小サナ参加者 壱

 風すらも吹かぬ静謐せいひつの商店街。一応は少数の居住者を抱く地域でありながら、まるで生活の気配を感じさせない。


 広告は色褪せ、剥がれ落ち、打ち捨てられた数多の住居から人の息吹は絶え、僅かな生存者は孤独に飲み込まれるばかり。


 彼らが去った後、もし次に動く人工物が有るとすれば、それは地上へ向けての落下や倒壊だろう。


 今もアーケードの傾いた看板が、腐食に耐え切れず寿命を終えるその時を待つ。


 朝七時、晴天。少女の声が耳朶じだを打ち、沈黙を破った。


 キルシェもローゼも、汗に老廃物が存在しない為に朝の支度は不要である。そもそも眠らなくてもよいのだが、回復効率の向上や円滑な記憶整理といった恩恵は享受できるので、このように休んでいる。すぐに目を覚まして、活動を開始した。


 窓からひょっこりと覗くそれは、幼い好奇心をこちらに向けていた。


 癖のある柔らかい長髪は天然の鳶色とびいろ。反射した陽光を瞳に受けると、透き通った茶色い色素の虹彩が黄金色を帯び、硝子玉みたいに瑞々しく光った。


 近衛に年を訊きそびれたが、十一、二歳くらいか。解らぬ。恐慌現象は六年前だから、そのくらいだろう。


 学校を脱走していたとの話だが、入学早々のことか。成長を考慮したとて先が思いやられる。

 そもそも居なくなって騒ぎにならないものであろうか?常習犯というか、周りが納得するような素行だったらそれも頷けるか。


 キルシェは、このまま置き去りに出発してしまおうか悩んだ。


 ドンドンと窓は叩かれる。


 「ごめんください。リミステネスさんのお宅ですか。近衛このえれんと申します。近衛夏蓮です」


 自分の名前を繰り返す。廃墟の窓硝子まどがらすを反射して照り込む朝日が、周辺に舞うほこりをちらちらと煌めかせていた。


 瓦礫の街の片隅で、少女は小さく飛び跳ねながら車窓を覗いてはまた別の車窓へ移動する。その度、羊毛みたいにふわふわとした髪が忙しく舞った。


 暫く放っておいたが、応答するまで続けるつもりである。『お宅』とは夏蓮とやら、我々をここに住んでいるものと勘違いしていないか。


 キルシェとローゼの名前も呼んでいる。近衛から聞かされたのだろう、名乗る必要さえ無きようにお膳立てされているらしい。


 無念、止む無くキルシェは夏蓮を迎え入れた。


 「初めましてです。近衛夏蓮です」


 両手でスカートを抑え、小さな肩をより一層縮めてお辞儀する。フリルスリーブの半袖が揺れる。腰に飾られた水色のリボンが解けそうだったので、ついでに結び直した。


 うやうやしい自己紹介痛み入るけれど、馬鹿々々しいくらいに何度も聞かされている。寝起きに窓から執拗で、トラウマになりそうである。この名前は忘れまい。


 「いや、伺っている」


 キルシェが痛む頭を押さえ、枯れそうな声で応答すると、まだローゼより小さい夏蓮は端整な顔立ちをちょっとほころばせた。西洋人の少女を、色素だけ東洋寄りにした感じの容姿である。近衛曰く、混血児ではないらしい。


 夏蓮は、五時には近衛商店に乗り込み、ローゼとキルシェについての説明を受けたそうな。

 能力や体質の話も許可したので、細かい事情も承知していた。


 「キルシェさん、聞いた以上に綺麗な髪です。ティアラの装飾、後光みたいに鋭くて、かわいいのにかっこいいです」


 「あ、ありがとう。呼び捨てで構わないよ。ついでにローゼも」


 夏蓮の気持ちに精一杯応えるも、明らかに気圧されている。ローゼの相手には慣れているが、多少乱雑に扱える関係性の者とは勝手が違う。


 「わかりました!よろしくです、キルシェ」


 差し出された手を取り、握手した。夏蓮は間もなく目標をローゼに移し、飛びつく勢いで迫る。車内なので這い寄る形となった。


 「初めまして、ローゼ。髪質が私に近くて、親近感が沸きます!赤くて、でもくせ毛が炎みたいで見惚れます。不束者ですが、末永くよろしくです」


 放置されていた間、練りに練った台詞なのだろう。所々、言葉遣いが変だ。そのせいで寧ろ親しみ易く、友達が出来たような気がしてまんざらでもない様子のローゼはいささか紅潮して、キルシェ同様握手――否。夏蓮が両手を広げて見せたので、よく理解せぬまま自身もひそみならうと、胸に飛び込まれた。


 「ぐふっ。ありがとう。よろしく」


 胸骨に額がぶつかった。


 夏蓮は二人を自分の世界へ巻き込んで一通りはしゃぎ終えると、ようやく満足したのか落ち着いた。


 どうやら常に興奮している手合いではないようで、胸を撫でおろす思いのキルシェ。夏蓮に事のあらましを問うと、今に至る話を意外にも簡潔に述べてくれた。


 以前からキルシェについて、能力の話こそ伏せられたが面白い人だと聞かされていた。

 また自慢の妹が居り、炎のような特異な髪を持っているとも語り、近衛の脚色こそ散見されるが概ね理解していると思しい。何せずっと姉妹に会いたかったと言うのだ。


 「気は合いそうかい、姉御、ローゼ」


 肩に鞄を掛けた近衛が車外から言う。ローゼは夏蓮の相手をしているので、応答はキルシェ。


 「問題ない。短時間で理解こそ浅いが。けれど元気で何よりと思う」


 元来気分屋な近衛は近頃不規則な生活を送っていたが、今日は特に駄目な日であった。睡眠不足の中夏蓮に叩き起こされ、目の下にクマを作っていた。


 「さようか。まあ、頑張ってくれい」


 近衛は親指を立てて、ニカっと笑った。

 

 空元気だが、歳の割に皴は少ない。これから金城市の調査隊を編成すべく、仲間との交渉に赴くところだ。商店街だけでなく一般居住区まで出掛けるつもりなので、彼もキルシェ達と同じくディーゼルエンジンの車両をる。


 近衛は、燃料代と言わんばかりに幾らかの貨幣――現在は金本位制なので、金貨をキルシェに握らせて、暫く夏蓮含む三人で遊ぶよう言い残した。


 キルシェはキルシェで、交渉を進める為の給金と物資――物々交換も行われているから、差し出せそうな援助を申し出た。


 よって之より成すべくは図書館の物資運搬と、それから、夏蓮の相手はローゼに任せたいが、そうもいかぬ。色々と訊かねばならないだろう。



      ❀



 半年前。政府は行方不明者の多発する金城市へと調査隊を派遣した。これは恐慌現象より三度目の試みとなる。


 最初は警察官八名が当り、公民館にて人影を発見するも、建物へ踏み入った直後に襲撃され通信が途絶。無線によって彼らが放った断末魔の中には「黒い影」や「人間じゃない」などの言葉が聞き取れた。


 次の調査には空撮機を使用したが、動植物と廃墟しか映らず仮初の静穏をたたえるのみであった。


 人員不足の中、それでも三度目の調査にて、軍人からなる十六名を編成。加えて四名が空撮機を操縦し、画面越しに監視を行いながら潜入。


 結果、三キロ進んだところで通信妨害を受ける。映像を送信しなくなった無人機は制御を失い墜落、無線は途絶。帰還した者はおらず、全滅とされた。

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