小サナ参加者 弐

 「あれに上ってみたいです」


 夏蓮が指差した。


 街を見渡せる百五十メートル余りの展望塔が我々を睥睨へいげいしている。


 どこへ遊びに行きたいか希望を聞くと、彼女は遊園地を所望したのである。


 無論、営業などしておらず今や寂しい廃墟でしかない。六年くらいで倒壊するような作りではないものの、塗装の剥がれた遊具類の骨組みは錆に浸食されつつある。


 入口の柵は曲がり、乗用車がそこへ追突したまま野晒しにされていた。周辺にはフロントガラスやミラー、ヘッドライトの破片が散乱している。


 砂塵にまみれた発券機と、誰も居ない窓口。色の落ちた広告、雨漏りで水に溶けた書類。園内の広大な土地で好き勝手に根を生やす草木と、黒ずんだ白馬のカルーセル。風に軋む観覧車が物悲しく鳴った。


 稼働している姿を想像して、何も考えずに答えた行先であろう。後戻り出来ない様子の夏蓮は困り顔でこちらに視線を投げた。


 「展望塔か。血液を使用して上る。夏蓮、高い所は平気か」


 金城市の探索へ付いてくるというのなら、多少の荒事には対応できなければならない。まず様子見としよう。元より居住区に残るよう説得するつもりであるが、望みは薄い。


 夏蓮は首肯したのち、こちらを見上げて聞き返した。


 「良いんですか」

 「構わない。これは、我々にしか叶えられまい」


 夏蓮が図書館の地下探索を求めたら面倒なので、物資運搬を後に回している。血液を使用すれば塔に上るなど容易いし、その力がどういったものか見せておくにも良い機会だ。


 「では、私が運んであげようか」


 横からひょっこり顔を出したローゼが、夏蓮の手を取った。


 「恐縮です。お願いします」


 展望塔を目指す。KEEP OUTと書かれたバリケードテープを乗り越えて、園内へ足を踏み入れた。


 入ってすぐの広場には、白と水色のタイルを敷き詰めた噴水が設置されており、傍らの看板に地図と注意事項が記されていた。展望塔は遊園地の中心部から若干奥に位置する。


 「ローゼ、展望塔の上階へは、私が夏蓮を運ぶ。爆発では加減が効き難い」


 夏蓮を先導していたローゼは歩みを遅らせる。夏蓮に手を引かれる形になると振り向いて、こちらにだけ分かるよう不服な顔をしてみせた。


 「点検用の階段を使えば問題ないんじゃないのか。駄目そうな場所だけ血液を行使しては」


 「落下したら対処できまい。熱に耐性を持つのは自身のみで、夏蓮を保護しきれぬ」


 最悪、掴めそうな場所が無くとも鉄骨を高熱で溶かすなどしてしがみ付けはするだろうが、衝撃などを考慮すれば安全とは言い切れない。


 「仕方がないな。せっかく私が案内しようと思ったのに。まったく」

 「爆発に留まらず、感情の起伏も御しきれぬお子様か」

 「言うに事欠いて。血液はきちんと制御できているつもりだ」


 ローゼが足を止めたせいで、手を離れた夏蓮の背中が遠ざかってゆく。


 「まだ未熟だ。ほら、自信も無かろう?夏蓮相手に姉気取りもいいが、程々にな」


 「ローゼ、なんか迷路みたいな所に行き当たったんですが、どっちに行けば良いですか」


 まだ言い返そうと必死のローゼだったが、夏蓮は誰に連れられて塔を上ろうが差し支えないらしく、手を振って呼び掛けてきた。


 「迷路みたいなのは迷路だ夏蓮。面白そうだから入ってみるか」


 走り寄るローゼは夏蓮より一回り大きい。こうして見ると、まるで本当に妹でも出来たようである。


 いつもの癖が出て、頭部のティアラを指で撫でる。菱形の宝石が十粒、純白に光った。



      ❀



 ――幼少の頃。姉妹は教育の方針上、あまり自由に外出できなかった。


 そんな鬱屈の中に在っても、優秀な姉は涼しい顔で前を歩く。尤もらしい理由をこじつけては連れ出してくれた。


 姉と一緒に散歩すれば、気まぐれで道を逸れては探検したものだ。


 図書館に籠る雨の日は、新しい遊びを思いつく。寝る前には本を読んでくれる。退屈していると、脈絡もなく面白い話をしてくれた。

 熱帯雨林、洞窟、深海の景色。昆虫の生態。歴史、怪談。内容は色々で、自分の為に酔狂を演じてくれるキルシェが大好きだった。


 幼き日、あの時も春であった。バスで二停にてい離れた公園の桜並木を見せるために、キルシェは植物観察にかこってローゼを伴い遠足に出かけた。


 手を引くキルシェの表情は見えないけれど、それでも微笑んでいるのが解る。しなやかな長髪を躍らせながら、記憶のキルシェは言葉をつむぐ。


 「ローゼ、涼しいか。それとも、暖かいか。ここは、とっておきの場所なんだ」


 蛇行したアスファルトの歩道。両脇に続く木々が枝葉を広げ、草の緑が生い茂り、花々がそれぞれに色付く。この植物の道の先は、湾曲によって途切れ、歩を進めなければ見えない。


 日向ひなたと木陰が地へ交互に落ちている。揺らぐ木漏れ日は光芒こうぼうとなり、その無数の輝く柱はまるで祝福の象徴だった。


 道は次第に桜並木へと色を変え、未舗装の広場に出る。一陣の風が吹き抜けて花弁が舞った。開けた視界が、桜花に染め上がる。


 立ち並ぶ桜の木は巨大な個体が多く、天に広く咲き誇り、地には花弁の絨毯を敷き詰める。


 ローゼのキルシェに対する憧憬の意識は、この景色と共により一層焼き付いた。



     ❀



 レンガ造りの迷路は平地ではなく、四階層の入り組んだ建造物である。階段や抜け穴、小部屋が用意されており、遺跡のようでもある。


 キルシェは迷路を通らず、迂回して展望塔へ。ローゼと夏蓮のみがここを通過する。


 単なるレンガの通路に留まらず、様々な仕掛けが施されており、二人は騙し絵の部屋を歩いていた。


 小さな入口を除けば、外界との接点が無い密室空間。床や壁の絵は水平に見え、そのまま地形のみが傾けられており、平衡感覚を崩す作りとなっている。無論廃墟であるから照明は無く、五メートルほど歩いた辺りから闇に支配された。


 ローゼは胸元で片手を開き、そこへ意識を向ける。表皮から血液がはん点状てんじょうに滲み出し、炎上命令。ぼうっと音を立てて松明のように燃え、辺りを照らした。


 血液の異能を始めて見た夏蓮が、言葉もなく口をぽかんと開いたまま眺めている。


 「あぁ、見るの初めてだもんね。空気中の酸素は消費しないから安心していい。光量も調整できる」


 手中に生まれた炎の前一点のみが強く発光する。この、正面を照らす炎の位置を三百六十度、灯台の光のようにくるりと移動させて見せた。


 「きれい」

 「良いでしょ」

 「おじいちゃんからさっき聞きました。燃焼と爆発が出来るんでしたよね」

 「適応するのが早いな」

 「こんな世界ですから」


 夏蓮には近衛を除いて身内が居ないとの話だった。恐慌現象以来、慌ただしい変化の中で生き抜いて来たのであろう。少しだけ、過去の自分と重なって見える。


 幼い頃、キルシェはよく遊んでくれたが、自分の姿はどのように映っていたのだろうか。


 少なくとも今、夏蓮に対してあんな風に瀟洒しょうしゃな振る舞いは出来ない。そもそもどう接していいのか分からない。記憶の中のキルシェですら、遠く先を歩いているように思えてしまう。


 「新しい物事を受け入れられるのは、思考が柔軟な証拠だね。キルシェの体質についても、粗方は聞いた?」


 ローゼは絡みつく追憶を頭の隅に追いやって、しかしキルシェの話が口を衝いて出たことに後から気付いた。


 若干顔が熱い。幼くして両親を失った夏蓮に対し、その話については触れないにせよ、掛けるべき言葉が有ったのではないかと、そんな慙愧ざんきの念も有った。


 ローゼは気温が高いと言わんばかりに、耳の後ろへ髪をかきあげて、紅潮を誤魔化した。


 夏蓮は特に何も考えずに、考えていないが故に、ローゼの真意を穿った。


 「キルシェのこと、好きなんですね」

 ――っ!?

 「え、そうだな。うん。姉だからな。――だが、なぜ突然にそんなことを?」


 声が少し上ずった。まるで思考でも読まれた気分だ。


 「えっと。なんとなくです。あ、――でも、キルシェの話をした時、笑ったように見えたから、ですか?」

 「鏡がないと解らんな…」


 他意はないらしかったが、念のため頭にアルミホイルでも巻いて過ごすか。


 傾いた床で転ばぬよう、夏蓮は壁伝いに歩く。ローゼは彼女を追い抜くと、安全確認の為、先んじて部屋を出た。


 三方に通路が分かれており、間違えては戻り、また進む。右か、或いは左に、壁伝いに手を置いて進み続けると出口へ辿り着けると言うが、ここは立体迷路だからやり辛い。汚れた壁を触る気にもなれなかった。そもそも、単なる作業になっては楽しくないと思う。


 「結構本気で迷うな。人もいないことだから、しばらくここで寝泊まりするのも面白いか。…いや、まるで罰ゲームだ」


 無機質で薄暗い回廊。天井にぽっかりと丸穴が空けられており、上階が見えて不気味である。歩く度、コンクリートの床を靴底が打ち、塵が舞った。


 「はい、罰ゲームっぽいです。でも、夜中に探索するのが楽しそうですね。暗視ゴーグルっていうのを試してみたいです。一人は絶対に嫌」


 夏蓮は壁に手を触れて、汚れた事に気付くとあたふたする。手と手をぱんぱんと叩き、埃を散らした。


 「その時は今日みたいに一緒だ。どうせなら、微光暗視装置が良いな。赤外線で照らさなくても見えるやつ」


 「敵に発見されますものね」

 両手をぱちんと合わせて、首を傾げた。


 「敵とは…」


 嬉々として話す夏蓮は、楽しそうに意味も無くくるりと回る。スカートの舞い踊る、いかにも女の子らしい仕草で、吐き出す言葉だけがそぐわなかった。


 運動量の多い娘だ。今も前を歩いたり、後ろを歩いたりと上機嫌に忙しく動き回っている。


 「夏蓮、喉は乾いてないか?と言っても、物を摂取しなくていい我々の悪い癖で、何も持って来てないのだが。必要なら無理をしないで言ってほしい。考える」


 夏蓮は首を横に振った。ローゼに勝るとも劣らぬ柔らかい髪が舞う。


 「ううん、大丈夫です」


 居住区の喫茶店で朝の軽食を済ませたのが八時頃。あれから水も飲まずに昼時に近づいている。会話も少なくはないし、口が渇いたり腹が減ったりしていそうなものだが。


 これだけ活発な性格で言い出さないのは単に欲していないからだろう。自分たちが人間だった頃はもっと食べたり飲んだりしていたように思うが。


 ローゼは声が反響せぬよう、静かに言った。


 「了解だ。何か必要なら言いな」


 個室の窓を乗り越えて近道、となるかは知らぬが先へ進む。


 鏡の通路や、人工植物に覆われた部屋を抜け、最上階を通過してから再び一階まで下りた。


 四階まである以上、一度は通らなければ出口へ辿り着けないと踏んでいたが、案の定である。


 短時間ではあったが、多少は夏蓮と打ち解けられた気がした。


 しかしながら、結局夏蓮は飲まず食わずのまま。多少の疲れこそ見せたが終ぞ飲み物を要求しなかった。

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