金城市・調査準備 参

 近衛は、入手するのが難しくなった炭酸ジュースと菓子類を出して、自分の作業机に着いた。彼の定位置である。キルシェとローゼも椅子へ腰を掛けた。


 キルシェは、恐慌現象以前在りし日の金城市の地図を、長机に広げた。


 「いつも通り、他言無用なのだが。これから金城市に入ろうと思う」


 危険区域の中心部に手を置いて、近衛の方を見る。この場所について様々な事を質問したし、最近では自分たちが半不老不死である事も、異能についても話していた。


 「随分と計画を早めたな。今からとは…。遭うやもしれんぞ。君らと同じように、人間をやめちまった奴に。あそこには間違いなく、何かる」

 「先刻承知だ。いずれ行かねばならん」


 近衛は困り顔で唸り、観念して溜息を零した。仕方あるまいと、地図上を指でなぞり説明を始めてくれた。


 「ワシが三十年前に住んでおったのがここ。危険区域中心から五キロってところかの。危険区域へは、いつ何時どの方角から入っても行方不明になる。何者かに会って、生きて帰ってきたという話も聞かん。これらを鑑みると、複数おると考えた方が良かろう」


 「複数…。先に発見されるのは極めて危険だな。遠目に何か見たという例も無いところ、離れていても先に察知して、確実に消せるような奴がる。相手が普通の人間であれば、という前提になるが」


 「向こうは潜んでおるだけで良い。こちらから踏み込めば、恐らく先手を取られるぞ」


 二人の会話を聞きながらも、ローゼは菓子類に手を付けている。ジュースをあおり、訊いた。


 「政府は、空撮を試みたりしなかったのか?」

 

 「小型の無人機を見たという話は聞くが、何が映ったかは分からん。大金を掛けて既製品の無人機を調達しても良いが、奴らにも政府にも見つかっちまう。得策とは言えんな」


 「むぐっ」


 キルシェはローゼの口にチョコを突っ込んで黙らせ、それから話に戻った。


 「駄目か。正体不明の敵が複数。まず誰かが何かしらの行動を起こさないと状況は変わらないのだが」


 「いや、状況は悪い方に転がっておるよ。時を経るにつれて、危険区域は刻一刻と広がり続け、いずれはこの場所も飲み込まれてしまう。政府の軍なり警察組織なりが手を打ってくれると楽観視していたが、想像より進行が速いし、急速に悪化する可能性も在ろう」


 キルシェは顎杖をついた。


 この問題については大分前から近衛と話し合ってきたが、内心第三者の動きに期待していた。何一つ状況が掴めぬまま、自分達の存在が世界に知られるリスクを負うのは好ましくない。しかしながら、行方不明者達は見捨てられ、危険区域も放置され続けている。公式発表ではないが、政府組織の人員不足も深刻と聞く。


 「我々が知らないだけで、本当は国も行方不明者を出しているのだろうな。この様子だと、普通の人間は金城市の餌でしかないが」


 酷い皮肉である。これから死地に身を投じるつもりでいるから、不謹慎とは思わぬが。行動を急いだローゼを正しいと思う反面、従わざるを得ない現状に少しだけ苛立っていた。


 「そこでワシから提案がある」


 近衛が立ち上がり、棚からおもむろに無線機を引っ張り出してきた。


 「提案とは」


 再び椅子にどっしりと腰を下ろすと、大きく一呼吸。一拍の間を置いて。


 「うむ。ワシが仲間を募る。以前からこの問題については話し合っておったから、説明は不要。二班に、もし人数が集まれば三班に分かれて潜入し、連絡を取り合いながら行動する。君らの能力についてはワシともう一人以外には秘密とする」


 キルシェは顔にこそ出さないが訝しんで問うた。


 「もう一人。誰だ。既に何か話したのか」


 「血や能力については話しておらん。ワシの孫娘じゃ。本当は連れて行きたくないが、金城市を調査すると言って聞かん。さりとてワシが人を集める以上、置いていくことになる。あの様子では間違いなくワシらを追ってくるし、面倒を見る身内もおらん。年端も行かぬ娘ゆえ、頼めんか」


 「我儘だったらやだな」


 ローゼがぼそりと呟いた。


 「面白い冗談を言うではないか」


 「キルシェは黙って。私が二人になると考えろ」


 どうやら、言う事を聞かぬ自覚くらいは持ち合わせているみたいだ。


 「なんだ、姉を取られるようで寂しいと、そういう風に捉えておけばよいか」


 「それも有るけど、そういう話じゃなくて。力の優れた者には危険が付き纏う。なんというか、一緒に居たら我々に巻き込まれる」


 まず寂しいのは認めるのか。

 キルシェも同意見ではあるが、近衛の考えはこうである。


 「姉御、ローゼよ、気を悪くせんでくれよ。君らの同族とまともに交戦すれば、ワシらはひとたまりもないだろう。危ない橋を渡る。生きて帰れぬやもしれん。死亡する可能性が低い君らに託したい」


 恐慌現象時、女性や子供は優先的に避難所へ送られて死亡し、若年層の人口は低いと記憶している。からく紙一重で生存できたものを、再び危険に放り込むなど愚かだ。


 「政府の教育機関にでも捨て置いた方が安全だ。火を見るより何とやらではないか」


 ――火どころか、こちらは血を見に行こうと言うのに。


 しかし、身も蓋も無い物言いではある。配慮の欠片さえ見受けられないだろう。無茶を押し通そうとしている近衛を制止するつもりで角を立てた。


 「恐慌現象当時、あの子は学校を脱走して裏山で遊んでおった。だから発見が遅れて、避難所には行かなかった。幸運は二度も続かぬ。恐慌現象が悪化しない保証もない。人口密度の高い場所は、避けたいんじゃ」


 殺し合いこそ収束しているが、全人類に課せられた現象それ自体は続いている。今も、大勢が集まれば六年前と同じ状態になるだろう。近衛の言う通り、悪化しないとも限らぬ。


 「その娘は、どうあっても本人の意思で危険に飛び込むのか」


 「然りじゃ。言ったよな、ワシは金城市に住んでおったと。ワシは息子夫婦に旧家を譲ったが、二人はその後離婚した。あの子は父親に連れられてこの町に来た。母親を、金城市に置いてな」


 なるほど、子供が無作為に危険へ飛び込むには十分な理由と言える。


 「解っていると思うが、生存者は…」


 「それでもあの子は、自分の気持ちに決着を付けたいんじゃ。母親が死んでいる事も、承知の上でな」


 理解していても、僅かな希望を抱くのが人間である。何が起ころうと冷静に判断できるだろうか。成人とて不可能だ。まして年端の行かぬ娘に、それも危険な場所で。


 しかし、一人でも行くというのなら、傍に置く方が安全か。そもそも居住区や街に築かれた生活基盤は依然脆く、金城市の浸食や今後の変化を危惧するとなれば止むを得まいか。


 額に手をやって思案していると、近衛が付け加えた。


 「あの子は狙撃がうまいぞ。運動神経も悪くない。ワシより戦力になる。友達になってやってほしい。あと、果樹園を継がせるから、収穫物を融通してくれるやもしれんよ?」


 視線を投げたのはローゼに対してである。この期に及んで冗談を吐くとは見上げた根性だ。キルシェは溜息をついた。案の定ローゼの目は承諾したげで、口ほどに物を言う。というか、実際に口から漏らした。


 「キルシェ、果樹園」


 どういう勝算があって畳みかけているのか。名指しだが独り言として無視しよう。


 「鉄砲の扱いに長けているのなら、自己防衛以上の能力は期待できる。しかし、弾数は有限であるから、どうしたものかな。何より、安全を保障できない。どうしても成し遂げねばならない目的と、娘の命を天秤に掛けた時、そういう事態に直面したら、守ると約束できない。――私は逡巡しゅんじゅんなく、見殺しにする」


 厳しい条件を突き付けてしまうが、赤裸々に語る他なかった。自分も幼少期に多くの人間に混ざって教育を受けていたのなら、もう少し気の利いた言葉を口にできたのかもしれない。


 ただ、これは自分自身への戒めの言葉でもあった。危険区域へ赴く以上、例えばローゼが死ぬような事があったとしても、感情の奴隷になって正しい判断を放棄してはならない、と。しかし近衛は、それでもキルシェを信頼して娘を押し付けた。


 「解った。あの子にこれを踏まえて、もう一度伝える。それでも納得するようなら、頼む」


 キルシェは改めて近衛の目を見据えた。選択肢が無くこれこそが最適解であるという確固たる意志を感じる。自身の死期を思ってか、或いは将来の最悪を想定してか。


 「居住区に残るよう私からも説得する。駄目そうなら仕方あるまい」


 他人の心など読めない。今日はもう休む。


 それから、明日は人員の確保に当たる流れとなった。近衛が一室貸してくれると申し出たが、他人の家は落ち着かないもので、車中泊とした。



      ❀



 無骨な軍用車両に在っても、キルシェはまゆの中に居るような気持ちで眠ることが出来た。


 この空間が好きだからではない。自分自身の体に対して、一つの道具や入れ物という意識を持っており、武力をよろう感覚を覚えているからだ。


 深い夢の中。橙色だいだいいろの夕日が差し込む公園に一人佇んでいた。秋口だったろうか。焼ける空は千切れた雲の影を落とし、子供達は親を伴って帰路に着く。夜が、近い。


 自分は、取り残された幼きローゼの肩に手を置いた。


 「さあ、私たちも帰ろう」


 ローゼは首を横に振って拒む。夏の残滓ざんしと夕焼けを纏うローゼの髪は当時人間のそれであったが、この時は燃えるように赤く映えた。


 「帰りたくない。私も、みんなと一緒に、みんなみたいに」


 暖かく優しい風が吹いて、髪を躍らせている。


 ローゼは血を分けた姉妹であり、たった一人の友人だった。年相応によく遊んだものだ。


 キルシェは、強く在ろうと割り切って生きていた。娘らしい言葉遣いも弱さも排して歩んだ。名家の血脈と知識、力を自分が引き継いで、ローゼが望むのであれば自由を与えてやりたい。妹は、宿命を受け止めるきっかけの一つとなった。


 たとえ弱さに敗し、紆余曲折うよきょくせつを経たとしても、目指す先にこの心と強さを見据えてさえいれば、何度でも強さへと帰結できると信じた。そのようになっていけると思い続けた。


 寂しがるローゼの気持ちを理解はできた。理解はできるけれど、自分自身の心が同じという訳ではない。だから異なる立場でローゼの前に立てるのだ。お互いに、独立した強さを持ちたいと、そんな風に願った。


 キルシェはローゼを、後ろからそっと抱き寄せた。


 「いつか、自由をあげるから」


 嘗て人間であった頃の思い出。脅威に晒された世界の中で、二人は力を手にしてしまった。髪の色も血液も肉体も変異し、戦うことが運命づけられていたのだと、強くなるにつれて悟った。


 追想の夢の中、しかし心は断片的に現在のまま。人間をやめて尚、拭い去れぬ弱さがあるのだと、茫漠ぼうばくたる意識が告げた。


 濡れた目を擦る時、キルシェは夢を打ち消した。


 ――違う。これは、単なる郷愁に過ぎない。

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