血ノ姉妹 参
ローゼは世の中から隔離されて教育を受けたが、それでも他人と関わる機会が全く無かった訳ではない。人間という生き物の汚さを、よく知っていた。何度も差別の対象となったし、酷い
自分もキルシェも、生まれが人の身であるから解る。
筆舌に尽くしがたい悪意や、正義を名乗る利己主義の人間が変異し、他者を支配できる力を手にしていたら、彼らに染まる世界は地獄と化すだろう。
無論、我々の身も危うくなる。我々は、調査を迫られているのだ。
キルシェが慎重な構えであるが故に、今は自分が先陣を切る。自分が先んじて危険に飛び込む。たとえキルシェより劣る存在であっても、役割が欲しい。いつかは必要とされたいのだ。
何より、金城市の何者かが動きを見せる前に、我々の時で――。
キルシェは体育館の天井から見下ろしている。高さは十二メートルくらいか。むき出しの鉄骨に腰かけて、真珠の如き光沢を帯びる
「私は、貴女よりも多くを知っている。記憶に留めていない事も多いが、知って、一度理解する過程で、この体と血を意識下に掌握する術として利用した。ローゼ、戦うのは私の天命。身を投じるのは一人だけで構わない。妹は、守られていなさい」
臨戦態勢。強靭な腕力が鉄骨を掴む。片足を折り畳み、鉄骨への蹴り足とする。前のめりに顔を出し、白い長髪が垂れて地上を指した。
キルシェは感情や本能を出来得る限り理性にて掌握し、告げる。
「ローゼ、どうしても望むか。然らば、善戦せよ」
声が響き渡る時、ローゼの背筋には冷たい感覚が走った。
身構える。両足幅は肩ほどに。爪先を僅か内へ向く。得物は無いが、両手は剣道に於ける正眼の構えに似た。
ローゼの血液は、自身の命令で爆発と炎上を発生させる能力を持つ。これを用いて対処する。
キルシェの踏んだ鉄骨が後ろへ『く』の字に折れ、砂や錆が風圧と振動を伴い飛び散った。遅れて野太い金属音が鳴る時、既にキルシェは眼前に到達していた。
回避済みだ。こちらの立ち位置へ直進しているのだから、斜め後ろにでも下がれば良い。
爪先で床を小突き、四時の方向へ一歩後退した。
――これより、血の能力を使用する。
血色の良いローゼの肌に、点々と、
血液が蒸発する。
蒸気となった素粒子は、紅く発光する
ローゼの粒子はその消滅と引き換えに、高熱と爆炎を生む。ローゼの前方が、
――キルシェが、直前までローゼの立っていた地点、即ち爆心地へと着地する。
腐りかけの床を足底にぶち抜き木片と化すも、しかしキルシェは床下に落ちなかった。
彼女は足底に、白い光の霧、云わば『白光の粒子』を踏み、これを足場として滞空していた。
表皮に負った火傷は、滲み出した血液が皮膚組織を再形成、瞬く間に修復。キルシェはさしたる予備動作も見せず、抉るように拳を振り上げる。
――まずい。
ローゼは対応する。
瞬時にキルシェの上腕を、或いは前腕の付け根を両手で押さえる。これで拳は届かず、自分は後方へ押し出される形を取る。
「――ッ!?」
質量を感じない。キルシェの腕は一瞬で引かれ、すぐに横殴りに振られていたのだ。
大振りであれば上腕を再び押さえる。小さければ後退しつつ外から往なす。
動きが小さい。後退して往なす場面だ。だが下段にキルシェの足が見えた。左大腿部へ向けての回し蹴りである。
ローゼは左足を折り畳み、力を入れずにこれを受けた。衝撃はあれど、蹴られた方向へ足が弾かれるのみ。致命的ではない。
地に足を着け、最初の姿勢に戻る。構えた手を前後入れ替えながら、後退と前進、地面を小突いて横へ避けるなどしてキルシェの正面から逃れた。
――白光の粒子は無論、キルシェの血液が蒸発した姿である。
その使用量はごく僅か。姉妹は戦意を剥き出しにしながらも、力を制限し、真価を抑えたやり取りに
「なぜ血液を少量しか使わない。そんなにも私は劣るのか!」
力の及ばぬ相手であると知りながらも、ローゼは承服しかねて吠えた。事実、高練度のキルシェは極限まで手加減していた。
「愚問。一撃でも浴びせてから言いなさい」
キルシェの白光の粒子は流動可能で、つまり手足の如く、意のままに操ることが出来る。その能力は、自身の肉体に対して『
空中では足場となり、肉体へ浸透させれば原子レベルで肉体構造を強制維持。風圧や衝撃に適応できる。
キルシェの背後に粒子が散り、空間が波打った。
鈍い音圧が気体を振動させ
「
ローゼは身を
この爆発は退避のための推力でもあり、ローゼの身体を後方へ吹き飛ばした。
――追撃のキルシェは背後へ粒子を散らし、空間を蹴って前進する。
爆発によって逸れた進路を、粒子によって無理やり修正。関節に掛かる凄まじい負荷も、粒子で骨格を周囲から押さえつける形を取り、まるで強力な磁力のように作用させて殺す。
全身を自在に強化する鎧と化した血液の異能。これほど細かく扱えるに至ったキルシェは達人と言ってよい。
――しかしながら、ローゼの炎上爆発の能力は弾幕も張れるゆえ、抵抗は可能である。
表皮から血液が滲み出し、散り乱れる赤い
後退軌道上に起こした複数の爆炎が追撃のキルシェを飲んだが、直撃ではない。彼女が炎に包まれ見えぬ今、ローゼは腕を大きく振るって血液を散布し、再び爆発命令を下す。
この弾幕は追加の目くらましである。足底に血液を集中し、専用ブーツの靴底に開けた無数の穴より血を流す。前方の空間を足蹴に着火爆発させ、自身の体を体育館の窓へ吹っ飛ばした。
「ぐっ!!」と、衝撃に呻く。体を丸め旋転しながら窓ガラスを突き破り、熱風を帯びて脱出する。息苦しい体育館を抜け、アスファルトへ転がりながら着地。よろめく体に鞭打って立ち、新鮮な空気を吸い込んだ。
無呼吸でも活動可能であるが、元々は人間の身だ。冷たい空気を取り入れると胸がすく。
それにしても、
キルシェの追撃が止むこの僅かな時間で、次の手を考えなければならない。
まず機動力は向こうが圧倒。この屋外で捉える自信はないが、室内戦に於ける逃げられない状況を思えば遥かにマシだ。見た感じ多少好戦的になっているキルシェであるが、この勢いで彼女から向かってくるのも良い。罠を用意するのが妥当か。
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