金城市・調査準備 壱

 時は恐慌現象発生より一ヵ月。偶然にも、発狂した人々を避け遂せた一団がいた。

 四人家族に友人三名を含み、計七名で山林地帯の別荘にて休暇を楽しんでいたのが幸いしたのである。閑静な住宅街に居を構えており、事件発生後に避難所ではなく自宅を目指したのも生存の理由となった。


 一団は町外れの宿泊施設や小さな診療所などを渡り歩き、過疎化した土地を探しながら生活する。


 ある日、こんな噂を耳にした。


 「金城市中央区は死の町だ」


 今や人の集まるところは全て死に埋め尽くされている。どうして金城市だけが、この異常事態にそう囁かれたのか。まして明日の生活さえままならない状況で噂話をうそぶくなど馬鹿々々ばかばかしいにも程がある。けれども疲弊した一団の判断能力は限界を迎えており、これを真に受けた。


 金城市の中心には誰も居らず、殺し合いはおろか、こんな状況で死体一つすら転がっていないというのだ。実際にはこの近辺に於いて最も危険であるが故の無人。それでも一団は、足を踏み入れてしまった。


 金城市の中心地まで約五百メートルのところで、既に恐慌現象に巻き込まれて五人となった一団は拠点とする建物に目星を付けた。


 放置され、照明の消えた大型商業施設である。医薬品も食料も不自然なほど手付かずのままで、生鮮食品こそ腐敗して虫に食われていたが必要なものは粗方手に入る状態にあった。この広さであれば、何者かに襲われた場合でも逃げ出せるかもしれない。


 懐中電灯を手に、停止したエスカレーターから二階へ上がる。建物のシャッターは殆どが下ろされていて、外の光は入らない。大人であれば普段は意識さえしないマネキンやトルソー、単なる広告の人物画にも不安感を覚えた。


 ここへ来るまでに犠牲となったのは、一団中、四人家族の母子二名に当たる。父親と十四歳の息子、友人の男性二名と女性一名が存命である。


 衣類売り場を歩きながら、寝室として使えそうなスタッフルームを探していた。

 先行していた男性が、発見した個室のドアに手を掛けたまま動かなくなった。


 どんなに息を殺しても無意味だ。ドア窓を照らした結果向こうに何かを発見したのであり、当然、向こうもこちらの存在に気付いている。


 ドア窓は曇り硝子。見える距離など高が知れている。それは目前、すぐ傍だった。


 人の形。肩から上が薄い影となって映り込み、揺らめいている。『それ』はこちらに手を伸ばそうとしている。自分達と同じく逃げ込んだ生き残りか、或いは狂気に駆られた人間か。


 ――否。手首から先のない両腕を『それ』は突如叩きつけ、赤黒い血液がドア窓にべったりとへばり付いた。


 向こうから扉に倒れ掛かるような姿勢で、先が千切れたと思しい腕からは血管か皮膚かがボロ布の如く垂れ下がっていた。


 背後の一同は悲鳴を上げ、恐怖を口々に溢しながら方々へ散る。


 取り残された先頭の男性は、声にならぬ呼吸を小刻みに繰り返す。ようやく事の異常さに理解が及び、震え出した足を無理に動かして自分も逃げようとした。


 ここで恐怖のあまり蛮勇を奮ってしまったのが運の尽きである。彼はドアノブを捻って、ドアを押し開けた。人影を突き飛ばして時間を稼ごうとしたのか、無意識の行動だった。そもそも人影の手は物を掴めない状態にあり、ここは何もせず逃げ出すべきだ。


 ――尤も、どう足掻こうと助かりはしないが。


 振り向くより先に、後ろから首を掴まれていた。その両手はまだ幼く、しかし異常な力で凍り付いた彼を引き倒す。


 衝撃によって硬直から解かれた体で必死にくも、頭上からそれは顔を覗かせ、首に指を食い込ませた。


 彼の手を離れた懐中電灯の光が、恐怖の対象を仄暗く映す。


 垂れ落ちる灰色の長髪に、限りなく黒に近い紫色の双眸がほんのりとかがよう。消え入りそうな少女の声が「このまま」と呟いた。


 首に突き刺さった指先から血液が送り出される。


 彼も、逃げ出した四名も、行方不明となった。



      ❀



 決闘の翌々日、四月六日の夜。洋館の車庫に放置された一台の軍用車両、通称『ハンヴィー』。キルシェはそのエンジンルームを開き、点検を行っていた。


 姉妹の両親は自家用車で町へ出たまま、恐慌現象に巻き込まれて死亡した。その為、こちらの車両はローゼが調達したものである。


 恐慌現象は首都を中心に発生し、数日で世界全土へ範囲を広めた。この際に琉球より本州へ、船舶にてハンヴィーが輸送されてきたのだ。


 山林だらけの挙母ころもは悪路が多く、こういった車両をよく目にしたが、ローゼがどこから持ち帰ったのかは聞かないでおいた。


 ディーゼルエンジン搭載、高機動多用途装輪車両。三色の迷彩を施し、防弾ガラスを使用。座席からパイプを通し、ローゼの血液を送り込めるように改造されており、燃料が尽きても走行可能である。


 リアハッチを開き、トランク内に物資を積む。大半の民間人は、四輪はおろか二輪さえ自動車を所有しておらず、運転免許の制度もろくに機能していない。ただ、GPS搭載の携帯端末が配布されており、これによって人口密度を管理している。


 金城市調査の出発準備は元よりローゼが進めていたため、すぐに荷造りは済んだ。

 二人は車両に乗り込み、エンジン始動。第一の目的地へと出発する。

 尚、運転席にはキルシェが座った。


 「私が走らせたい」


 車両は愚妹のおもちゃである。走らせる機会こそ少なかったが、操作の練習、もとい遊んでいたのは承知している。


 ローゼは眉根をひそめて不服の色をキルシェに向けている。


 「この車は目立つ。早々に乗り捨てるかもしれない。あまり愛着を持たないようにしなさい。あと遠足気分は控えよ」


 「捨てるかもしれないからこそ運転したいの。キルシェも他の車を調達すればいいのに」


 無骨なアナログの速度計が動く。車庫から出ると、一旦車を停止する。ローゼにシャッターの閉鎖を促した。


 「鍵かけてきて」


 しぶしぶ従うローゼをよそに、キルシェは放置された防塵防水の軍用コンピュータと計器類を一瞥いちべつ。動作確認は行っているが、どれも長時間使用した経験はない。


 ローゼが助手席に戻り、改めて出発。洋館の中庭を不似合いな鋼鉄の塊が通過し、門を出た。


 死出の旅路となるかもしれない調査に、しかし二人は敢えて考えない。いつも通り、買い物にでも行くような気分で走り出した。


 舗装されていない道を行くのでよく揺れる。車内は狭いものだが、小柄な二人にとって苦痛にはならなかった。


 私道を示す門を抜け、公道に出る。恐慌現象以前でさえ人通りのない森林。木々の間から瑠璃色の星明りが零れていた。時刻は深夜一時を過ぎた辺りか。


 悪路を低速で下る車両。乗用車というよりは重機の輸送といった感覚で操作していた。


 ローゼの言うように、廃墟に捨てられた車を調達して、乗り換えながら移動するという手も悪くはないだろう。しかし耐久性に欠ける。


 「ローゼ、金城市の危険区域手前で、この車はどこかに隠そう。もしそれまでに問題が起こったら引き返す。軍用車だから多少の荒事には対応できるが、一応」


 何より、燃料が尽きてもローゼの血液で走らせられるし、そもそもディーゼルエンジンであるから食品油などから生成したバイオディーゼル燃料でも代替が可能である。


 乗り捨てると言ったのはローゼが車両に執着すると面倒臭いからに過ぎない。


 「了解。でもキルシェ、よく運転できるね。…本当はこっそり遊んでいたとか?」

 「練習くらいはさせて頂いたが、遊びではない」

 「この嘘つき」

 「真実だ。その証拠に、尻にぶつけた痕がある」

 「絶対楽しんでる。そもそも誰の車だと思って――」

 「同盟国の車」


 ローゼは四角い窓から星空を指さして。

 「あ、夏の大三角形」


 とぼけて見せた。春である。

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