小サナ参加者 肆

 鉄扉を破壊して、二人は展望室に入る。夏蓮が嬉々として、設置された双眼鏡を覗いた。


 「確か、狙撃が上手と聞いた。レンズの照準器無しで、つまり鉄の照門と照星のみでも当てられるか」


 「むしろその方が狙いやすいです。スコープのトンネルで周囲が見えないと、草木の動きから横風の量を測れないから」


 「焦点を合わせると周りはぼやける。それでも横風の影響が解るのか」


 「世界がおかしくなってから、見えるようになりました」

 

血液に何らかの機能が備わっているか否かは不明だが、少なくとも普通の人間から逸脱していると確定した。となれば命を狙われる危険性がある。


 「見える、とは。例えば文字を読むとき、視線を動かさなくても、視界にさえ入っていればある程度認識できると、そういう意味か」


 「そうです。集中すれば、拡大して見ることもできます」


 「私は自分の肉体や血液を意識下に置いて、命令を下すことでその機能を発現させている。肉体の操作精度の異常な上昇が我々の特徴であり、夏蓮も似通った状態にある。意識の広がるような感覚に、心当たりがあるな」


 夏蓮の表情にかげりが見えた。一拍の間が空く。答えるか否か迷ったからだろうか。


 「はい。おじいちゃんにその話をしたら、キルシェさんなら色々と分かるかも知れないって。でも、他の人には話しちゃいけないんです」


 やはり、相談相手を求めていたのか。体質の異変を認識しているところ、我々は夏蓮にとって名医のような存在で、降って湧いた希望だったのだろう。


 こうして会わせようと仕向けた近衛は、双方に真実を告げなかった。

 何故か。それは、我々が同族を認識した時、危険を感じて姿を消す可能性があったからだ。実際、彼から事情を聞いたとして、金城市に近い商店街で暮らす同族の少女を、自分は敵と疑ってしまうだろう。


 夏蓮は血液の機能を行使できない上に、体質の変化を近衛に伝えている。敵であれば他言などしない筈だ。しかしながら、現在もそうとは限らない。方針を変えて、力を理解し、金城市に潜む何者かのように爪を研いでいたっておかしくはない。


 必ず我々は警戒する。だが近衛は我々の甘さを見抜いていたのだ。少なくとも、夏蓮と顔を合わせれば、見捨てたりしないと踏んでいた。


 老獪ろうかいな奴である。彼の成すべきことは、夏蓮を普通の人間と偽装し、決して我々の警戒心を煽らない、ただそれだけだった。


 「私と同じように、親が居ないと聞いた。『離れ離れになった母の家が在るから』、これのみを理由に、金城市の件に深入りするのならば、説得するつもりでいた。そうも行かんらしい。恐慌現象発生時、学校を抜け出していたから巻き込まれずに済んだと聞いたが、あれは嘘だな」


 逡巡を生じながらも、夏蓮は答えた。


 「…はい。みんな殺し合って、最後の一人は刃物を自分に刺して、死にました。それなのに私一人だけが殺されなくて、それで」


 恐慌現象から除外されるのも、我々と同じである。話が一般に広まれば厄介事に巻き込まれかねないし、政府機関が嗅ぎ付ければ研究対象として拘束されてもおかしくない。


 「我々は、成長も老化もしないらしい。夏蓮も、止まりつつあるな」


 夏蓮は口を噤んだまま首肯した。ひどく不安な表情をしている。医師から重病を言い渡されたような、血の気の引いた顔である。


 思い返せば、ローゼにもこのような不安定な時期があった。


 「優位性が高いということだ。不安にならなくていい。事実だけを論理的に捉えよ。共に行動し、安全が保障できるよう善処する」


 具体的に伝えられる安心材料はこのくらいだ。敢えて約束こそしないが、一人置き去りにするようなことは無いのだと、そう言いたかった。


 近衛が傍に居たとはいえ、彼は所詮人間である。今に至るまでたった一人で抱えていた恐れを吐き出した夏蓮は、消え入りそうな声で訊いた。


 「それでも、怖い時は、わたしは、どうすればいいですか」


 このように相談された者は、親しければ一緒に泣いたり、時に抱きしめてやったり、或いは皆等しく悩んでいるものだなどと言って慰めるのだろうが、思いついた言葉はこうである。


 「一度死んだと思え」

 「――え」


 夏蓮は頭が真っ白になったらしい。不安や孤独の色が消え、ぽかんとしている。


 自分でも馬鹿々々しい答えを導きだしたものだと感心するが、口を衝く冗談を止めはしなかった。


 「我々はどうか知らない。けれど基本的に生き物はいずれ死ぬ。例えば人間は、マンホールが飛んできて頭に直撃すれば死ぬ。数日前、ローゼに対して投げつけた時は死ななかったが」


 「えっ。えぇっ!?」


 「つまり、感情というものはこのように変動する。ずっと不安なままではないということだ」


 「つまり、ですか」


 「そうだ。今、余計なことを考えていないだろう?」


 「なんかくやしいです」


 夏蓮は困惑しながらも、落ち着きを取り戻した。もう、声は震えていない。

 

では、悔しがっているところにもう一つ。


 「思い出して夜泣きせぬよう、次はまじめに答える」

 「なっ」


 キルシェは肩の力を抜いて、小さく息を吐いた。まるで観念したように、付け加えた。


 「私とて、歩み続けるしかないのだと心に決めるまで、随分と時を要した。今は前向きになれずとも、これから解っていけばいい。だから――」


 展望塔の下を一瞥。ローゼの姿が見える。あと十分くらいでここへ到着するだろうが、どうせ承諾してくれよう。先に話を進める。


 キルシェは懐に忍ばせていた地図を傍らのテーブルに広げ、金城市中心から北へ五キロの地点に人差し指を置いた。


 「ここは…」


 夏蓮の母親が暮らしていた家の辺りだ。正確な位置は後で近衛に訊く。


 「北から金城市の調査へ向かう。ここを通過してな。旧家を確認して、もし引き返せそうなら、一旦君を安全な場所まで送ろうと考えている。来るか」


 夏蓮にとっては願ってもない突然の申し出だった。

 呆気にとられ、すぐ我に返って答えた。


 「行きます。その、本当に、付き合ってくれるんですか」


 キルシェは少しばかり首を傾いで、得意げな笑みを浮かべた。


 「構わん。どうせ、一人だけ離脱して向かうつもりだったのだろう?」


 夏蓮は困り顔をするも、すぐに明るい表情を見せた。大きく頷いて、肯定する。


 「はい」


 正直だが、そこは否定されたい。

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