血ノ姉妹 肆

 ローゼは周囲を見渡して地形を確認する。前方は体育館、背後には校舎。二つに挟まれたスペースには廃棄された学習机や椅子と、車が三台。車は車輪こそ駄目になっているが状態は良い。


 車内が最も整頓されているものへ走り寄ると、給油口に指先を触れた。血液が表皮より滲み出し、ふたの隙間に滴る。僅かに爆発命令を下すと、劣化も相まってか砂利を噛むような音と共に破損した。


 引火せぬよう、一瞬で鎮火ちんか命令。血液は蒸発して消滅する。


 タンクの燃料は十分に残されていた。綺麗な車内から几帳面に給油していると踏んだが正解である。恐慌現象後の物か、或いは劣化防止剤でも混ぜていたのか、刺激臭はない。燃焼可能とみた。


 給油口から血液を流し込み、発熱命令を開始。引火しない範囲で高温を保ち、燃料を蒸発させる。風もなく、それは速やかに充満していった。


 キルシェはまだ姿を見せない。与えた猶予ゆうよに見合うだけの絶望を手土産に現れる筈だ。

 この目くらましの爆発と次の一手でどこまで隙を作れるか。現状の実力で打撃を与えるには至近距離に於ける血液の爆裂辺りが適当だと思うが、そう許してはくれまい。


 もう一つ注意すべきは、車両から離れすぎると発熱が止むことだ。


 手放すと徐々に蒸発・消滅する血液製の衣類などに対し、血液自体は多少離れても実体を保ち、異能も発動できる。ただ、距離と時間には制約が生じるのだ。


 この制約は個々の練度に依存し、やはりキルシェが勝るものの、彼女の血液は自分自身の体に対して斥力せきりょくを与えるという代物だ。よって、周囲に影響を与えるローゼの能力には優位性が認められる。


 鈍い風音が鳴る。気配は西校舎の屋上、自身より左側である。


 胸にひやりと嫌な感覚。肌が粟立つ。ローゼは瞬時に左の爪先へ血液を流出し、その場所を爆ぜさせ、爆風によって葉のごとく身を翻した。


 ――気化した燃料に引火誘爆。同時に、傍らには高質量の鉄の円盤が叩きつけられ、コンクリートが砕ける。キルシェの投擲した、マンホールである。


 熱と空気の振動が辺りを埋め尽くし、校舎の窓ガラスが割れる。周辺の机や箒、植木鉢といったらくが押し退けられ、転がり、損壊する。


 高熱がローゼを襲う。ローゼの体は人間のそれより高強度であるが、しかし高熱に完璧な耐性がある訳ではない。


 ――ただしだ、自身の放つ高熱には耐性を有す。


 ローゼは全身の表皮より血液を蒸発させ、高熱の防壁を纏う。発した熱運動を自動的に解析し、反射する運動を対発生させ相殺する、反作用の機能が備わっているのである。


 周囲を上回る熱量で遮断し、同量の反作用が耐性を築く。外的な熱を巻き込むことで、これも相殺してしまう。血液の消費量は増大するが、急場で怪我をするよりはいい。


 爆発する足の推進力で、ひらひらと身を返し、弧を描き、舞踏して後退。視界は最悪であるが、それでも三百六十度監視警戒しつつ爆心地より遠ざかる。


 足元の爆発音は罠である。キルシェが音を頼りに自分を見つけ出し、しかし正確な位置は把握できず近接戦を仕掛けると考えたのだ。


 ローゼに対しキルシェは、認識・思考速度が圧倒的に優れている。平時でも一秒間に三十は頭でカウントできるほどだ。然りしこうして、会敵からの攻撃が素早い点有利であるが故に、接近戦も選択肢に入る。


 投擲と高速回避を繰り返されれば、こちらはジリ貧になりかねないし、また短期戦に持ち込まなければ何を仕掛けてくるか分かったものではない。だからこそ誘い出すのである。


 ――案の定、掛かってくれた。

 希望的観測は的中し、キルシェは攻め入ってきた。


 振り向いた瞬間である。白煙に影が浮かび、瞬く間に接近。それは白光の粒子を纏い現れた。


 体表の粒子はキルシェの細胞、物質の結び付きを強化し身を護る。瞳孔に白い光を灯して、帯びた殺意にはさしたる表情も伴わず、腰に携えた左掌を横殴りに振り抜く。


 対処。


 ローゼは同じ側である右手を刀剣さながら翻した。上腕を柱の如く立て、指先が地を指し、肘が天を向く。この逆手の柱で、横殴りを更に外側から捌いた。


 振り抜いた左腕に肘打ちでも付け加えてくるかと警戒したが、キルシェは右腕を振り被り、続いて右中段を回し蹴った。


 ローゼはこれを警戒して、視線を胸より下に落としていた。


 即座に対応。


 右フックを左腕にて外から内へ払う。この腕を止めず、そのまま利用。二撃目である右中段蹴りへ、立円を描いて翻す。先刻の如く、肘が天を、指先は地を舐めるように滑り、今回は前腕の腹が盾となる。掬い上げる動きで、蹴り足を上方へね上げた。


 体の至る部位を小さく爆発させて衝撃に対応したが、キルシェの蹴りは想定より弱い。他にリソースを割いていたか、或いは手心か。何せ、今!


 「ここだっ!」


 蹴りの直後。隙の生じたキルシェの首へ、捌きに使った左手を血塗れの立拳として送り込む。これを捌くはキルシェの左腕。お互いの、左腕同士がかち合い交差する。


 体勢に綻びの生じたキルシェの頬目掛け、今度は自分が横殴りに平手打ちを振り、しかし顔には届かない。真の狙いは彼女の左腕である。これを引っ掛けて下へ落とすと、こちらの手刀は水平、横一文字に構えられ、先方にキルシェの喉笛が。真剣であれば斬首寸前の形だが、これは徒手格闘。即座、ローゼは手刀を握り込み、脇を締めた。肘が落ち、の原理かつちが如し、拳を縦に振り下ろす。


 キルシェは正面の攻撃に対して、後方ではなく横へ身を逸らした。反撃を受けたので、やり取りから離脱すべく次は後退する。粒子の斥力せきりょくを発動。――が、一手遅い。


 ローゼは掴める限りの血液を左手にめ、腕に纏い、キルシェの鳩尾目掛け零距離で叩き込んだ。


 使用する血液は少量のみ。しかしキルシェを吹っ飛ばすくらいには爆発命令を下し、爆ぜる。


 纏いつく白煙を鮮紅せんこうしょくの爆発が押し退けて、燃料タンクの開いた先刻の廃車目掛けキルシェが叩きつけられる。注いでおいた血液にも余力が有ったので、ついでに爆発させた。


 戦闘終了であるが、ローゼは地面を踏み、足元で大きな爆発を生む。もはや聞き慣れた轟音を響かせ、矮躯を高く打ち上げる。


 旋転しながら校舎三階にまで飛翔し、空中で空間に掌底。爆発の推力にて窓から校舎へ侵入し、建物の反対側の窓から脱出。地上へ着地後、二百メートルほど森林を走り抜け、清流に行き着いて行動をやめた。


 残されたキルシェはかつて車両であった鉄屑から立ち上がる。


 凡そが自身の血液で構成される白のフォーマルドレスから、自身に属さない汚れや砂塵が僅かな風で流れ落ちる。破れた個所に血液を塗布してやると、繊維せんいに取って代わり修復した。


 「ローゼが、そんなにも望むなら――」

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