小サナ参加者 参

 キルシェは展望塔入口のシャッターを引きちぎり、閉ざされたガラス扉を叩き割った。夏蓮を伴うので、入りやすいよう足元も蹴破った。


 馬鹿げた力で破壊されたシャッターはひしゃげ、接合部の幾つかが妙に軽い音を立てて分解した。この進入路を抉じ開けるまでは窓もない密室空間だったようで、他に光源は見当たらぬ。


 キルシェは自身の暗視能力を使用する。

 

 両目に痛いくらい意識を集中すると、瞳孔に白い光が宿る。

 少しずつ暗闇が見えるようになり、更には左右三百六十度天地に至るまで視界に入る。

 自身の肉体は薄く透過され、周囲を完全に見渡せるようになった。


 まるで色の付いたレントゲン写真のように、自分の臓器や骨をも見透かしてしまう。

 骨こそ白いが、臓器や脳、様々な内部機構と組織が深紅の色をしており、通常の人間とは異なる。

 これは血液がそのまま固形化したものであり、必要に応じて液化できる。ローゼの体内も同様の構造をしている。


 つまり、姉妹は血液の凝固体なのである。


 キルシェは光の灯った目をしんがんと呼称する。これのお陰で随分と自分の体を調べることができたし、何より完全なる暗闇にあっても周囲を見渡せる。


 とはいえ夏蓮を連れて行く以上、灯が必要である。受付の傍ら、壁に備え付けられている非常灯を取り、動作確認。展望塔は百五十メートルの高層に見合い、面積も広い。


 入って正面の、今や機能していないエスカレーターを上る。その先の土産売り場を通過し、従業員室へ。名簿などが無造作に床へ撒かれ、ドアが開放されている有様だった。


 さすがに、塔内部へ通じる奥の扉は施錠されていた。


 こちらの鍵も例の如く破壊する。鉄板に腕を突き刺して、施錠装置諸共引き千切った。


 シャッターなどより高強度な為、少々動きが腕力任せになり手首を切ってしまった。当然、傷はすぐに癒えて消えたが。


 塔内部は頼りない程に空洞で、しかし頑丈な鉄骨が組み上げられていた。剥き出しの階段と通路も利用できるが、今回は夏蓮を抱えたまま他の方法で一気に駆け上がる予定だ。道を確保し、一旦展望塔の入口へ戻って待機する。


 ――遊び呆けているのか、二人は随分と遅い。


 キルシェは看板に背中を預けて、空中のとびを見上げた。


 「姉気取りも程々に、か」


 先刻の言葉を反芻する。

 自分の器量は、ローゼの姉を気取ったからこそ見出せた側面がある。


 客観性と洞察能力、強靭な無機質の理性。そして、誰かを守るために強く在ろうとする使命感。これらをくれたのはローゼだった。ローゼを理由にして強く在ろうとしたからこそ、結果として自分の心を冷たく冴え渡らせて護れたのだ。


 会ったばかりの夏蓮を先導するローゼの姿から『成長したい』という無意識の欲求を垣間見たような気がした。ローゼに行動の理由を、その機会を、与えてやるべきなのだろうか。


 真眼の能力を鞘へ納めたので、瞳に白い光は灯っていない。照り付ける日光が、水の如き碧い目の奥に届くばかりだ。頬に掛かった白髪が、力尽きたようにはらりと落ちる。




 「――待ったか、キルシェ」


 少し離れた場所からローゼの声が聞こえた。


 「お待たせしました」


 夏蓮は塔の入口に空けられた穴を見るや一瞬ぎょっとしたが、視線をキルシェに戻して何食わぬ顔をする。


 キルシェは看板からそっと離れて、二人に応答した。


 「待ったが、偶にはこんな日も悪くない」

 「それは良かった」


 遊び疲れているのか、夏蓮が少しだけ怠そうに見える。こちらに歩み寄るまでの間、ローゼと無駄口を利かなかった。


 「迷路は広かったろう。少し休んだ方がよいかな」


 夏蓮の頭にそっと手を置いて問いかける。自分の体は普通の人間に対して三倍の質量を持つ。力加減が難しい。不自然なほど慎重に触れたからか、夏蓮は不思議そうにこちらを見上げた。


 「待たせてしまってごめんなさい。大丈夫です」

 「解った。ローゼ、変わりはないか」

 「特には、いや、飲み物を持って来ていないんだった。夏蓮は今のところ要らないらしいが、一応持ってきた方がいいかな」


 確か朝食でオレンジジュースをグラスに半分ほど残していた。あれから四時間は経過している。欲しくないにしても何か飲むべきだろう。


 「気付かぬ内に脱水症状を起こすこともある。荷物の中に飲料水が有ったから、すまないが取ってきてくれるか」


 ローゼも相当気に掛かっていたと見えて、嫌な顔一つせずに承諾した。


 「分かった、行ってくる。展望塔へは先に上がってくれ」


 そのつもりだ。夏蓮に幾つか訊かねばならないことがあり、二人で話す時間が必要だった。返答次第では居住区へ残るよう説得する。


 「了解した。悪いな」



      ❀



 「キルシェ、なんというか恥ずかしい感じであります」


 鉄骨剥き出しの展望塔内部にて、夏蓮をお姫様抱っこした。背負うよりは衝撃に対応し易く、取り回しも効く。


 夏蓮は名前こそ呼び捨てにしてくれるのだが、まだ敬語である。ローゼにもこのくらいの慎みを持ってもらいたいと過ぎり、しかしそれはそれで気持ち悪いので駄目だと思った。


 点検用の螺旋らせん階段が天高く渦巻いて伸びる。エレベーターから外が見えるよう、一部ガラス張りとなっており、ここは十分に明るい。


 「私は何とも思わない。安心して、そうだな、楽しめばよい。心の準備はよろしいか」


 夏蓮はぎゅっと目を閉じた。


 「はいっ」

 「私の血液は、このようにして使う」


 踏み出し、片膝を曲げ、跳躍の準備に入る。


 全身の表皮より血液が滲み出て、白い肌に鮮血の斑点はんてん模様もようが浮かぶ。蒸発して、白く発光する素粒子へと変貌する。任意の箇所へ、素粒子を流動させる。


 原子を下回るサイズの素粒子が、肉体へ浸透→肉体の構成原子を素粒子が包囲→原子へ斥力せきりょくを発動。之により強く空間に固定→我が肉体の動作に対してのみ、素粒子の配置を自動追尾。


 肉体の強化が完了した。


 脚部、腕部、周囲に霧状の白光が、朝の木漏れ日のように煌めいた。目を開いた夏蓮は、輝く純白の粒子に見惚れた。


 キルシェは眼に白い光を灯し、跳躍目標へ焦点を絞る。


 「飛ぶよ」


 脚部と周囲の粒子がその力を発動する。全身が勁烈けいれつしなり、重力から解放される。多量の異能発動によって、地上に副次的効果の反動を生ずる。空気中の塵は振動し、光は捻じ曲がり、それはまるで空間を歪ませたようだった。


 『ヴン!』と響き渡る反響の音色。塔内を満たすこれを認識する時、キルシェは既に四十五メートルまで跳躍していた。


 抱えた夏蓮の頭部を手の平で支え、けいついを保護する。死にはしないが、無茶をしすぎたか。

 しかし敵から逃遁とうとんするとなれば、小刻みに危険を回避しつつ高速で移動する為、このくらいを指標とした。


 何より、自分の予想が正しければ夏蓮は同族かもしれないのである。階段を歩かずこうして抱き上げたのは彼女の体重を確かめる為だ。もし質量倍率が違えば、少なくとも普通の人間ではない。これについては正常で、外れである。


 しかしながら、水分の摂取量が少なく、にも拘らず体の活動状態は極めて安定している。筋肉の痙攣けいれん眩暈めまいを伴うような脱水症状にこそ至らないにせよ、喉の渇きくらいは訴えてもよい。聞いた感じ、夏蓮の声はずっと潤ったままだ。


 速度と跳躍力を低下させる。螺旋階段に沿って、何もない空間を蹴り、光を散らしながら頂上へ。白いフォーマルドレスがはためき、だが確と作り込まれているから酷くは乱れない。


 天井近くに到達。螺旋階段の終着点、鉄扉の前に降り立った。


 鉄網の足場から、地上が小さく見える。


 「しまった。これは、やりすぎた。立てるか」


 膝を突いて夏蓮を下ろす。座らせようとしたところ、こちらに向かってふにゃりとへたり込んできた。


 ろくに力の入らない手でしがみ付き、今にも泣き出しそうな顔をして訴えかけてくる。


 「無理無理無理。落ち着くまで待って」

 「うむ。敬語じゃなくなったな。親睦を深められて嬉しく思う」


 夏蓮は力尽きた様子で、キルシェの腹に顔を埋めてぼやいた。


 「このひと頭おかしい。絶対ローゼの方が常識人だよー」


 これが初めてと言い切る自信はないが、このように直接的な評価を受けた例は少なくとも記憶していない。


 しかし第三者から見れば、若干直情的であれローゼの方がまともに思われても仕方がない。あれは単に振る舞いが子供っぽいだけで、幼少期の価値観を思うに一般的な人間のそれに近かった。


 幼くして感情論を毛嫌いし、強さに執着し続けてきた自分とは違う。だが、論理的である以上、このように自己評価する。


 「私は、正常な方だ」

 「そんなの嘘です」

 「少なくとも、言われて感情的にならないくらいには」

 「人の心が、嫌いなんですか」


 夏蓮はむっくりと起き上がる。少しだけ悲しい顔をした。


 「必ずしもそうではない。ただ、頭に血が上る時でさえ、これは心の炎症なのだと理性で俯瞰ふかんしているだけだ。正当な理由が在ろうと、例えば怒りの感情は心に起こった異常なのだと、そう理解されたい。物事に、冷静に対処するために」


 人の感情に否定的と思われがちな者とて、必ずしも非情ではない。自分や他人を守ろうとしただけの者も居る。一々口に出さないだけだ。


 聞き終えた夏蓮は表情を緩めた。


 「忘れないようにします」

 「あぁ」


 自分は、取っ付き難い存在らしい。結局、夏蓮の口調は敬語に戻ってしまった。


 構わない。気が向いた時にでも、友人の如く話してくれればいい。

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