子音が鳴り、通信が途絶した。


 月城は無線機を車内に放り捨てて銃座に着く。


 眼前で、地面から人影が這い出ようとしている。二時の方向、その距離僅か二メートル。銃座の射程外。月城はハンドガンを取り出し素早く照準、発砲した。頭部のやや左に命中すると、人影は両手を滑らせて穴に落下した。


 周囲の建物や窓は警戒していたが、この場所は想定しなかった。常に潜んでいるのか、或いは抜け穴でも掘られていたか。


 前方、高架高速道路の裏側、点検用の足場を十二の人影が中腰で走る。見れば、高速道路上に通じる階段から現れている。


 「加賀!近接射撃を頼む」

 「あいよ!地上は任せろ!」


 上部ハッチへ上がり、月城と並ぶ加賀。前方にはマンホールからよろぼい出た敵が、まばらに四名。続いて後方確認。距離五十メートルに一名。


 高架の敵は銃座の月城に任せて、加賀は地上の敵を撃つ。


 まずは前方。小銃を構え、次々と無鉛弾を叩き込む。手元が狂い数発無駄撃ちするも、加賀は感覚を掴んだ。三発ずつ断続的に射撃し、一人目は運よく胸に命中。二人目は手足に当ったが、よろけながらも歩行する。次の射撃で頭部を仕留めた。二人残っているが、彼らはマンホールに飛び込んで身を隠した。


 加賀は取り急ぎ後方を向く。目標三十メートル。小銃の弾倉を交換し、手前から遠くに掛けて連射する。アスファルトの地面を、弾痕と着弾音が走り抜ける。敵は膝関節と腹部に被弾して倒れ伏した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る